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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第1話 翡翠の宮殿 第3章

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02 王女だから

「何だよ……ああいう言い方がお望みかと思ったのにさ」

「望んでいる訳ではないわ。私にとっては、礼儀を尽くされ、敬意を表わされるのが当たり前で、それ以外の応対など受けたことがないの。たとえ」

 シュアラは何でもないように続けた。

「たとえ、陰ではどう言われていたとしても」

「んな、陰でだなんて」

 エイルがどう言おうか逡巡すると、シュアラはそれを遮った。しかし、その仕草にいつも見られるような尊大なものはなかった。

「私が何も思わぬまま、単純にみなの崇拝を受け入れていると思って? 判っているのよ、私は王女だから敬意を払われる。それはアーレイドの血筋に対するもので、私に対するものではないわ」

「んなこと」

 ねえよ、とは言えなかった。それはまさしく、エイルが思っていたことだからだ。「どうして王女だと言うだけで、こんな小娘に深々と礼などしなくてはならないのか?」。

「お前は……お前たちは、私が王家に生まれついたことを幸運と思うのかしら。そして、王女であると言う理由で好き勝手にする愚かな小娘と?」

「シュアラ」

 姫、と呼びかける気にはならなかった。いま目の前にいるのは、王女と言う冠をかぶっただけの、ひとつ年下の少女。

「昨日は何があったのか、ファドックに訊いても判らないと言うのだもの。お前に訊くしかないじゃないの」

「また、いつでも好きに俺を呼び出せばいいじゃないか」

「馬鹿を言わないでちょうだい。私が自由に時間を決められると思うの?」

「……決められんだろ?」

「まあ。判っていないのね」

 いつもならばやはりエイルのかんに障る言い方だが、いまはそれを感じなかった。いつもの部屋ではなく、どちらかというとここが彼の陣地であるせいだろうか。

「私には毎日、課題が山積みだわ。礼儀作法に詩歌に舞踏、言語学に紋章学、街の歴史に貿易法、それに――魔術の基礎まで習うのよ! おかしいとは思わない? 魔力のない者がそんなことを学んで何になると言うのかしら?」

「そりゃ、まあ、普通は、習わないと思うけど」

 まくしたてるシュアラに一歩引いて、エイルは言った。驚きだ。魔術云々よりも――シュアラも礼儀作法を習っているとは!

「興味深いし、面白いことも多いわ。たいていの学問は好きよ。父様は私のためであり、街のためだと言うし、私もその通りだと思っているわ。けれどね、ときどき……何て言うのかしら」

「……嫌になる?」

「嫌、という訳ではないの」

 シュアラは口を尖らせた。

「それじゃ」

 エイルは考えた。

「飽きる?」

「――そう、そうね、それだわ!」

 それは、そうかもしれない。知識で世界を知ったとして、城から一歩も出ない生活では飽きもくるだろう。エイル少年は日々の仕事に忙しくて、たとえ飽きたところでどうしようもないものだが、日々の営みに飽きるという思いは判らなくもない。

 街で小さな仕事を繰り返す毎日を送っていた間、自分はこのままアーレイドから一歩も出ないまま、日々に追われて生きていくのだろうかと考えて、漠然とした不安を覚えたことは、彼だってあるのだ。

