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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第1話 翡翠の宮殿 第2章

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06 縁があったら

 とは言え誰も聞いていない、というクラーナの台詞には賛成だった。小さな声で話せば、誰も気にしまい。辺りをうろつく給仕の少年たちは奇妙に思うかもしれないが、何しろエイルにはファドックが声をかけてくるくらいなのだから、招かれた吟遊詩人と話をしていても慌てて彼をとめたりはすまい。

 それどころか、「機械」の彼らは彼らなりの常識を心得ている。聞こえてしまうものは別として、こっそり話しているらしい人々の話には耳をそばだてないものだ。

「さっきの? どれのことかな?」

 歌いすぎて判らないよ、とクラーナは顔をしかめ、のどを押さえた。

「ほら、最初の、やつ」

「最初……『水辺の鳥姫』だったっけ?」

「違う違う、食事のあと、陛下に所望されて歌ったやつさ。即興の」

 翡翠の宮殿――という言葉を口にするには覚悟が要った。

「ああ」

 クラーナは思い出したようにうなずく。

「あれね。世辞にもいい出来だったとは思わないけど。ただのおべんちゃらだし」

 姫君には喜ばれたみたいだけどね、と吟遊詩人は悪戯っぽく片目をつむった。

「あのさ」

 エイルはどう話せばいいか迷った。どこからどこまで、話せばいいと?

「翡翠の、宮殿」

 心を決めて、その言葉を口にした。

「って、何の、ことなんだ」

「何って」

 クラーナは笑った。

ここのことだよ(・・・・・・・)

「……何だって?」

 エイルは目をぱちくりとさせた。どういう意味だ?

「どういう……意味なんだ?」

 浮かんだ疑問をそのまま、口にする。吟遊詩人は肩をすくめた。

「僕の評判を聞いていない? 魔術や呪文の類に使う言葉というのは、単独で口にしても力はないけれど、いい雰囲気を出すものでね。歌に謡うにはいい小道具なんだ。もちろん、ある程度の知識と才能がないと歌い込むのは難しいと思うけど」

「待てよ、何を言ってるのか」

「判らない? そうか、知らないのか。『アーレイド』というのは、魔術師たちの使う古い言葉で、翡翠を意味するんだよ(・・・・・・・・・・)

「――何、だって?」

そう(アレイス)。だからさっきの僕の歌はアーレイド城に住む姫君を讃える歌なのさ。当然、陛下や殿下はご存知でいらしたね、喜ばれたもの」

「ま……待ってくれよ」

 エイルはもう少しで盆を取り落としそうになる。

「アーレイドが、翡翠? ここ(・・)が、翡翠の宮殿(ヴィエル・エクス)だって?」

「そう歌ってみせただけさ、きれいな響きだろう?」

 ヴィエル・エクス、と吟遊詩人は繰り返した。

「ここはそのひとつに過ぎないけれど」

「……何?」

 クラーナの呟きを――しかしエイルは聞き落とした。

「何とも、胸に沁みる響きなんだ。僕にとってはね。もしかしたら、君にとっても、かい?――エイル」

 だが吟遊詩人はその言葉を繰り返さず、逆に尋ね返してきた。そしてすっと近寄り、その距離を短くする。

「アーレイドの意味を知らなかった君が、僕の歌に興味を持ったのは、何故?」

 どきりとした。

「自分を卑下するつもりはないけれど、ありがちな歌だっただろう? まあ、少しは『神秘的』だったかな。でも君みたいな少年がそそられるような冒険も戦いも、さっきの歌にはないのに」

「え、いや、それは……その」

 エイルは口ごもり、フィエテから目を逸らした。

 即興に過ぎなかった「翡翠の宮殿」、アーレイドの名が持つ意味、そして――予言。

「何か、人には言えない重大な秘密でも? 言いたくないのならば無理に言わなくてもいいけれど、僕の方こそ気になるな。あの歌のどこに、君が興味を覚えてくれたのか」

 エイルは顔を上げた。

 アーレイドが翡翠を意味すると、目の前の男は言う。

 では、彼が受けた言葉はそれなのか。ここにくるという予言なのか。それだけ、なのか?

