05 何か変じゃないですか
「あれ? でも、ちょっと待ってくださいよ。サズがレンの王甥なら……その父親は」
「王妹の夫、王の義弟だな」
「……何で、カーディルにいるんです」
「さてな。振られたんじゃないのか」
振ったなら大したものだが、などと伯爵は言った。
「レンと言うのは魔術師の街なのだろう。そうでない者は受け入れられないとも考えられるが、まさか住民の全てが魔術師でもあるまいし、第一、魔術師の子が魔術師であるとも限らんしなあ」
魔力というのが必ずしも親から子へ受け継がれるものではないことは、魔術に縁のない人間でも知っていることだった。
「サズは、普通の基準で言えばものすごい魔術師ですよ。ただ、それでもアスレンには及ぶべくもない」
「アスレン」
ゼレットは繰り返した。
「お前とサズはその名を口にしておったな。何者だ」
「レンの第一王子。翡翠を巡るこの件に厄介ごとを引き起こしてる張本人です」
エイルは唇を歪めて言った。
「あいつさえちょっかい出してこなけりゃ、俺はもっと楽にこの件を終えられてるはずなんですが」
「何と」
ゼレットは言った。
「では俺は、その男に感謝せねばならんか? こうしてお前を引き止めていられる」
「それは、あまりにも、笑えない、冗談なんで、やめてください」
エイルは一言ずつ区切ってそう言った。伯爵の眉が上がる。
「そいつとの間に何があった」
「あいつは……俺を縛ろうとした」
「……そういう趣味か」
エイルはゼレットの返答に三秒考え込んだ。
「違いますよっ! いや、あいつの趣味なんか知りませんけど、そういう話をしてるんじゃないですっ」
「判っとる。冗談だ」
謝罪の仕草をしながら言うゼレットに、本当に判っているのだろうかと疑惑の目を向けながら、エイルは続けた。
「あいつは、俺を……リ・ガンをモノのように思ってる。翡翠を目覚めさせるために必要な、道具」
「お前を拐かしたのは、そいつか」
「そうです」
エイルは苦々しく思い出しながら言った。
「正確に言えばその魔術を使ったのは違う男だったけど、裏にはあいつがいた。俺はどうにかそこから逃げ出したけど、あんな強い力にぶつかったことで休まなきゃならなくって……リ・ガンに許されたある場所で、身体を休めてました」
〈女王陛下〉の話を巧く伝えられる自信がなかったエイルは、そんなふうに省略をした。ゼレットは特に不審には思わなかったようだった。
「その間ですね、サズがきたのは」
「そうなるな」
ゼレットはうなずいた。
「あやつの祖父は俺の爺様の執務官だった。これはどうやら本当らしい。だが、親父の代になる前に辞めておる」
「何かあったんですか」
「いや、通常の退職だ」
エイルの疑問に、ゼレットは首を振って答えた。
「何の問題もなかったから、特にその後を追っておくこともなかったようだな。まさかその息子のトランがレンの女と結ばれるなど、誰が考える」
「レン王家の女、でしょう」
エイルは指摘した。ゼレットはうなずく。
「カンベル家は、取り立ててよい家柄と言う訳ではない。執務官に下級貴族の息子を取り立てるものもおるが、うちにはそう言った方針はなくてな」
彼の執務官たちは何も位を持たず、貴族の親戚も持たないと言う。
「別に、有能ならばどうあろうとかまわんが」
ゼレットはもっともなことを言って、話を戻した。
「とにかく、カンベル家はごく普通の町びとの家庭だ。どこをどうしてレンの王妹などに気に入られたのか、やはり翡翠が関わるのか、とも考えたが……」
「それはない、と思います」
エイルは言った。
「以前からそうしようとしていたなら、もっと早く動いてる」
「そうだろうな」
前にも述べたようにエイルは言い、ゼレットはまた同意した。
「それで、当人に会えなくて、誰に会ったんですか」
「おお、そうであった」
