表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 序章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

240/301

10 好き勝手に操る、ということ

「我が都市のことでしょうか、殿下(カナン)? レンにご興味をお持ちですか?」

 寝台の横に立っていたのは、見知らぬ若い女、二十歳ほどの娘だった。シーヴは唸り声を上げて刀子を抜く。小さなそれを握ると右腕はやはり痛んだが、かまうつもりはなかった。

「また、そのような真似をなさるのですか。おやめください、情の(こわ)い」

 女は眉をひそめた。シーヴはじっと警戒をする。

「……忙しいことだな、俺を相手に何人もの術師を送るか」

「誤解をされておいでです」

 女は笑った。

「わたくしですよ、リャカラーダ様。違う肉体では、お判りいただけませんか?」

「――ミオノールか」

 苦々しいものを覚えながら、シーヴはその名を口にした。以前に彼に手を差し伸べたときと同じ百合(フオル)の香りがしたように思った。

その通りです(アレイス)。嬉しゅうございますね、違わずに見当ててくださいますとは」

「何の真似だ。それがお前の本当の姿か」

「これくらいに若い方がよろしゅうございましたか?」

 艶然として笑むその顔は、彼の見知るミオノールとは全く異なるにも関わらず、全く同じ印象を残した。

「それでしたら申し訳ありませんと言わねばなりません。わたくしの身体は……殿下に傷つけられたものですから、まだこういった移動には耐えないのですよ」

 シーヴは言われた意味を考えるようにじっと見知らぬ女――それともミオノールを見た。

「ここにあるのは私の心だけ。この肉体はただの入れ物です」

「成程」

 彼は判ったというようにうなずいた。つまり、彼が刀子をこの娘に振るっても、ミオノールを傷つけることにはならないという訳だ。予防線か、それとも脅迫かな、と砂漠の王子は考えた。

「何の用だ」

「お会いしたかった、ではいけませんか」

「恨み言を言うために?」

 シーヴは口の端を上げた。

「とんでもございません。傷はいまでも酷く痛みますけれど、殿下を責めるような真似はいたしません。それどころか、私はますます」

「俺に惚れた、と?」

 彼は先取った。女は笑う。

「ええ」

 ミオノール――の心を持つ娘――はすっと手を伸ばすとシーヴの左手を取った。彼はそれを振り払う。

やめろ(・・・)

「情の強い」

 彼女はまた言った。

「それで、惚れ抜いたついでに殺しにきたか」

「どうしてそのように不吉なお考えをするのです?」

 女は寂しそうに笑った。

「殺すときは我が手で――と言うことと、いますぐに命を断とうとするのは異なるものです」

「それはつまり、先の楽しみにとっておけ、と」

「ご理解がお早くて助かります、殿下」

 ミオノールは何とも美しい礼をしてみせると艶めいた微笑みを浮かべた。青年は寒いものを覚える。

「何をしにきた」

「お判りではありませんか」

「何であろうと、お前の話を聞く気などないがな」

 シーヴの台詞にミオノールはため息をついた。

「殿下はひとつも、わたくしの望みを叶えてくださいませんね」

「何故、俺がそのようなことをせねばならん」

「まあ」

 ミオノールは驚いたように目を見開いた。

「殿下は、等価交換、と言う言葉をご存知ありませんか」

「等価だと」

 青年は繰り返した。

「俺がお前から、換えねばならぬ何を受けたと言うんだ」

「砂漠の恋人に――再会を」

 シーヴは顔をしかめた。

「あれはただの、お前たちの策略だろう。俺の心からエイラを薄くさせようと言う」

「それもないとは申しません。けれど私は、ただ殿下に喜んでいただきたかったのですよ」

「好き勝手に操って、喜ばせるも何もないな」

「好き勝手に」

 ミオノールは繰り返すと面白そうに目を細めた。

「殿下は、ご存知でない。好き勝手に操ると言うのは」

 女の手が奇妙な動きをした。シーヴははっとするが――何の力もない彼には、それを防ぐことはできなかった。

「このようなことを言うのです」

 ミオノールは寝台に腰を下ろすとシーヴの頭に手を伸ばし、それを彼女の方に向けると唇を合わせた。彼はそれに抗うことができない。熱いものが喉を通った――ような気がした。

「私の身体ではないのが少し、残念ですが」

 女は口づけをやめたが、顔はほとんど離さないままでそう囁いた。

「このような簡単な縛りの術ではなく、殿下のご意志とは無関係に、私を抱いていただくように仕向けることも可能です。これが」

 女は指を鳴らす。

「好き勝手に操る、ということ」

 シーヴは猫のように身軽に女の前から飛び退いた。ミオノールは笑う。

「相変わらずお優しい。私のものではないこの身体を傷つけることを……厭われましたね」

 シーヴは歯がみをした。見抜かれている。目前の身体がミオノールのものならば、彼は――たとえ無駄でも――飛びかかって、腕の一本くらいへし折ってやるものを。

「けれど殿下。同時にそれは臆病でもあります。そのような弱さは何の勝利も生まぬもの。それならばむしろ、抗うことなく素直に欲情に火をつけて、この身体を抱こうとしてくだされば――」

 女はまた笑った。シーヴは不意に、頭痛を覚える。

「悦びのうちに、眠りにつくことができましょうに」

 彼は口に甘い味が残っていることに気づいた。何かを飲まされたのだ、と思う間にも頭の痛みは酷くなっていく。

「私の申し出を覚えておいでですか、殿下?」

 ミオノールの声がぼんやりと聞こえだした。シーヴは痛む頭を抱える。

「私は以前にも申し上げました。わたくしの館にご招待いたしましょう、と。殿下はそれを断られましたが、改めて申し上げます。このような宿は殿下には相応しくありません」

「そのような冗談は……もう、たくさんだ」

 ふらつきだした身体に気づきながらも、シーヴは言った。ミオノールが感心したような顔をするのまでは見て取れなかった。

「殿下に魔力も、それに類する力もないというのは驚きですね。それとも……」

 女は考えるような口調で言った。

「一緒にいた吟遊詩人が、何か策を?」

 頭のなかに破鐘のような音を覚えながら、シーヴは女を睨みつけた。クラーナに手を出させる訳にはいかない。守ると言ったこともあれば、彼が「元」とは言え、リ・ガンであったと知れたら、この連中がどうするか。

「ああ、ご心配には及びませんよ、殿下」

 ミオノールはにっこりとした。シーヴの視界は霞がかっていて、幸か不幸かその笑みは見えない。

「彼のもとには、我が師ダイア様が向かっておりますからね――」

 その声が音となって彼の耳に届く頃には、シーヴの目の前は暗くなっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