 これは、はじめての手がかりかもしれない。そしてこれを逃せば二度と手の届かないものになるかもしれない。

 予言の――意味。

 気にしてなどいないと言い張ってきた、彼の根っこにずっと埋まっている、もの。

「俺、予言を……受けたことがあるんだ」

 エイルは心を決めた。

 魔術に近しいらしいクラーナならば、予言というものを笑い飛ばしはしないだろうと思ったこともあるが、何より彼らのどちらもが聞きたがっている。それぞれの、話の続きを。

「俺はいつか、翡翠の宮殿に行くだろう、って」

 簡潔にそれだけを言った。ふたつの心が云々、と言う話はする必要がないし――もし必要にになれば、そのときに話せばいい。

「そんなの、信じてる訳じゃないけど、でもさ。何て言うか、忘れられなくて、ときどき、気になってたんだ」

「へえ、成程。それじゃその予言は成就したって訳だ」

 クラーナは肩をすくめた。

「片鱗たりとも当たる『本当の』予言なんて少ないのだけれど、ね」

「当たったんだと、思うかい?」

 エイルは思わずそんなふうに言い、しまったと口を歪めた。

 アーレイド城が翡翠の宮殿だとクラーナは言った。それならば予言は当たったと、それだけの話ではないか。案の定、詩人は不思議そうな顔をする。

「ほかにも何か、あるのかい?」

「ほ、ほかって」

「君がその占者にもらった『予言』さ。何か面白い話があるんじゃないか?」

 あるさ――と呟くのは、心のなかでだけだった。

(吟遊詩人が喜んで歌にしそうな話がな。ふたつの色に分かれた心……だなんて)

「いや、何もないよ」

 エイルは、少し考えたふりをしてから首を振った。クラーナはそのまま数(トーア)、少年をじっと見る。

「そうだろうね。なかなかそんな、詩になるような話も転がっていないだろうね。――ただ」

 ふっとフィエテはエイルの耳元に口を寄せた。

「これだけは覚えておくといい。君に関わる『アーレイド』、それとも『ヴィエル』の意味と、予言という行為の属するところ。それは――魔術の領域に近い」

「なっ、何だよ」

 エイルは身を引いた。

「気になることがあったら、魔術師協会(リート・ディル)を訪れるんだ。リックという導師に、クラーナの紹介だと言えば通してもらえるよ」

「なっ、何、言ってんだよ」

 エイルは、全く心当たりがないことを言われた人間が困った末にやるように、笑ってみせた。いささかその笑みはひきつっていただろうか。

「俺には、協会(ディル)に行くような用事なんて」

「判ってるさ」

 少年の言い訳をクラーナは遮った。

「『もし』あれば、だよ」

 人の好さそうな笑顔を浮かべて吟遊詩人は締めくくり、弦楽器(フラット)を持ち直した。

「さて、休憩は終わりと行こう。僕の務めは歌を歌うことだからね。たとえもう、諸侯方が僕のことなんか忘れてるにしたって」

 詩人はエイルに笑いかけた。

「それじゃね、エイル。縁があったら、また」

 手を上げると、詩人はエイルの肩をとんと叩いた。それに、エイルはふらついた。盆の上の玻璃の杯が、そんな無遠慮な扱いに上品な音で抗議する。

 フィエテは決して、力を込めて彼を押したりしなかった。むしろ、叩いたと言うよりも軽く手を乗せたとでも言う方がしっくりくる。

 なのにエイル少年は足元を危うくした。と言うのも、彼が受けた衝撃は、詩人のその手から、まるで小さな(ガラサーン)でも発せられたかのようで――。

 それは、彼がファドック・ソレスに触れられたときの衝撃に、あまりにもよく似ていた。

 少年はひとり、その場に残された。

 いまの出来事――吟遊詩人の言葉と、置かれた手から感じたもの――に呆然とした少年は、気づいていなかった。

 彼は、クラーナに名乗ってなどいなかったことを。


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