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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 第1章

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01 仕方がない

 夏の本番まではまだ少しあったが、それでも身体を動かせば汗をかくのに充分なだけの陽射しがあった。

 彼に与えられている夏服はいくらか軽装だが、軍兵士ともなれば暑いからと言って鎧を脱ぐ訳にもいかない。近衛兵の道を選べたことを神に感謝しながら青年は、ぱん、とひとつ手を叩いた。

「――よし、そこまで! 今日はもう上がりだ」

 一声を叫べば、訓練兵たちはざっと隊列を整える。

「解散!」

 それを眺めてからもう一度声を出せば、敬礼が様になってきた新兵たちはまるで何かの出し物のようにきれいに腕を揃えると、彼に礼をして立ち去った。

「……やれやれ」

 イージェン・キットは息をついた。

「俺も、板についちまったなあ」

 最初に兵士たちの指導を任されたときはおっかなびっくりであったが、半年もすればさすがに慣れた。少し前に新兵の数が増えたときはファドックが再び彼の前に立ってくれたが、近衛隊長ともなればそうそう指導にばかり当たっている訳にもいかない。初めのうちはファドックも――教え子にして部下の彼を気にするのか、訓練の出来映えを気にするのか――ときどき姿を現していたものの、このところはぱったりと顔を見せなくなっていた。

 仕方ないとは思うが、ファドックらしくないとも思う。以前の彼は、アルドゥイス前隊長の補佐のようなことをしていたが、それ以外にどこから時間をひねり出すして――護衛騎士本来の任務である――シュアラの傍に、シュアラが満足するだけいることができたのか、不思議に思うくらいであった。

 もちろん補佐と主任では仕事量にかなりの差はあるだろうが、それにしてもシュアラのもとにほとんど行くことがない――と、聞いていた――ほどに、忙しいものだろうか。中庭へ降りてきて、彼や新人に一声かける余裕すらないとは思えない。

 いや、通常の相手ならば、余裕がないのだろうと納得するところだが、ファドックは周辺にそう言う気遣いをさせない人間である。イージェンはそう思っていた。だから、妙なのだ。

 それでもやはり、仕方がないだろうと考える。

 無理はしないで任せてほしいと言ったのは自分なのだし、様子を見にこないということは信頼されているということなのだろうと、そう考えることにしていた。

 ファドックならばそれでも顔を出して、俺を信頼していないんですか、というような台詞のひとつも、吐かせてくれるはずだったが。

「イージェン!」

 かけられた声に振り向き、館内から手を振る姿を認めた彼はにやりとなった。近衛兵の役得のひとつだ。粒ぞろいの王室の侍女たちと親しくなれる。

「よう、メイ=リス」

 出向いていって挨拶をすれば、若い侍女は彼ににっこりと微笑んだ。

「いま、時間は平気?」

「一段落したところだ」

「よかった、少し話をしたいんだけどいいかしら」

「もちろん」

 彼はにっと笑った。王家に仕える侍女たちはどれも美人だが、ときどきあどけなさを見せるメイ=リスはなかでも彼の好みだった。

「話って何だい?」

「ファドック様のことよ」

 彼にでき得る限りの魅力的な笑みをたたえてそう言ったイージェンは、その返答に落胆しないようにした。

「何だ、まさかお前さんまで、ファドック様に手紙を渡してほしいと言い出すんじゃないだろうな」

 護衛騎士に近くいる彼にとって、それは珍しい話ではなかった。最初は渋々ながら応じていた彼だが、ファドックがいちいち丁寧に断りを入れていると知ってからは取り次ぐのをやめていた。

「違うわよ、馬鹿ね」

 しかし侍女はぴしゃりと言った。

「あなたなら、気づいてるんじゃないかと思って」

 その言葉に青年は片眉を上げた。

「気づいてるって、何に」

「だから……ファドック様のご様子が」

「……近頃、おかしいって?」

 青年が台詞を先取ると、娘はうなずいた。彼は天を仰ぐ。

「多くはそう思ってないみたいだけどなあ、さすがにシュアラ様付きとなれば気づくか」

「生憎と」

 メイ=リスは首を振った。

「私には判らないわ。言われてみれば、そうかなと思うくらい。でもレイジュは確信してる」

 イージェンは、成程とばかりにうなずいた。個人的に話をしたことはあまりなかったが、レイジュは本人が主張するほどには「見ているだけで満足」ではないらしく、機会を逃さずにファドックに話しかけるという点で、いちばん積極的な侍女として彼の印象に残っていた。

