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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 第4章

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06 誰だ

「笑わせる」

 アスレンは、やはり淡々と言った。ファドックに見せた嘲りも、シーヴに見せた(いざな)いもそこには浮かんでいなかった。

「笑わせる。『セグエント』よりも陳腐だ」

 人間になりたいと望む人形を題材とした舞曲の名称を王子は口にした。エイラはそのような上等なものを知らなかったが、どういう形で嘲笑われているのかという推測はついた。

「笑えよ」

 吊り上げられた状態のままで彼女は言った。

「いくらでも笑いたいだけ、笑え。だが、俺は」

「手は出させぬ、か?」

 ぱちん、と王子は指を鳴らした。

 がしゃーん、とこの部屋のどこからでもなく、派手に何かが割れる音がした。ここから少し離れた異なる部屋の音とその状景がエイラの前で展開される。

「――シュアラ様!」

 エイラの知らぬ、侍女の声。

「何事です!」

 聞き覚えのあるような男の声。何度か会話した、兵だろうか?

 突如、何の前触れもなく割れた窓の硝子は、その破片を王女に突き刺さんばかりにシュアラの目前まで降り注いでいた。シュアラは目を見開いて顔を蒼白にし、足元をふらつかせると兵に支えられた。

「大丈夫……私は何ともないわ。シャンディも怪我はないわね?」

「ええ、わたくしは、こちらに……おりましたから……」

 侍女が震える声で答えた。何が起きたのかさっぱり判らないのは誰も同じはずなのに、王女は気丈に立つと侍女に掃除を命じ、兵に報告を命じた。

「もちろん」

 アスレンが手を振ると、エイラの前から風景は消えた。

「最も大きな硝子片でシュアラの首を切ってやることもできた、とは説明してやらずともよいな」

 エイラは返す言葉を思いつかなかった。力など貸さぬと言えばこのレンの王子はアーレイドの王女を躊躇いなく殺すのだろうか。

「次は、母親にするか? 今度は左肩ではなく、心の蔵に刃を突き立ててやってもよい」

「――それもてめえの仕業だったのか!」

 怒りに燃えて叫んだところで、王子に何の影響ももたらすことはない。〈触媒〉の苦しみは彼を興がらせることもないようだった。

「さあ、どうする。リ・ガン」

 エイラは息を荒くしながら、言葉を探した。何を言えばいい? 応じられるはずはない。だが、シュアラとアニーナを見殺しにできるはずもない!

(いったい)

 怒りと苦しみに満ちたエイラの心に、ふと浮かんだ疑念があった。

 もし翡翠の力を渡すと応じれば――彼はそれをいったい何に、使うのだろう?

「どう、したいんだ」

 エイラは言った。

「何?」

「俺に翡翠を操らせて、どうしたい?」

「何も」

 アスレンは言った。

「目的などはなかった。ただ、珍しいものが手に入れば面白いことができるかと思っただけのこと。その過程でこんなにも心楽しめるとは、思わなんだが」

 エイラはその返答にかっと頭に血を上らせかけて――気づいた。

「『なかった』」

 アスレンは片眉を上げる。

「目的など、なかった、と言ったな。いまはある訳だ」

「それが、何だ」

 アスレンはまた、こんな「モノ」と話をするのは主義に反する――とでも言ったしかめ面をした。

「話したところでお前には関わりなく、我も説明してやるつもりなど」

「ではその役割は引き受けようか?」

 アスレンの薄灰の瞳が、何とも珍しく、驚愕に見開かれた。

「……本当にこういうのが好きだな、お前たちは」

 まるで天井から吊り下げられるかのように魔力で引っ張り上げられているエイラに目をとめたシーヴは、嘆息するとそう言った。青年が手を振ると魔力の紐は切れ、娘が床に崩れ落ちるよりも早くシーヴがそれを抱きとめる。

「無事か?」

「何……おまっ……何で……っ」

 ここはアスレンが魔力で閉ざした部屋だ。たとえシーヴがファドックの部屋に行こうと思いついても、入ることはできなかったはず。いや、そもそも、彼は戸を開けて入ってきたのでもない。

 音もなくこの場に現れた。まるで、高位の魔術師のように。

「俺にも、よく判らんのだが」

 それが砂漠の王子の返答だった。

「それとも、よく判る……というべきなのかな」

 ゆっくりと〈魔術都市〉の青年を振り返った砂漠の子は、驚きの色を湛えた瞳が次第に怒りに燃え出すの―見た。

「シーヴ、お前」

「俺のことより」

 言いながら青年は、そちらに視線も向けぬままで部屋の片隅を指した。

「急ぎの用事があるだろう。ご希望の解説もそのあとだ。あいつから剣を抜いて、血を止めろ。血が噴き出ぬよう、魔力で押さえろ。癒すことはできなくてもそれくらいならお前でもできる。安心しろ、大丈夫だ。そうしたら宮廷医師のところへ急げ。おそらくトフラン草だろう、そう言え」

