07 興味深い洞察
小さな鍛冶小屋に併設したこれまた小さな家で、鍛冶師の青年はカーディル伯爵の再訪を受けたことに目を丸くしていた。
父はいったい何をやらかしたと言うのだろうか、とばかりに気の毒な彼は身を硬くしていたが、ゼレットがにこやかに話を求め、クラーナも青年の緊張をほぐすのに協力したから、次第に父、または自分が咎められるのではない、と知ったようである。
病で身体を弱くしたトラン・カンベルは、しかしこのときは調子がよく、彼はやはり驚きながらも伯爵とその連れの訪問を受けた。
「奇妙な話を訊く、と思われるかもしれませんが」
伯爵が相手では男が緊張するだろうとばかりに、主にはクラーナが話を先導した。ゼレットは、あまりトランの目につかないように、上手に後方に立っている。
「奥様に出会う以前の、あなたの恋人の話を聞かせてもらいたいんです」
トランは突然の問いを聞き返すことはせず、ただ、何のことだろうと考えるように眉をひそめた。
「単刀直入に言えば。セル・カンベル、余所からきた女魔術師と恋を囁いたことは?」
トランは急に咳き込んだが、それは病のためと言うよりはいきなり過去を言い当てられて驚いたことの方が大きかっただろう。
「……まあ、そんなこともあったようだが……」
いったいどうしてそんな話をするのだ、とばかりにトランは目をしばたたかせた。まさかそれが何か罪だと言うのではあるまいな、と不安に思っているのが判る。クラーナは手を振った。
「彼女の話を聞かせてえもらいたいだけです」
「何故だ?」
当然の疑問であろう。だがクラーナは平然と続けた。
「もしかしたら、探し続けてる僕の母なんじゃないかと思って」
ゼレットはこれに吹き出しかけるのをどうにか堪えた。
「君の? マリセルが?」
「マリセルと言うのですね、それならやっぱり、僕が探している人です」
無論クラーナはその名を知らなかったが、真剣に続けてみせた。
「聞かせてほしいんです。彼女がどんな人で、あなたにどんな話をしたか」
この吟遊詩人の――何とも嘘臭い――芝居はしかし効を為し、彼らはマリセルと名乗る女魔術師のことをいくつか知った。
三十年ほど前にやってきた若く美しい女。魔術師であると言う事実は男たちを敬遠させたが、トランは怖れよりも魅力を覚えて彼女に近づいたのだと言う。それについては、果たしてマリセルがそんなトランを面白がったものか、逆にマリセルがトランを選んだから、彼が恐怖や嫌悪を覚えなかったのか――彼らには判らなかったが。
「彼女は何故カーディルへ?」
クラーナは口を挟んだ。
「何か用事が? それとも誰かに会いにでもきたのでしょうか」
これは当てずっぽうであった。トランは少し考えて、うなずくようにした。
「そうだな、そう言えば……探していると言っていた」
「誰を」
不意に伯爵から飛んできた声にトランはびっくりしたようだった。クラーナは、軽くゼレットを睨む。「伯爵閣下」は黙っててください、と言うことだ。
「あの……何しろ三十年近く前のことなんで……はっきりしないんですが」
トランは急に萎縮したふうになる。クラーナは嘆息した。伯爵は、自分が他人――平民――に与える影響を理解していない訳ではないだろう。自身で話をしたくてたまらないだろうに、じっとクラーナに任せているのである。いまの一言は、つい出てしまった、という類だろうが、なかなかに困るところだ。
「いいんだ、気にしないで続けて。あなたの記憶が違っていてもかまわないんだ。何でもいい、たとえ間違っていても、何も言われないよりはずっと大きな手がかりになるから、どうか話すことを怖れないで」
若い――若く見える――吟遊詩人に、子供を諭すように言われた男は微かに苦笑して、うなずいた。
「誰か……と言うんじゃないな。奇妙な言い方だったんで覚えてるんだが」
男は思い出すように目を閉じた。クラーナとゼレットはじっと待つ。
「痕跡を探しているのだ、と。――あのときから三十年ほど前に、この町で行われた魔術の」
「――え?」
クラーナは頭の中が真っ白になったようだった。
「三十年?」
