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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 第3章

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03 そんな気がしたんだ

 どう言おうか、と悩むように伯爵は口髭を親指で撫でた。瓏草(カァジ)が欲しかったが、生憎と持ってはこなかった。

「フェルンとやらが、オルエンを殺した魔術師だな」

お見事(アレイス)

 クラーナがぴくりとする前で、サズは簡単に言った。

「オルエンの魔力を奪ったそやつが……奪い損なった『残り』を求めてオルエンを追い、殺した。殺すつもりはなかったのかもしれん。俺にはそれを奪うのどうのというのはよく判らんが、フェルンなる人物は目的を完全には果たせなかったのだろう。その三十年の空白の意味はまた判らんが、そやつの『忘れ物』をサズ、お前の母が探しにきた。それが叶ったのかどうかも判らん。ただ、彼女はついでにうちの若者を誘惑していった。そんなところだな」

「そんなところですね」

 サズは笑った。

「そしてフェルンはその魔力を使い、長い時間、レンを裏で支配している。いや、もちろん実際の支配者はサインですし、フェルンはいまやほとんど眠っているようなものだ」

 ただの哀れな老人のように、とサズは肩をすくめた。

「多くは彼を怖れますが、私やアスレンは大して気にしません。もはやあれは、ただ生きているだけ……何のためにそれを続けようとするのやら」

「ふうん」

 クラーナは何でもないように言った。

「そっちの事情は知らないけど。ふうん、そうだったの」

 ゼレットは一(リア)、気遣うようにクラーナを見た。

 フェルンとオルエンの関係がどうであれ、彼の〈鍵〉の、言うなれば命を使って生き続けてきた人物がいるというのは、気分の悪くなる思いだろう。だが吟遊詩人は、支えは不要だとばかりに小さく首を振った。

「六十年前。三十年前。そしていま。気が長いんだね、レンのみなさんは」

「星巡りやそれに影響される魔力線について、知らぬ者に説明したところで何にもならぬな」

 魔術師はそう言い、魔術師でないふたりは顔を見合わせた。もっとも、説明をしてもらいたいとは思わないし、もちろんサズも解説する気はないだろう。

「お前は、オルエンの連れだった詩人……か?」

 サズは計るようにクラーナを見た。クラーナは肩をすくめる。

それ(・・)は、女性じゃなかった?」

 そう答えた。

「彼の隣にいたのは僕の母親、なんてのはどうかな」

 クラーナは別にオルエンの連れであったことについて嘘をつくつもりはなかったが、彼の隣にいたのが女吟遊詩人であることは知れるかもしれない。

 リ・ガンのこの「特性」についてはレンは掴んでいるかもしれない――実際、掴んでいた――が、彼が以前のリ・ガンであったことはあまり知らせたいとは思わなかった。

「……ふん」

 サズはその言葉を信じたのかどうか判らぬ様子で曖昧に声を出した。

「では、先には否定したが、オルエンの息子か」

「それは、ちょっと……遠慮させてもらう」

 クラーナは口を曲げた。自分で言い出した騙りにしても、それはあまり楽しくない想像だった。オルエンがクラーナの父であるということもだが、オルエンがその連れたる女詩人と子を為したというのも。

「では、そうしたつながりもないのならば、何故生きているなどと言い出した」

「何故って」

 クラーナは戸惑った。演技ではなかった。何故かと問われて明確な答えは彼の内にはない。

「ふと、そんな気がしたんだよ」

 これは彼の正直な答えだったが、サズはもちろん満足しなかった。

「第一、詩人。お前は何のためにカーディルにきたのだ」

 この問いは、ゼレットとクラーナを不審がらせ、次の瞬間に得心させた。

「うん、まあ、寄るつもりじゃなかったんだけど」

 クラーナはちらりとゼレットを見て、伯爵もまた同じ考えに行き当たったことを知った。――では、〈魔術都市〉にこの件に関わる人間が何人いようと、彼らは互いにその動きを把握し合ってはいないのだ。

 彼らは、一枚岩ではない。

「旅には予定外のことがつきものさ」

 そう言ってクラーナは肩をすくめた。

「伯爵には友人が世話になったから、その御礼にね。そこで彼からこの一連の話を聞き、城下に話を聞きにいくお手伝いをした訳。こんなところでいかが?」

 その説明に大きな嘘はなく、サズは考えるようにする。

「オルエンとの関わりを聞いていない」

「ちょっとした知人だよ」

 クラーナは気軽に答えた。

「縁あって知り合って。彼が僕の歌を馬鹿にするもんだから、悔しくてね。いつか認めさせてやろうと思っていたけれど、死んじまった」

 肩をすくめる詩人に、伯爵はわずかに片眉を上げた。

「六十年前に死んだ『ただの知人』を何故、生きているなどと思った」

「だから、そんな気がしたんだってば」

 眉をひそめて、クラーナは繰り返した。サズはじっと計るようにクラーナを見つめたが、何かを指摘する気にはならなかったようだった。

「じゃあ次は君だね」

 クラーナは水を向けた。

「『フェルン』とかとオルエンの件のためにここにきたと言った? それはどういうこと?」

「――ラインのご要望だ」

 サズは唇の両端を上げた。そこに混じる皮肉は彼らには通じなかった。

「ライン。アスレンか」

「そう。我らが高貴なる第一王子殿下」

 レンの王甥は、気軽に発せられたその名に何か奇妙な印を切った。その仕草はどこか芝居がかっていた。

「そいつが望むのは翡翠だけではないのか。欲の深いことだな」

「いいえ」

 今度はサズは首を振った。

「アスレンが望むのは、閣下の翡翠。ただ、レンの王子としては責務もあります。彼が私をここへ送ったのは、兎と狐とを同時に狙ってのことですよ」

 〈兎を仕留めた狐を捕まえる〉との言い回しを用いて、サズは言った。

「彼は、あなた方がフェルンを探るのではないかと考えた。しかしそれは気の回し過ぎだったようですね。あなた方が知りたかったのは我が母マリセルのこと……それともわたくしのことですか、閣下?」

