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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 第1章

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07 黒い雲の影に

 ロジェスは時折、新任の近衛隊長を呼び出すようになっていた。

 多くにおいてファドックは、彼の業務であるところの警護や、訓練についての話を求められた。ロジェスはもちろん戦士ではないが、貴族の娯楽やたしなみとして以上に剣を使うという噂があったから、おそらく興味があるのだろうと近衛隊長は踏んでいた。

 手合わせを頼む、などと言われなければよいとも思っていた。未来の王陛下を負かす訳にもゆかぬが、警護対象よりも警護兵が弱いというのもよろしくない。

 しかし望ましくないのはそれだけでもなかった。ロジェスは城内のことを彼に尋ねた。場合によっては人間関係などを問われることもあり、出来得る限りはロジェスの命令――彼はそう取った――に従ったが、余計な風聞を侯爵の耳に入れることは避けた。それは、彼の冷静な判断であると同時に、彼本来の気性でもあったが。

「ロジェス閣下」

「きたか、ファドック」

 アーレイドの次期支配者は、ぱちんと指を鳴らすと彼を名で呼んだ。ロジェスはどうやら、自身とファドックが似た境遇だという理由のためか、彼に親しみを覚えているように見えた。「隊長」と呼びかけたのも初めの頃だけで、いつしか名前で呼ぶようになったのもその一端だ。

「何だ、元気そうではないか。シュアラが心配しておったようだが」

「畏れ多いことです」

 ファドックは礼の仕草をした。

 話を交わして日の浅いロジェスは、その答えに特に違和感を覚えない。術下にないファドックならば、少し笑って「殿下は私が働き過ぎると誤解していらっしゃいます」とでも言うだろう。

 しかし実際に、アスレンの魔力と常に戦わねばならない状態に比べれば――アスレンを思い返しても苦しみを覚えないで済むのは確かに「楽」と言えた。その考えは、アスレンが気紛れに術を外すときにはファドックの心を怒りと憤りで焼くことになるが。

「警備計画に見直しや変更はございません。次の大きな行事は、〈時〉の月の祓厄祭になりますが、それまでは通常の形を保つつもりでおります」

「結構」

 ロジェスは短く答えた。

「しかし、今日はその話のためにそなたを呼んだのではない」

「では」

 ファドックは勧められるままに腰かけていた椅子で、姿勢を正すようにした。

「お話は何でしょう」

「ひとつ、尋ねたいことがあるのだ」

「何なりと」

 彼は答えた。

「――翡翠(ヴィエル)のことだ」

 思いもかけぬ突然のその単語に、ファドックはぴくりとした。

「翡翠」

 彼は静かに繰り返す。

「宝物庫に、儀式の際に使われる宝玉があるとは聞いておりますが、そのことでしょうか」

「それだ」

 侯爵は何を思うのか――ただ、うなずいた。

「アーレイドの平和と繁栄を玉に祈願するのだとか聞いたが」

 ロジェスは言って、首を振った。

「呪術的だな。平気なのか」

「と、仰られますと」

 彼が言うのは韜晦ではない。ロジェスの意味するところを掴みかねているのだ。ロジェスが突然にその話題を持ち出したことは不思議だったが、特に疑問は差し挟まないで返した。

「代々の王女なり近親の姫なりがそうしてきたと聞いたが、それは本当に安全なのか、隊長(キアル)

「私も、詳しいことは何も」

 本当に、絶対に安全だと言うようなことはあるのだろうか――と近衛隊長はしばし考えたが、そう答えるに留めた。嘘をつくつもりはなかった。彼は本当に「詳しいことは何も」知らない。

「何故、そのようなお話を。何をご心配なのですか」

「そのままだ」

 ロジェスは肩をすくめた。

「その宝玉に魔術的な力か何かがあるのならば、王家の女性を――シュアラを近づけるなどして、よいものなのか」

「長年、そうされてきたものと伺っております」

 ファドックはそう答えてから、続けた。

「何故、私にそのようなことを?――ギンタス儀式長官にでもお尋ねになった方が、明瞭な返答があると存じますが」

「用意されている返答は要らぬ」

 ロジェスは言った。

「私はそなたの意見が聞きたいのだ」

 ファドック・ソレスの――それとも〈守護者〉の。

 不意にファドックは、自身の内の厚雲に切れ間ができたように感じた。

 無論ロジェスは〈守護者〉などのことは知らぬはずである。だが、「翡翠」という一語――守り手のことを思い出させる話の流れは、彼の心に晴れ間を射した。

 スケイズが「本能」と表現したそれは、ひとの操る魔力と異なった、それとも超えた力であった。

「私は」

 ファドックはゆっくりと言った。

「アーレイドの翡翠が殿下(ラナン)に害をもたらすとは思っておりません。あれは王家、ひいては街を守るもの。閣下が魔術的なものに不審を抱かれるは道理ですが、翡翠は魔除けの石ともされております故。ご安心いただいて、よろしいかと」

「そうか」

 ロジェスはほっとしたように言った。ファドックの様子が変わったとは、特に感じないようだった。

「ところで、閣下」

 ファドックはそのまま続けた。

「そのお話は、シュアラ様から……?」

「翡翠のか?」

 ロジェスは尋ね返し、ファドックはうなずいた。

「王家の女性が祈る、という話ならばシュアラから聞いたが」

「最初に……翡翠の話を閣下のお耳に入れたのは」

 ファドックは、自身の目に警戒が浮かばないようにしながら言った。ロジェスは、何を訊かれたのだろうというように目を細くし、わずかに顔をしかめた。

「何故、そのようなことを気にする?」

 それはただの疑問のようであったが、奇妙な響きを帯びているようにも聞こえた。

「魔除けの力を持つとしても、ただの宝玉だとそなたは言うのだろう? その話を誰が私にしたかが、何か重要なのか?」

「――いえ」

 ファドックは引いた。

「もし、城の宝玉が不吉だと触れ回る者がいるのなら、けしからぬと思ったまでです」

 その返答にロジェスはただ、成程とうなずいた。

「……では」

 数(トーア)のいささか不自然な沈黙ののち、ロジェスは言った。

「その翡翠は彼女に害にならないのだな」

「決して」

 ファドックは短く答えた。ロジェスが話を戻したことには、気づかないふりをした。

「いいだろう、それを聞きたかったんだ、隊長。時間を取らせて悪かったな」

 侯爵は穏やかに笑うとそう言って、彼に退出を促した。

 浮かんだ疑念、それとも不安が、また黒い雲の影に隠れていくのに懸命に抵抗をしながら、ファドックは席を立った。

 何故、ロジェスはそれをほかでもない、彼に尋ねたかったのだろう?

 ロジェスに何かを吹き込んだのが誰であれ――その裏にいる存在はあまりにも明白であるようだった。そうでなければ、何故、ファドック・ソレスにそのようなことを尋ねるだろうか?

 だが退出の礼をしたファドックは、そのことに何の問題があるだろうか、と考えた。レンの第一王子が彼をどう嬲ろうというのであっても、翡翠とアーレイドが無事ならばそれでよい。

 苦い思いは闇の淵に沈んだままだ。

 かつて導師ダウが彼に見て取った戦い手(キエス)の光は、アスレンの魔力の下に抑えられたままである。

 かの王子が戯れにそれを解放するまで。


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