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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 第4章

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01 考えねばならんな

 とん、と書類を整えると伯爵は息をついて、瓏草(カァジ)を取り出した。

「どうやら」

 ゼレットは言った。

「一段落だな」

「瓏草はよくありませんよ、閣下」

 その言葉に伯爵は片眉を上げた。

「俺は健康に気を使うには享楽的すぎてな」

「そうじゃなくて」

 青年は眉をひそめた。

吟遊詩人(フィエテ)の喉によくないって言ってるんです」

「む」

 言われたゼレットは火をつける手を止めた。

「仕方がない。命の恩人には逆らえん」

「僕じゃないですよ。あれはオルエンです」

 クラーナは肩をすくめて言った。その確信がある訳ではなかったが、自分がサズの術を跳ね返せた――或いはそれを防いだ上で、全く別個の攻撃術を放ったのかもしれない――とはどうにも思えなかったのだ。

「そうであったとしても、オルエンは俺を守ろうとしたお前を守ったのだろう。でなければ、俺がまともにあやつの魔術を食らっておったところだ」

 やはり恩人だな、と言うとゼレットは瓏草をしまった。

「行くのか」

「ええ」

 クラーナはうなずいた。

「レンは、ここにもうリ・ガンがいないことを知りましたから。彼らに対してエイルのふりをするという僕の役割は終わりました」

 それに、とクラーナは言った。

「オルエンがレンと関わっていたことが判った以上、僕はここにいない方がいい。彼らの言う『痕跡』が僕のなかにあるのかもしれませんからね」

「ならば」

「カーディルに翡翠以外の厄介ごとはない方がいいでしょう」

 その言葉に、それならば守ってやろうというような言葉を発しかけたゼレットはうなった。

「何とも上手に俺の弱味を突くことだ」

「閣下は翡翠の〈守護者〉であり、カーディルの守り手でもある。気紛れで引き留めるには僕は危険要素ですと、知っておいてもらいたかったんですよ。更に言えば」

 クラーナは続けた。

「僕はもう、翡翠を巡る輪から外れたように思います。いまの僕には翡翠に対してできることも何もない」

 青年は軽く伯爵を睨んだ。

「何しろ、それ(・・)の在処も感じ取れないくらいですからね」

「俺が持っていることにまた文句を言うのか?」

「言いませんよ。僕が何か言ったところで、どうせ閣下は聞かないんですから」

 クラーナは芝居がかってため息をついた。

「あと、僕にできるのは……この年が終わるのを待つばかり」

「終われば、どうなる」

「さあ」

 吟遊詩人は肩をすくめる。

「〈守護者〉とリ・ガンの頑張りで、レンに石が渡らずに済むことを望んでますけどね」

「そうではない」

 ゼレットは言った。

お前は(・・・)どうなる。クラーナ」

「……困るなあ、せっかく逸らそうとした話をそうやって簡単に引き戻されては」

 エイルも苦労するはずだ、などと彼は呑気に言った。

「そう、僕の役割は終わるでしょう。もう終わったのかな。言えるのはそれだけ。何事もなければ、生きていたとしても僕はもうよぼよぼの爺さんで、弦楽器(フラット)をつま弾くことだってできてないでしょうね。年が変わった瞬間、ハスリーのお伽話みたいに一(リア)で白髪のお爺さんになるとは思わないけれど、どうかな、翡翠の女王陛下が何を考えてるのかなんて判らない」

「……では」

 ゼレットは言おうとして、だが息を吐くと首を振った。

「エイルについても、判りませんよ」

 伯爵が口に出さなかった問いを見抜いて、クラーナは答えた。

「〈変異〉が終わったときにリ・ガンがどうなるか。この年のために生まれてきたリ・ガンが──年が終わるときに、どうなるのか。僕はそのときに既にリ・ガンではなかったから……」