 サズはふっと笑った。

「一言、私のことが知りたいと言っていただければ何でもお話ししますものを」

「舌先三寸、二枚舌でか」

 ゼレットは返した。

「元愛人と魔術師の言うことは、信用ならんな」

「残念です」

 サズは軽く会釈などしてみせた。

「アスレンの危惧は杞憂(ゲルダ)として。ならば、話は最初に戻ります」

「最初」

 ゼレットは繰り返した。

「何のことだか」

 そのわざとらしい恍けぶりにクラーナは天を仰ぎ、サズは微笑した。

「先に閣下から口にしてくださった我が望みをもう一度申し上げましょうか? カーディル家に伝わる宝玉。かつて隠されて、そして遂に見いだされたそれ。そう、他でもない」

 サズはすっと手を上げるとゼレットを指さした。

「閣下がそうして、肌身離さずお持ちになっている、翡翠玉です」

 その言葉にため息をついたのは、吟遊詩人だった。

「……閣下。また、そういう無茶を」

「何が無茶だ。城の金庫にしまっておく方が安全だと思うか」

「いいえ」

 クラーナはまた息をついた。

サズ君(エル・サズ)、安心したら。君は僕なんかよりずっと、この閣下を理解しているようだよ」

 そう言うとクラーナは改めてゼレットを睨むようにし、肩をすくめる伯爵にまた嘆息する。

「神よ、他人を守りたがるあまり自分の身を顧みない彼らの()をどうにかしてください」

 吟遊詩人はフィディアル神の印を切ってそう言った。ゼレットが城に置いたままにしないのは、彼の留守に「翡翠が」狙われることのみならず、「カーディル城の人間が」狙われることを怖れてなのだ。

「何も危ない真似をしているのではないぞ」

 ゼレットはクラーナの祈りにも平然としたものだ。

「こうしておいた方が、リ・ガンも安心だろうと思うだけだ」

「そうですかね。泣くんじゃないですか」

「俺のために泣いてくれるなら嬉しいことだ」

「怒ってですよ」

 エイルの代弁をしてクラーナは言うが、当然ゼレットは堪える様子などない。

「ご立派ですね」

 サズは言った。

「見事な『守り手』ぶりを発揮される。感動するほどです」

 彼は賞賛を示す仕草をした。

「いまにして思えば、母は鍛冶師(ボルス)の若者などでなく、閣下のお父君と仲良くすべきでしたね。惜しいことです」

「全くだな」

 ゼレットは同意した。

「そうであれば、お前ではなくもう少しまし(・・)な相手がこうして俺たちの前に座っていてくれたかもしれん」

()であったことを感謝されるのでは?」

 サズは平然と言った。

「それとも、閣下は異母弟妹と肌を合わせることをお望みでしたか?」

 その指摘にゼレットは口髭を歪めた。サズは面白そうに笑う。レン王家にはそのような禁忌はない。

「話はだいたい、見えたようです」

 サズは言った。

「リ・ガンはいない。我が望みは翡翠。これは最初と同じ。しかし、それは見いだされ、閣下の懐に」

「ふん」

 ゼレットはゆっくりと手を下ろし、剣にかけた。クラーナも厳しい目をしてサズを見る。

「忘れっぽいのですね、閣下」

 サズは笑った。

「それは役に立ちませんと、思い出されたらどうですか」

 伯爵の右腕に強い痺れが走った。ゼレットは苦痛を見せまいとしたが、身体がぴくりとしたのは隠しきれなかった。

「左肩の傷も癒えたばかりなのでしょう。もう一度、同じ傷を作って差し上げましょうか?――肩よりも、胸に。そしてもっと、深く。二度と癒えぬ……癒す必要のない、傷を」

「……そうして」

 ゼレットはじっとサズを見た。

「淡々と脅しを口にするお前の方が、追従をしているときよりも美しいな」

 クラーナは吹くかと思ったが、どうにか堪えた。

「だが俺の好みからは外れるようだ」

「それが仰りたいことですか」

 サズは笑った。

「誘惑して本当に閣下を陥とすことができれば、巧くことが運んだという意味でしょうか」

「そうは思えんな。俺は決して、お前に翡翠をやりはせん」

「自信がおありのようですね」

 レンの王甥は笑みを消した。

「お隣の新しい愛人が何か力を?――成程、多少はあるようだが……私の前では大して役には立ちませんね。それに閣下は他者の力を頼みにされる方ではない」

「俺のことをよく判っているようだな」

 ゼレットは面白くもなさそうに笑った。

「ええ。舌先三寸と言われようと、私は閣下が好きでしたよ」

 青年は、目前の男が過去の人間であるかのように言った。

「そうですね――閣下にはお力があるのでしょう。〈守護者〉としての。つまり」

 サズは満面の笑みを浮かべる。いままでゼレットが目にしたなかでいちばん嬉しそうなその笑みは、邪念に溢れていた。

「翡翠を守ることに発揮されるあなたの力は、つまりあなた自身を守る役には、立たないということ」

 そう言って魔術師の青年は、片手を上げた。


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