「そうだな……いまからならば、六十年近くになるか」
六十年前の魔術。
それはあまりにも、クラーナの記憶を揺さぶる出来事だった。
詩人が頭のなかのみならず顔色も白くして、ついでに足もふらつかせかけるのに気づいたゼレットは、すっとそれを支える。
「何か心当たりがあるのか?」
トランの問いに、クラーナは白い顔のままで曖昧にうなずいた。
「いったい……」
「――時間をとらせてすまなかったな、トラン・カンベル」
クラーナが話を続けられそうにないと見て取ったゼレットは、素早くそう言った。
「礼を言う」
ゼレットはそう続け、伯爵に礼など言われてやはり驚いたトランもまた曖昧にうなずいた。伯爵程度で驚いているのなら、そのマリセルとやらがレンの王妹だっただの、自分の息子が王甥としてレンで生きているだの、その息子がカーディル伯爵を殺そうとしただのと知れば、この男は鼓動を止めてしまうのではなかろうか――などとゼレットは思い、身体を大事にするように告げて、首をひねる鍛冶師の父親に背を向けた。
「……さて」
近くの酒場〈忘れ草〉亭に立ち寄ると、その片隅の丸卓でゼレットは椅子を引き、吟遊詩人を座らせた。と言うのも、クラーナはカーディルに「跳ばされて」きたばかりのときよりもずっと顔が青く、足元は覚束なかったからだ。
伯爵の新しい恋人は吟遊詩人だ、と噂されても仕方のないような状況だが、無論、そんなことにかまうゼレットではない。クラーナの方は少し苦笑をするだろうが、エイルのように声を大にして抗議もしないだろう。
伯爵は自身のためのアスト酒とクラーナのために軽いライファム酒などを注文し、それらが運ばれてきてからようやく口を開いた。
「どういうことかな」
「……どうも、こうも」
クラーナは、礼儀正しい彼にしては珍しく、頼まれた杯に礼も言わず口をつけた。
「あるもんですか。三十年前の痕跡が残っているとレンが考えるほど大きな――魔術的に大きな事件が『あれ』のほかにあったって言うんなら、僕は今日からカーディルを魔術都市と呼ばせてもらいますよ」
顔色は悪いが口は健在らしい、と伯爵はその言い様ににやりとした。
「では、それは、どういうことだ」
ゼレットは再び問うた。
「どうもこうもありません」
クラーナは再び言った。
「オルエンと、彼を殺した魔術師の間にあることは、翡翠とは関わりがない。けれど、それにレンは関わっている」
「――ふむ」
淡々と言う吟遊詩人をじっと見ながら、ゼレットは顎に手をやった。
「ふむ」
「ただの推測。でも間違っていないように思う。オルエンはどうしてかレンの人間と事をかまえ、魔力を奪われ、命を狙われた。と言うよりは、彼が死んだのは事故かもしれない。それは判らないけれど」
「ともあれ、大きな関係はあるな」
ゼレットは杯に口をつけて続けた。
「何者なのだ。クラーナ、お前の〈鍵〉は」
「僕がいちばん、知りたいですよ」
詩人はライファム酒をあおった。
「木々と種はどちらが先ですか、閣下。僕がオルエンと翡翠を通してつながったのと、彼がレンと関わったのは、どちらが」
クラーナは皮肉を言うのでは、無論なかった。ただ、彼は呆然としていた。彼が送る二度目の〈変異〉の年は、とんでもなかった前回と同じか、それ以上の衝撃を彼に与えている。
「――閣下」
クラーナは、杯を置くとゼレットに顔を向けた。だがゼレットは、クラーナの目は彼を見ていないように思った。
「聞いて下さい。もしかしたら」
言いかけて吟遊詩人は躊躇った。ゼレットは先を促すようにする。
「僕は、思ったんです。もしかしたらオルエンは、生きているかも……しれない」
「それは興味深い洞察だ」
感心したような声が、少し離れたところから響いた。
「何故そう感じたのか、教えてもらえませんか、吟遊詩人殿」
クラーナの瞳は警戒の色を浮かべ、ゼレットはうなり声を上げた。
「――サズ」
「ご無沙汰しておりました、閣下」
穏やかに笑って言ったレンの王甥は、まるで彼らの間に何の諍いもなかったかのように――かつてのリ・ガンと現在の〈守護者〉のひとりに相向かう位置の椅子を引いた。