 クラーナは言葉を濁し、ゼレットは沈黙した。

「判りません」

 吟遊詩人は繰り返す。

「ただ、僕やあなたの望む結果に終わればいいと、思いますよ」

「不吉だな」

 ゼレットは言った。クラーナは首を傾げる。

「『終わる』などとは……不吉だ」

「意外ですね、閣下がそんなことを言われるとは。僕はどうやら、あなたを掴みきれないままだ」

「いや」

 ゼレットは首を振った。

「俺も意外だ。不確かなものは好まなかったのだが。まあ、この年齢になっていまさら趣味が変わった訳でもないが」

 肩をすくめるゼレットにクラーナは笑った。

「僕の前でそんな言い方をしないでくださいよ。閣下は、僕の半分ほどしか生きてないんですからね」

 この言葉は、どう返そうかとばかりに伯爵を迷わせた。だがゼレットが何か言い返す前にクラーナが続けた。

「僕の後輩を本当に好いていてくれるんですね、閣下。これが翡翠がもたらしたつながりだとしても、何だか嬉しいですよ」

 吟遊詩人はにっこりと笑ってそう言い、ゼレットもまた笑った。

「あの魔女(リーエ)のことだけは心配ですけれど」

 珍しくクラーナが顔を曇らせると、ゼレットはたいしたことはないとばかりに手を振った。

「お前やオルエンに守ってもらおうとは思わんよ」

「まあ、確かにそれは閣下の趣味じゃないでしょうね」

 詩人が澄まして言うと、伯爵はにやりとした。

「お嫌いでも、協会に相談することをお勧めします。ご自分の身を護ることを考えてくださいね。カーディルのためにも」

そうだな(アレイス)

 再び突かれた「弱味」に、ゼレットは両腕を組んだ。

「俺が死ねば、現状、後継はいないからな」

「いないんですか?」

「少なくとも俺の跡取りとして育っている息子はいない」

 真顔で伯爵は言った。

「……考えねばならんな」

 そして呟くようにつけ加える。クラーナはそれを少し見ていたが、彼の口出しすることではないと首を振った。

「いろいろと有難う、ゼレット・カーディル閣下。あなたに会えてよかった」

 クラーナはやわらかい笑みを浮かべた。

「あなたが〈守護者〉であってくれて、本当に――よかった」

「……まあ」

 ミレインは驚いたように言った。

「それでそのまま、旅立たせてしまわれましたの?」

「何か不思議か?」

 ゼレットは肩をすくめた。

「去ると言う者を無理に引き止めるなど、俺はせんよ」

「まあ」

 ミレインはまた言った。

「たまには、素直になられたらどうなのです」

 女性執務官は、瓏草(カァジ)の灰を落とす容器に臭い消しの薬を注ぎ足しながら言った。

「素直だと?」

「ええ」

 伯爵の繰り返しにミレインはうなずく。

「そんなふうに何でもないふりばかりされていると、本当に追いたいものに対しても意地を張ってしまわれますことよ」

「そうか?」

 ゼレットは腕を組んだ。

「ふむ。そうか。考えておくとしよう」

 ミレインは何か言おうとするように伯爵を指さしたが、首を振ると言葉を発するのをやめた。ゼレットはそれを見咎める。

「何だ」

「何でもありませんわ」

「嘘はいかんな、ミレイン」

 伯爵は面白そうな顔をした。

「言ってみろ」

「大した話ではございませんわ」

 執務官は片方の肩をすくめるようにし、差し出された瓏草を礼を言って受け取った。

「閣下は、その相手がエイル少年やエイラ嬢(・・・・)でも、同じように淡々と言われるのだろうか、と考えてみただけです」

 ゼレットは少し驚いて自身の執務官を見た。だがミレインは何か特別なことを言ったとも、かまをかけたような様子もない。この女は何をどこまで気づいているのだろうと、ゼレットは鋭敏な部下にして恋人を眺めやった。