「状況も立場も変わって忙しいんだろう、疲れてるんだろうとは思うけどな、まあ確かに、らしくないことは多い」

「やっぱり、あなたもそう思うのね」

 今度はメイ=リスがうなずいた。

「それじゃ、彼女や殿下(ラナン)だけじゃないんだわ」

「シュアラ様に対しては、複雑なところがあるだろうよ。ご婚約されても態度は変えられなかったけれど、近衛隊長に推されちゃなあ。護衛騎士としての仕事は要らないと言われたも同然だろ」

 イージェンは、ファドックとふたりで話をしたときのことを思い出していた。シュアラの望むことは自分の望むことだと言い続けてきた騎士が、近衛隊長の任に就くことは自分の意思ではないと言ったことは、なかなかに青年を驚かせていた。

「殿下と、殿下付きの侍女に対しては、以前と全く同じ態度とはいかないのかもしれん」

「心にもないこと、言ってるでしょう」

 メイ=リスは指摘した。

「あなたも、おかしいと思ったんでしょう?……シュアラ様と関わりのない話をしているときでも、よ」

 イージェンは降参するように両手を挙げて、それを認めた。

「だが、全く変わらない方がおかしいとも思うな」

「それも、心にもないんじゃないかしら?」

「……半分だけ、な」

 イージェンは肩をすくめた。

「それで、メイ=リス。俺にどうしろって? 様子を見て、話でもしてこいって言うのか?」

 俺の言うことなんか聞く人じゃないんだが、とイージェン。

「優しい顔して、自分の決めたこと以外はきっぱりとはねつけるんだからな」

「いいのよ。ただ、レイジュの言葉に半信半疑だっただけだから」

 赤い目をして、絶対におかしいと言った年上の友人を思い出しながら、メイ=リスは言った。レイジュはどう(・・)おかしいのか説明しようとしなかったから――しようとしても巧くできなかった、というところかもしれないが――彼女とファドックと両方を心配はしても、いまひとつ納得がいっていなかったのだ。

「気になるのは……ブロックとテリスンと、ロジェス閣下ね」

「……何だって?」

 イージェンは聞き返した。

「ロジェス様以外の名前が、判らんのだが」

 メイ=リスは嘆息して、ふたりの新しい使用人の説明をした。

「成程。気遣いの天才みたいなファドック様を怖がるガキと、辺り憚らず憧れの視線を向ける新人か。前者は何か勘違いしてるんじゃないかと思うが、後者は珍しくないだろ」

「まあ、ね」

 メイ=リスもうなずいた。

「でもロジェス閣下ってのは、何だよ」

「あら、知らないの」

 彼女は意外そうに言った。

「近頃、増えたのよ。閣下が新近衛隊長を呼び出す回数が」

「何だって?」

 イージェンはまた言った。

「別に、おかしくないだろう。閣下は城にきて短いんだし、警護の話だろうとほかの何の話だろうと、ファドック様の助言を聞きたがったって」

「それ、矛盾(レドウ)よ、イージェン」

 侍女は言った。

「城にいらして短い閣下が、どれだけファドック様が信を置ける方かどうして判るの? 侯爵様が、いくら近衛隊長だからって平民のファドック様に意見を聞きたがると思う?」

「……なかには変わった貴族様もいるんじゃないか」

 言いながらイージェンは、メイ=リスの言葉の方が正しそうだと考えていた。

「それじゃ、何か? 姫様の護衛騎士を煙たがって、嫌味を言うために呼び出してるとでも?」

「まさか。ロジェス様はお優しい方よ。でもシュアラ様が気にするくらいには、ファドック様をお呼びになってるみたいだわ」

「判らんがね。ファドック様の様子がおかしいのと、ロジェス閣下の呼び出しと、どっちが木でどっちが種やら」

 〈木々が種を落とすのか、種が木々に育つのか〉との言い回しを使って、イージェンは肩をすくめた。

 その原因であるのがロジェスではなく別な人物であることなど、彼らは無論、知らない。


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