 エイラは反駁しようとして、だが口をつぐんだ。見えぬ壁はもはや彼女と騎士の間にはない。何故、とか、どういうことか、という問いよりも、こちらが――先だ。

「思うようには、させん」

 どす黒い怒りに満ちた声がふたりに届き、シーヴはアスレンが右手を中段から斜めに振り落とすのを見た。そして、何も起きぬのを見て――驚愕するのを。

「諦めろ、アスレン」

 シーヴは首を振った。

「――馬鹿な。お前にそのような力はない」

 アスレンは、声の主を睨んだ。

「そうだな、俺には魔力なんぞ、かけらもない。幸か不幸かね。俺は、俺に何が起きてるのか知らん。だが、アスレン。考えてみろ」

 シーヴはにやりとした。

「お前に対抗できるだけの力を持つのは誰だ? 逆算すりゃ、この犯人は簡単に判るんじゃないかと思うがね」

 俺にはどうでもいいが、などと砂漠の王子は言った。〈魔術都市〉の王子の目は不吉にすうっと細められた。

「有り得ぬ」

「その言い方は、心当たりがあるな。認めたくないからと事実に目を瞑っても、真実は消えんぞ」

「知ったふうな、口を」

 その間、エイラはファドックの傍らにひざまずき、意識のない騎士よりも顔を白くしていた。

 目の前の身体に剣が刺さっていると言うだけでも、あまり平然としてはいられないだろうが、ましてやそれがファドック・ソレスであり、それが彼女に――彼にその波動を感じさせぬほどに、命が弱まっていれば。

 束元まで刺さりきった短剣――かつて騎士が少年に与えたものと同じ意匠をしたそれを祈りを込めて引き抜けば。

 その感触を薄ら寒く感じながら、だが必死になって、傷口から目を逸らすことなく、慣れぬ術に集中した。これをしくじれば騎士の死を間違いなく招くであろうことは、考えないようにした。

 ただ、エイラは――無意識にそれを手に取っていた。そして自身の掌にそれを合わせ、ファドックの鼓動に意識を沈み込ませた。まるで、穏やかな誰かの手が彼女と一緒にあるようで。

「シーヴ!」

 そこで、彼女は目を開くと、術が稼動したことをシーヴに告げた。

「行け」

 エイラの叫びが、巧くいった、という類のものであることを聞いて取った青年の返答は短かった。

 言われたエイラの脳裏には宮廷医師ランスハルの姿が思い浮かべられる。定まれば、集中は早かった。

「エイラ!」

 声がかかって集中が破られ、エイラははっとシーヴを見た。返すその声は少し悪戯っぽい響きを帯びている。

「医師の前ではその姿(・・・)は避けた方がいいんじゃないか」

 シーヴは片頬を大きく歪めて、にやりとしてみせた。エイラは眉をひそめ、その台詞の意味に気づくと目を見開き――だが騒ぐのと話をするのはあとだとばかりに首を振ると、ぴくりともしないファドックの手を取った。

 拾い上げたそれは、赤褐色をした長方形の石がはめ込まれた飾りもの。赤い石はその手のなかで力を得る、それともその手に力を与えるようだった。

「行かせぬ!」

「そう、激昂するな」

 シーヴは嘆息するとそう言った。アスレンが再び振るった腕は、何の魔力も含まないただの(イル・スーン)しか生まず、エイラはファドックを気遣いながら――このような状態では魔力の関わらぬ移動すら歓迎し難いと言うのに、未熟な彼女の操る〈移動〉術など通常であれば行うべきではなかった――その手を握り、その身体を包み込むようにして、姿を消した。

「お前はそれを隠そうとはしているが……存外に短慮だな」

 アスレンは鋭い目線でシーヴを睨んだ。たいていの者ならばすくみあがり、一歩も動けなくなるであろうその視線に、しかし砂漠の青年は軽く肩をすくめるだけだ。

「もうこのあたりにしておけ、アスレン。仮にもレンの王子が、アーレイドの王女を傷つけようなどとしてはいかんな。彼女に怪我がなくて何よりだ。万一のことがあれば、お前にではなくレンに責任が生じる。まさかそのような問題も魔力でねじ伏せればいいなどと考えておらんだろうな、『ライン』」

「……お前は」

 数(トーア)の沈黙のあとに、アスレンはゆっくり声を出した。

「誰だ」


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