「ともあれ」

 しかし何かを追及することはせず、ゼレットは瓏草に火をつけた。

「一段落だな」

 クラーナに言った台詞をまたも口にする。主が息をついて同時に煙を吐き出せば、執務官も同じように部屋を煙らせた。

「本当に、そう思われますの?」

「うん?」

 ゼレットは眉を上げる。

「この件が――終わったと?」

 ミレインが言うとゼレットはすぐに首を振った。

「俺がそのようなことを言ったか? ただの一段落、ちょっとした休憩くらいのものだ。この月が無事に過ぎるまでは油断はならん。……だが」

 伯爵はどこか遠くを見るような目つきをした。

「何にせよ、魔法の時間はもうすぐ、おしまいだ」

 言いながらカーディル伯爵はカァジを小皿に押し付ける。

「この月が無事に過ぎれば、な」

 彼の脳裏に浮かぶ姿について、ミレインは考えてみるまでもなかった。ゼレットがいまエイル少年のことを考えていなかったとしたら、彼女は裸で町を歩いたっていい。

「何にしても、コルファセットの目は俺ではない」

 〈世界の中心〉コルファセットの大渦になぞらえた言い方をして、伯爵は瓏草を掲げた。

「俺が決められることではない。だがひとつ、気にかかっておることがある」

 不意にゼレットの口調から重いものが消え、ミレインは目を上げた。何でしょうか、と言う訳だ。

「いままでこのように考えたことはなかったが、考えねばならんことだと判った」

 彼は神妙な声を出した。

「〈守護者〉の血筋を絶やしてはならんと言うことだ。……どうだ、ミレイン。俺の子を生まんか」

 ゼレットの台詞に、執務官は珍しく絶句した。

「……それは単純に今宵のお誘いですの。まさか求婚だなんてご冗談はなしですわよ」

「両方だが。何故、駄目だ」

 ゼレットは片手を挙げて宣誓のような仕草をすると片目をつむった。

「カーディル伯爵夫人になるのは嫌か」

「嫌ですわ」

 ミレイン・ダールはきっぱりと言った。

「悪夢ですわね」

「冷たい女だ」

 ゼレットは天を仰ぐ。ミレインは苦い顔で瓏草の火を消した。

「新婚初日から夫がほかの女を抱くのを見たがる新妻などおりませんわよ」

「お前が城におるときは、ほかにどんな女も抱かん。男もだ。俺にこんな約束をさせた女はおらんぞ」

「そんな、三日で破られるようなお約束はしていただかなくてけっこうです」

 執務官の調子は変わらない。

「それとも、それを果たすために、ガルファーと私の配置換えをされますか」

「お前を王城において、あの皮肉屋を呼び戻すか? ぞっとせんが」

「何であろうと、面白くもない冗談はおやめいただきたいと言うことですわ」

 ミレインは淡々と言った。

「それに、申し上げておきますが、本当にお子を作られたいのでしたら、少し自制されることです」

 執務官は冷静に評して、ゼレットを言葉に詰まらせた。

「馬鹿なお話がこれでおしまいでしたら、お仕事を続けていただきたいのですけれど」

「本気だと言っても、相手にせぬ気だな?」

「閣下のそう言ったお言葉をいちいち本気に考えていましたら、私はとうに胃を悪くして職を退いています」

 言われたゼレットは芝居がかってため息をついた。

「俺の惚れる女はみな、情が(こわ)い」

「寝台ではお優しくして差し上げているつもりですわ、外でまでそれを要求されては困ります」

 ミレインは、とん、と卓を叩いた。

「俺の言うことを信じぬのか?」

 ゼレットは不満そうに言った。

「わたくしはいまさら、男の言葉を信じて泣くような女にはなりたくありませんから」

「誰だ」

「……はい?」

「つまり、お前を泣かせた男がいたのだろう。どんな男だ」

 伯爵の指摘に、ミレインは困ったような顔をした。

「閣下の知らない方ですわ」

「昔の男か。俺よりいい男か」

「そうやって」

 執務官は嘆息した。

「その気もないのに妬くふりなどおやめくださいな。新しい女を口説くにはよろしいでしょうけれど、いまさら私にそのような言い方をされたところで、ときめいたりはしませんわ。……たまにはできるとよいのですけれど、閣下がお相手では、無理ですわね」

 閣下は口先の悪魔でいらっしゃいますから、と執務官は言い、彼の言葉を全く本気にしていないことを示した。

「ミレイン」

 呼びかけに彼女は渋々と言った様子で顔を上げた。

「お前がどう思おうと、本気だぞ。考えておけよ」

 しっかりお断りしたはずですけれど、との彼女の返答をゼレットは完璧に無視した。


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