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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 第3章

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09 安心させてやってください

「な……何だよっ」

 というのが、少年の答えだった。

「それって、あいつが俺のことを忘れたとでも言うのかよ!?」

「それも」

 ファドックは苦笑した。

「ご本人に苦情を申し立てた方がよいのではないか」

「……冷静に言うんですね」

 エイルは思わず肩に入った力を抜いてから言った。

「お前のことを忘れた、と言うのではないようだ。名前は発せられなかったが、リ・ガンのことは理解されていた」

「それは……その術は、いまでも、続いてるんですかね」

 エイルはおそるおそる問うた。ファドックにかけられた術は解けた。少なくとも、いまはそう見える。では、シーヴは?

「判らぬ」

 ファドックは答えた。

「それについてお尋ねできていない」

「そう……ですか」

 彼――「彼女」を忘れさせるのではなく、その名を忘れるというような術に意味があるのかは判らない。どうせならば「エイラ」全てを忘れさせてしまいたいはずだ。

 だが、それはできなかったのかもしれない。レンの高位の術を以てしても。

「考えても、仕方ないや。会って訊きますよ」

 エイルは言った。

「それならばこの書を持っていけ。すぐに通してもらえるようにしておく。――エイルでも、エイラ嬢でもな」

「ああ……有難うございます」

 エイルは差し出されたそれを受け取った。相変わらずよく気のつくことだ、と思った。――そうでなかったファドックを見たレイジュの不安はいかばかりだっただろうか、とも。

「ところでファドック様。何か魔法の品でも持ってます?」

「何故そのようなことを?」

 不思議そうにファドックは問うた。

「いや、何だか、気配を感じたんですけど、気のせいかな」

 少年の言葉を聞いた騎士はその瞳に懸念を浮かべた。

「術が、残るか」

 ファドックは自身の怖れを押さえて、ただ問うた。

 あのとき――彼は、アスレンとシーヴの間で、自身の心を決められずにいた。強い手に両手両足を掴まれているかのように、或いは、双頭の蛇に捕らえられているように、どんな一歩も踏み出すことができなかった。

 しかし彼の内に淀んだ重い闇は、まるで数日間ばかり掃除をさぼった窓の桟の砂埃ででもあったかのように、リ・ガンの――エイルの存在に吹き飛ばされたのだ。

 だが、本当にそれが消えたのか、と言う不安は残った。払われた埃は宙を舞うだけで、放っておけばまた、同じ場所に溜まる。

「いや、そうじゃないです」

 騎士の不安に彼の方こそ不安を覚え、だがエイルは首を振った。

「ファドック様にかかってるんじゃなくて、何か……守りのような」

(見ようによっては呪いとも取れます)

 エイルはどきりとし、慌てたように内心の声を打ち消した。それはカーディルの翡翠について魔術師が言った台詞だ。この状況には関係はない。それとも――あるだろうか?

「守り」

 騎士は繰り返した。

「護符を身に付けていたことがあったが、それか」

「……どうかな、残り香にしてははっきりしているような気もするけれど」

 少年は嫌な臭いをかいだとでも言うように顔をしかめた。

違うな(デレス)

 エイルは呟くように、だがはっきりと言った。

「違う。残り香みたいな曖昧なもんじゃない。そこにある、それですよ」

 少年は騎士の胸のあたりを示した。数(トーア)()のあと、ファドックに驚きと、そして理解の色が浮かぶ。

「……では、これがお前の探すものなのか。お前に属するとシーヴ殿が言われた」

「俺に?」

 首を傾げて少年が問えば、男はうなずきながら隠しに手を入れた。

「お前が感じ取ったのは、これだろう」

 そう言いながら彼は少年にそれを差し出した。エイルは目を丸くする。見たことはなかったが、見れば判った。リ・ガンが見誤るはずもなかった。

「何で……これがファドック様のとこに」

 彼らが動玉と呼び、レンが三つ目と呼ぶ濃緑の碧玉は、そうして――リ・ガンの掌に納まった。

「何か特殊なものだとは思わずにいた。いまでも判ったとは言い難いが……」

「そりゃあ」

 エイルは呆然とそれを見やりながら言う。

「これは守護を持たなくて、これにつながるのはリ・ガンだけですから……」

 彼は意味のあるのかないのか、自分でも判らないようなことを口にした。

「何で……」

 尋ねかけて首を振った。ファドックに動玉を渡し、シーヴやエイルと争わせようなど、アスレンの捻れた思考に決まっている。

「お前に属し、私には関わりのないものということか。これも、護符にはならなかったようだな」

 ファドックの言葉にエイルははっとなって騎士を見るが、そこに自嘲の色は見えなかった。少年は少し、安堵する。アスレンにかけられた術のためにファドックが自分を責めるのを見るのは、つらい。

