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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 第3章

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11 左腕の傷跡

 静かな暗闇に炎が灯った。

 詠唱の途切れた薄暗い部屋で、王子は臣下たちに去るよう、身振りをした。魔術師たちは黙ってそれに従う。

「……ふん」

 側近だけを隣に残して、第一王子は呟くように言った。

「やはり、綻びたな」

「フェルンが作られた最後の〈要〉から三十年……陣を張り直すにも」

 聞き取りにくい声でスケイズが言うと、アスレンは微かにうなずいた。

「そうだ。ラクトルは衰えておる。そして〈要〉の中身はそこまで弱ってはおらん」

 アスレンは、苛々と左腕を振った。剥き出しの手首には双頭の蛇をふたつに引き裂くかのような赤い傷跡が残っている。

 酷く目立つと言うほどではなかったが、目にすれば明らかに判る。スケイズはそれに目をとめながら、しかし何も言わなかった。

「気に入らぬ。あの膨大な陣を張るのにどれだけの労力が要る。やはり、まだ足りぬものがあるのだ」

 その左手で顎に触れながら、アスレンは考えるように続ける。

「だがもはや、オルエンを直接に見知る者はラクトル以外にはおらぬ。カーディルの地にいまさら何かが残るとも思えぬが、あったところで、それを見つけられる者もおらぬな」

 強い名を連呼するアスレンの言葉を聞いて、スケイズは敬意を表す仕草を続けた。アスレンはそれには全くかまわない。

「ラクトルが死ねば、オルエンの力を留めておくのは難しくなる。ラクトルが編んだのが大した術、大した陣であることは認めるが……厄介な使い方をしたものだ」

 アスレンは息を吐き、しばし考えるように黙った。

 古い時代の〈サイン〉ラクトル。通常であれば、アスレンの先祖――歴史書にだけ残る名前のはずだった。だが、尋常ならざる魔力を手にしたラクトルは、それを使って特殊な陣を構成し、延命のために使い続けた。かつてはシルヴァラッセンへの影響力も大きく、外で言うような「賢者」の如く扱われていたとされるが、いまの時代ではただの老いぼれ。アスレンやサズの世代からは、「ただ生きているだけ」と評される存在だ。

 しかしそれでも、〈フェルン〉はフェルン。ここをアスレン自らが疎かにすることは、自身に流れるレン王家の血を顧みないことになる。この立場にある以上、父祖たる人物を生き永らえさせている陣を彼が壊すようなことはできなかった。

 ただ維持することだけに手を貸し、崩壊が避けられなくなれば――それは仕方がないということになるだろう。

「翡翠の力があれば楽になる、か」

 スケイズはそんなことを言い出した〈ライン〉をじっと見た。

「初めはただの退屈しのぎのつもりであったが、〈要〉を張り直すことに利用できるかもしれん。そう考えたことがある。淀みを操る玉の力を使ってラクトルの陣を俺が張り直し、そして」

「――ライン」

 アスレンの言を留めれば不興を買うことは承知で、スケイズは声を出した。

「そのことは」

「口にするなと?」

 王子は氷のような笑みを見せた。

「誰も聞いてはおらぬ。いや、聞いていたからと言って、俺は構わぬぞ」

「どうか、ご自重を」

「俺よりもフェルン(・・・・)が怖ろしいか、スケイズ」

 アスレンは冷たい笑いを湛えたままで言った。

「まさかサイン(・・・)が怖ろしいなどとは言わぬな。サクリエルの力がいまよりも強まることはない。それに」

 自身の母にしてレンの女王の魔力を簡単に評して、アスレンは側近を見やった。

「俺が、ラクトルの力を奪ってサクリエルに成り代わるとでも言い出すと思ったか? 馬鹿らしい。放っておいても手に入る椅子だ。俺はそのようなことを急いたりはせぬ」

 アスレンはそう言って笑ったが、否定したのは後半部分だけであることは――自身でも承知だった。

 第一王子はこの〈魔術都市〉のなかで最大の魔力を持っていたが、それに満足してなどはいなかった。もしも、その力を増大させる方法があるならば。

「翡翠はレンのためになる。俺はサクリエルにそう言ったが、考えた以上に真実となりそうだな」

 口に出しては、アスレンはそうとだけ言った。

「時節が迫っております、ライン」

 〈ライン〉の望みにはそれ以上触れようとせず、スケイズは言った。

 アスレンがラクトルの力を欲するのならば、厄介なことになるのは目に見えている。先代たるフェルン――ラクトルに限っては、もっとずっと古い代だが――と次代たるラインの争いなど、文字通りにレンを揺るがすこととなる。

 もしもそのような状況に陥ったとき、スケイズは自身がどうするのか判らなかった。

 つまり――どちらに、つくのか。

 彼はいまそれを問われ、言質を取られたいとも思わなかったのだ。

「判っている」

 アスレンは答えた。

「時の月はやってきた。我が都市はこの月の流れを利用しようとする者どもで騒がしいこととなろう。居座っていても面白いことはないな」

 アスレンは少し街の方を眺めるようにしてから、視線を戻した。

「思わぬ事象も幾つかはあったが……スケイズ、この先はあのようなことはなかろうな?」

「は」

 スケイズは頭を垂れた。

 「思わぬ事象」のうちのひとつには、スケイズがシャムレイの王子をアーレイドに送ったことも含まれている。それがアスレンの負傷を招いたことを考えれば、スケイズは死を以て処分されていても何も不思議ではなかった。

 アスレン自身がその状況を利用しようと考えた結果の負傷であることもあって、〈ライン〉はそれを寛大に許した。よってスケイズは一命をとりとめたが、次がないことには変わりがなかった。

「怖れずともよい。お前は使える男だ、ダイア・スケイズ。その辺りの手駒のように簡単に殺しはせぬ」

 その言葉が容認ではなく恫喝であることは、どちらにも判っていた。

「夜が明けるな」

 光の差し込まぬ部屋で、アスレンはそう言った。

「ソレスが掴めん」

 王子はほんの少しだけその声に不興をにじませ、だが それを自ら振り払うかのように手を振った。

「リ・ガンの仕業だな。あれが――俺の視界から消えたときと似ている」

 今度は違いようのない不満を瞳にたたえ、アスレンは言った。しかしそこに、「リ・ガンが彼のくびきを解いて逃げた」と考えたときの激しい怒りはない。

「探って、おきますか」

「いや、かまわん」

 側近の言葉に王子は首を振った。

「愚かな〈触媒〉殿は、ソレスの代わりに己を顕したことを知らぬようだ」

 大して面白くもなさそうに、アスレンは笑う。

「だいたい、あの男がアーレイドを出るはずもない。そうであれば、目印などはいくらでも」

 王子は口の端を上げてそう言うと、言葉を切った。少しの沈黙のあとにゆっくりと声を出す。

「〈時〉は巡る。俺も心を決めねばならぬな」

「――お心、とは」

 スケイズは静かに尋ねた。

「そう」

 レンの第一王子は薄灰色の目を細くした。

「遊びは終わりだと、言うことだ」

 アスレンはどこか遠いところを見ながら、薄く残したままである左腕の傷跡を静かに撫でた。


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