ゼレットはまた、手をぽん、と叩いた。
「話を戻そう。聞いて驚くなよ、エイル」
伯爵はにやりとした。
「トラン・カンベルはな、カーディルを出たことはない」
「は?」
エイルは口を開けた。
「え、でもそれって……その人はレンに行ったんじゃ」
「行っておらんようだな」
振られたにしても振ったにしてもこのカーディルでの話だ、とゼレットは言った。エイルは混乱しそうになった。
「どうしてそう思うんです。それじゃ王甥がどうの、父親がカーディルの人間だの、全部嘘かもしれないとは思わないんですか」
「いや、それがな」
ゼレットは腕を組んだ。
「俺も最初はそれを疑った。だが、いたのだ。サズによく似た、異母弟がな」
色気には欠けるがなかなか実直で、あちらの方が好みだ、などと伯爵閣下は続けた。
「彼がサズと血縁関係にあるのは間違いない」
ゼレットはうなずきながら言った。
「あれだけ声が似ておれば、暗がりならば判らぬな」
ゼレットの言う「暗がり」の意味は考えるまでもなく、エイルはうなり声を上げたがそれについては何も言わないことにした。
「でも、それじゃ、つまり」
「レンの王妹殿下がカーディルを訪れ、うちの町の若者をたぶらかして、子を為したと言うことになりそうだが」
「……何か変じゃないですか、それ」
エイルは呟くように言った。
「何しに、カーディルにきたんです」
少年は当然の疑問を口にした。
「知らん」
「カーディルに何か、レンの気を引くようなものがあるんですか」
「知らん」
ゼレットは口髭をなでた。
「〈翡翠〉以外はな」
「でも」
「そうだ、繰り返しになる。六十年――それとも、サズが生まれた頃……二、三十年前からそれを狙っていて、これまで何も動きがないと言うのは確かに不自然だ」
「……判らないな」
エイルは首を振った。
「そうか。お前が何か知っているのではないかと思ったのだが」
「何も」
少年は嘆息した。
「俺は、〈鍵〉の居所すら掴めないんですよ。簡単に判ると思ったのに、情けない」
「シーヴを探しとるのか」
「ええ、あいつと、その隣にいるはずの……」
エイルは躊躇った。伯爵にどこまで話したらいいだろう。だが彼はすぐに心を決めた。
「前期のリ・ガン――俺の先輩です」
ゼレットの眉が上がった。
「爺様か。婆様か」
「ご安心を」
エイルは片手を挙げた。
「少なくとも見た目は二十半ばくらいですよ。彼には安心材料じゃない気がしますけど」
「男か」
「それは、まあ、その、俺の先輩なんで」
エイルは咳払いをした。
「両方、です」
ゼレットになら言ってもかまわないような気がした。聞いた伯爵はにやりとする。
「ほう。それは、よいな」
「駄目ですからね」
エイルは釘を刺した。
「妬くな、俺はお前に夢中だ」
「いい加減にしてくださいってば」
少年は本当に呆れてきた。
「ゼレット様がサズの異母弟に手を出そうがシーヴを気に入ろうがかまいませんけどね、その趣味のない男にしつこくするのはやめた方がいいですよ」
「俺はその気のない相手にはいつまでもかまわんし、男であればなおさらだ。第一、無理強いなどしたことはないぞ」
「……さっきのは何ですか、さっきのは」
「あれは、ちょっとした親愛の情だろう」
ゼレットは右肩をすくめてあっさりと言い、それに女であっただろうが、とつけ加える。
「だいたい、俺が本気なら、お前がどちらの姿であっても……いまごろは」
「ええい、やめてくださいっ」
あまりしたくない想像をさせられそうになったエイルはまた伯爵をとどめた。
「何でもかんでもそれに持ってかんでくださいっ。たまには真剣になってもらいたいもんです」
「何と」
伯爵は傷ついたような顔をした。
「俺は、いつでも真剣だ」
「そりゃ、もっと問題だと思いますね」
少年はげんなりと指摘した。