「そうじゃありません。この玉はずいぶん歪められた。穢れを集めて、ファドック様を惑わせた。本当なら、これは魔除けですから、ファドック様の助けになったはずです」

 自身が思い浮かべた「呪い」という言葉が当たっていたようで、彼は嘆息した。守りであるべき翡翠玉には、呪いがかけられている。

 だが、彼にはそれを解くことができるだろう。

「……そうか」

 ファドックは奇妙な表情を見せたが、エイルにはその意味は判らなかった。

「そうだ、護符っていや」

 エイルはふと思い出し、一(リア)訪れた疑問について考えることはやめた。

「ちょっとしたもんを持ってるんです。着替えちまったからいまは持ってないけど、ファドック様に持っていてもらうのがいいような気がしてきました」

 例の神殿の護符だ。気休めでも、持っていて悪いものではないだろう。あとで渡しますよ、と言って少年はふと気づいた。

「あ、すいません。お忙しいんでしょう。俺なんかにいつまでもかまってちゃ」

「気を回すな。仕事は何も問題ない」

「そうだ、近衛隊長(コレキアル)になられたんですよね」

 ようやく、ファドックの制服が記憶にあるものと違うことに気づいた少年は言った。

「おめでとうございます……って言っていいのか、よく判りませんけど」

 ファドックがその任を受けた事情までは知らずとも、その頃から彼がおかしな態度を取るようになったと言う話は聞いていたし、「護衛騎士」以外の仕事をするというのがファドックの望みだとは思っていなかった。近衛隊長はエイルの言葉に少し顔を曇らせたが、それでも笑った。

「確かに私の意志ではなかったが、半年か一年ののちには結局、同じことになっていたようにも思う。気には留めぬことにした」

 ファドックがどのような思いでそう口にするのか、それはエイルには想像の範囲を越えており、彼はそのことについてはもう何も言わなかった。

「……ファドック様。ひとつ、いいですか」

 必要なものがあれば何でも言うように、と告げて近衛隊長が立ち上がったとき、つい、エイルは声を出していた。

「――何だ」

 騎士は椅子を片づける手をとめて少年を見た。

「どうしようもなかったことは判ってます。俺は誰よりあいつの力を知ってるから」

 ファドックは黙った。アスレンの名はいまでは彼に忠誠も無感動も引き出さなかったが、彼は黙って、少年の言葉を聞いた。

そのこと(・・・・)を責めるつもりも資格も俺にはない。でも、ひとつだけ」

 エイルは少し神経質な笑みを浮かべた。言おうとするのを躊躇うような、言っておかねばならぬと迷うような。

「……シュアラを泣かせたでしょう」

 これには、ファドックは黙ったと言うよりも、絶句した。――返す言葉はなく、返そうと言うつもりもなかったろう。

「もちろん、判ってます。ファドック様だって相当きつかったって。でも俺は、元気ならここでファドック様に殴りかかるとこですよ」

「――すまなかった」

「俺に謝ったって仕方ないです」

 少年は、言ってよかっただろうかと悩みながら言った。

「早くシュアラを……安心させてやってください」

「そうしよう」

 うなずくと騎士は椅子の片付けを再開した。

「お前は」

「はい?」

「お前はどうするのだ。お目にかからないのか」

「そいつはもうちょっと、あとにしますよ」

 少年はそんなふうに言った。

 それは、たとえば「数日のうちに」と言うよりは――「この年が終わったら」と言った意味合いの方が彼には強かったが、そのときに自分がどうなっているのか、または王女の少年へのささやかな親愛の情がいまやどうなっているのか、エイルには予測のつけようもなかったのだ。

「エイル」

「何です」

 ファドックは背を向ける前に改まったような声を出し、エイルは目をぱちくりとさせた。

「――有難う」

「……何です」

 彼は同じ言葉を繰り返したが、騎士が何に対して礼を言っているのかは判った。

「お前の、おかげだ」

「俺の力じゃありませんよ」

 確かに、彼の存在、リ・ガンと〈守護者〉のつながりが、ファドックのつながれたアスレンの鎖を断ち切ったのかもしれない。

 だが、それだけではないとエイルは感じていた。護衛騎士の内でずっと燃え続けていた彼自身の怒り、憤り、強く在りたいと思う強さが、ただ掛けがねを外されただけのことだ。

「あの冷酷王子の術を破ったのは、ファドック様自身の力です」

「たとえ、そうであっても」

 ファドックは続けた。

「私はお前に礼を言いたい。お前がいてくれなければ、術から離れた私は後悔と自責に駆られ――何をしたか、判らない」

「んな、こと」

 エイルは呟くように言った。

「強く在ろうと思う人は、いつまでも同じ場所に立ち止まっちゃ、いませんよ。大馬鹿王子の術下にあったって、ファドック様はずっと戦っていた。俺は、それを知ってます」

「……そうか」

 ファドックは礼を繰り返すことはしなかったが、その瞳は穏やかに細められた。感謝の念を感じてエイルは少し照れ、ただ、笑んだ。


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