「こんなこと、言ったらいけないと思うけれど。私のためだと判るのだけれど。でも……何のためだろうとも思うわ」

「まあ……」

 エイルは頭をかいた。

「いずれ、判るんじゃねえ?」

 言って苦笑しそうになった。これではまるでファドックの台詞だ。

「そうかしら」

 シュアラは首をかしげる。

「そんなふうに、誰も言わないわ」

「……ファドック様も?」

「ファドックが?」

 王女は目をぱちくりとさせた。

「彼はそんなこと、言わないわ」

「ふうん」

 少し意外だった。ファドックが姫君に意見などしないというのは判っていたが、それでもエイルには何度も――言ったのに。

「で、お勉強に追われて時間が作れないから、わざわざここに?」

「そうよ。だって」

 シュアラは言いかけて、とまった。珍しい反応だ。言いたいことは何でも言うのに。

「何だよ」

 エイルは促す。

「だって、お前はまた、どこかへ行ってしまうかもしれないでしょう」

 はた、と気づく。シュアラが心配したのは――それなのか。

「この前は、悪かったよ」

 知らず、そんな言葉が出ていた。だが、謝るつもりなど毛頭なかったはずだと思い出して、続ける。

「でもあんときゃ、シュアラだって悪かったんだからな」

「まあ!」

 さすがに、声に不満が混ざる。

「私の何が、悪かったと言うの!」

「俺の母さんの暮らしを馬鹿にしたろう」

「何ですって?」

 目を丸くする。

「そんなこと……しないわ」

「したさ。籠編みなんて下賤な職業だって」

「まあ、そんなこと」

 反論しかけて、また言葉をとめた。

「私、そんなことを?」

「……何だよ」

 エイルも勢いを削がれる。

「自覚、ないんだな」

「何ですって」

「――エイル! 何を油売ってる、さっさと戻ってこいっ」

「いっけね」

 少年ははっとして背後を振り返った。裏口から顔を出して怒鳴るのは料理長だ。

「俺、仕事中なんだ。ちょい、待ってくれ。十(ティム)だけ休憩もらって……部屋まで送るよ。その前に、近衛兵(コレキア)にでも行き合えばそいつに任せても」

「待ちなさい、エイル」

 言いながら倉庫に走り出そうとする少年を厳しい声がとどめる。

「何の『仕事』なのか知らないけれど、お前にあんなふうに命令するなんて無礼だわ。休憩、ですって? 私といるのに、誰かの許可がいるというの!?」

「あのなっ、仕事ってのはそう言うもんなの! 俺はここじゃいちばんの下っ端だし、こんなふうにさぼってて怒られるのは当然」

「私と話をしていて、誰が怒ると言うの!」

 もちろん、ヴァリンならばものすごい剣幕で怒るだろうが――エイルに非がなくとも――シュアラが言うのはそうではあるまい。

「あのね、だからっ」

「こら、エイル、忙しいんだから女の子とくっちゃべる(・・・・・・)のはあとにしとけっ」

 近寄ってきた声にエイルは焦った。「これ」をどう説明したらいい? トルスにも――シュアラにも、だ。

「ごめんっ、トルス、すぐ行くから、ほら、戻って、あんたが厨房を離れちゃ」

「何言ってる、ほかにも足りないもんがあるから取りにきたんだ」

「トルスというのね。控えなさい」

「――は」

「ええと」

 トルスは足を止めてきょとんとする。シュアラの声は――「王女殿下」の響きを帯びた。エイルは頭を抱える。

「エイルは私と話をしているの。それより重要な仕事が彼にあるというのなら、言ってみなさい。ことと次第によっては、お前はクビですからね」

「はあっ、いったい何の」

「やめろ、俺が悪いんだからっ」

「お前の何が悪いと言うの」

「こりゃ……まさか」

 遠い外灯の薄い明かりの下で、顔はろくに見えまい。だがその口調と声は、特徴がありすぎた。

「王女殿下ですかい!」

「トルス、しいっ」

 少年は、あまり意味のないことをした。シュアラを隠すように、その前に立ったのだ。だがそれはまるで、少女をかばうかのようにも、見えた。

「どきなさい、エイル。無礼でしょう」

「お前も黙れっ」

「まあっ!」

「おいおい、エイル。姫さんにそりゃないだろ」

「トルス、シュアラは俺に話があるらしい。シュアラ、でも俺は仕事をしなきゃなんないの。で、トルス、十(ティム)もらえっか? 姫さんを送り届け」

「何を」

「言ってるんだお前は」

 シュアラが不満の混じった怒りの声を出し、トルスは笑いの混じった呆れた声を出した。

(ビック)の箱と姫さんとで、芋を選ぶほど料理人魂が旺盛だったら俺は驚くよ。もういい、今日は上がれ」

「えっ、いや、でもそれは」

「いいから上がれ。飯はとっといてやるよ。失礼しやした、姫様。こちとら無骨な料理人なものでね。クビは切らないでいただけると有難いんですが」

 トルスは見よう見まね――なのだろう――の宮廷風の礼などしてみせる。

「……エイルよりも礼儀を心得ているようね。いいでしょう、お前の下働きを一刻、借り受けることにします」

「おいっ」

 エイルは、どちらに対してか判らないままで声をあげた。トルスに対しては、殿下が相手なら途端に下手に出るのか――当然と言えば当然だが――という、皮肉と非難が入り混じったもの、シュアラに対しては、結局のところエイルの仕事を(・・・・・・・)理解している(・・・・・・)のではないか、と言う、こちらは紛れもない非難であったが。

「もう夕餉なの? 早いのね」

「今日は、ちょっとした祭りみたいなもんなんですよ、姫様。僭越ですが、早くお戻りになった方がいい。この辺りに使用人たちが集まってくるし、こうしておひとりでいられるところを見つかれば騒ぎでしょう」

「騒ぎですって?」

「シュアラがどう思おうとどう言おうと、俺が姫さんを連れ出したってことになるに決まってるからさ。そうなりゃ、それこそ、俺がクビだ」

「それどころか、牢屋行きかもな」

 トルスが混ぜっ返す。エイルは顔をしかめたが、シュアラは目を見開いた。

「まあ――どうして? そんなことになるはず、ないじゃないの」

「あるんですよ、姫様。……それともしばらくじっとここに隠れて、ファドックが泡食って探しにくるのをお待ちになりますか? その方がいいかもしれませんね、ファドックの仕業ってことになれば、あいつがヴァリンとキド伯爵の説教を食らえば済む」

「んな迷惑、かけらんないよ」

 エイルは慌てた。

「迷惑なもんか。あいつの仕事は姫様を守ることだろう。姫様の望みを尊重、というより、遂行(・・)することにあると思ってる訳だからな」

 遂行、との単語に、エイルは城に連れ戻された日を思い出す。あまりいい気分ではなかった。

「そうだな、それがいいだろう。如何ですか姫様。お迎えがくるまで、こいつとここで、まあ、立ち話も何ですから、椅子くらい持ってきやすがね。いらっしゃるのが最上じゃないかと思いますが?」

「ここに詳しいお前が言うのだから、きっとそれがいいのでしょうね。そうしましょう」

 シュアラはうなずき、エイルは絶句した。自分がそんなことを言えば、分をわきまえないとばかりに怒るに決まっているのに。

「それじゃエイル、倉庫から箱をひとつ運び入れたら、一足先に煮込み料理を持って行け。姫様も召し上がりますか? お口にゃ合わんかもしれませんがね」


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