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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第6話 秘められしもの 第4章

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05 理由は判っただろう

 〈指輪箱〉亭の食事処はいつも繁盛していた。

 夕刻ともなれば小さな店内は満員となり、揚げものや肉を焼いた食欲をそそる香りで満ち、陽気な話し声でいささか騒がしいくらいだ。

 ヒースリーは軽い食事を取ると自身の宿に戻ると言った。ふたりの男は、前回と同じような忠告、或いは警告を交わして分かれを告げた。握手をするとまではいかなかったものの、以前よりは和やかな挨拶だったのは――それはいま、彼らの間にエイラがいないためであったかも、しれないが。

「……あいつは今度こそ、関わりをやめるかな」

 賑やかな食堂でシーヴは呟くように言った。クラーナは軽く片眉を上げたが、青年が彼に答えてほしいと思っている訳ではないのを見て取ったか、何も言わない。

「さて、吟遊詩人殿(セル・フィエテ)

 不意に口調を変え、シーヴは声を出した。

 きれいに平らげた揚げ鳥や根菜の煮込みものの皿が片付けられるのを見守りながら、シーヴはアスト酒の杯をもてあそんだ。

「俺がこれから行く先は決まってるが、お前はどうする」

 クラーナはシーヴを睨みつけるが青年は平然と酒を口にし、少しにやにやしていた。

「どうしたらそんな呑気な顔をしてられるのやら」

 クラーナはため息をつく。

「君がそこまですることはないのに」

「エイラは俺に、あの玉を追えと言った」

「それは、まだレンの手に渡っていないと思ったからだよ。彼女はそれを望んじゃいない。あれのことは忘れよう。動玉なら……目覚めなくたってそんなに問題はない」

「『そんなに』」

 シーヴはにやりと繰り返した。

「『全く』とは言えないところが正直者だな?」

「嘘はつかないと約束したからね」

「隠し事はしても、な」

そうさ(アレイス)

 クラーナはあっさりとそれを認め、今度はシーヴが詩人を睨んだ。

「何故、隠す?」

「女王陛下のご意思、と言えたら簡単だけど、生憎とその制約は外されつつあり、僕は君に『言えない』んじゃなくて『言いたくない』ことが増えている」

「俺は、お前が判らん、詩人」

 シーヴは言った。

「お前はエイラを救い、俺を救う。例の女王様の下僕だなどと口にして〈宮殿〉にも出入り自由ときた」

「自由じゃないよ、僕が招かれたのは本当に久しぶりだったんだからね」

「まあ、それはいいさ」

 砂漠の青年は肩をすくめた。

「そして同時に、ランドを操り、ヒースリーを操って……動玉とやらを操った」

「……何か誤解をしてないかな」

「いいや」

 シーヴは首を振った。

「お前にそのつもりがなくてもいい。ランドが俺にそれを示したのも、ヒースリーに渡したのも、お前の言葉が裏にあったからじゃないのか。ヒースリーのアーレイド行に関わっているかは知らんが、奴がフラスにくるのに合わせて俺をここへ連れてきて、あの魔術師……バイスのもとへも連れて行った。奴は翡翠を持っていて、その背後には陰気臭い魔術師がもうひとり」

「それは、どういう疑いなのかな」

 クラーナはライファム酒に口をつけながら言う。

「僕が、レンの手先だとでも?」

「そうは言わんさ」

 シーヴは渋面を作って言った。

「奴らがそんなまだるっこしいことをするとも思えん」

「どうかな。長い時間をかけて〈鍵〉の信頼を得て、それから欺くつもりかも。まあ、相変わらず僕は、君の信頼を得ているとは到底言い難いみたいだけどさ」

 クラーナはそう続け、シーヴを疑い深いと糾弾するどころか逆に楽天的だと指摘した。

「君は充分、レンの怖さを理解していると思う、シーヴ。それなのにまっすぐ、彼らに対抗しようとする。エイラのために? それが彼女のためになると思う? 君が突っ走って命と引き換えに翡翠を取り戻したとして、それがリ・ガンのためになると? ならないよ、シーヴ。〈鍵〉を守りきれなかったリ・ガンには罰が下るんだから」

「出たな」

 シーヴは唇を歪めた。

「お前のお得意だ。話を小出しにして、俺を煙に巻くのさ」

「君はそう簡単に巻かれたりしないだろ」

 クラーナは言った。

「罰とは、何だ」

「――〈鍵〉を失ったときから、リ・ガンはリ・ガンではなくなり、かと言ってただの人間になると言うのでもない。翡翠の女王様の下僕となって、狂った歯車を戻さなくてはならなくなる。六十年をかけて、眠れる翡翠を見守り、動玉の在り処を把握し、いつ、どこに生まれるかも判らない次のリ・ガンと〈鍵〉を求め、自らの狂わせた歯車が彼らをすれ違わせることがないように……」

 ここでクラーナは肩をすくめた。

「そうだね、操る、と言われても否定できないかもしれないな。正しい道に導くつもりではあったけれど、君にしていれば余計なお節介だったかもしれないね。僕は、君とエイラが出会うよう……操った」

「――何だと」

 シーヴは目を細くした。浮かぶのは警戒? いや、そうではない。

「いったい、お前は何を」

「そうさ」

 吟遊詩人は肩をすくめた。

「僕は、前回の〈変異〉の年をよく……覚えてるよ。与えられた使命を何ひとつ果たせず、僕のその後の運命を決定づけた年。僕の〈鍵〉との完璧なつながりと、それが断たれた日。その瞬間のこと」

 クラーナはすっとシーヴに視線を合わせた。

「君は不思議と彼に似ているよ、シーヴ」

 女王陛下は君たちみたいなのはお好みなのかな、などと――特に茶化す口調にもならずに、吟遊詩人はつけ加えた。

 何気なく発せられた言葉の意味にシーヴは気づいた。

 リ・ガン。前回の〈変異〉の年の。

 まさか――と思う。だが、そう思うのはシーヴの現実的な側面、「理屈」を考える部分だけだった。

 砂漠の青年は、知った。その言葉が真実であること。

 そして吟遊詩人もまた、砂漠の青年が理解したことを――理解した。

「完璧なつながりが二度と戻らないと知りながら生きることがどんなにつらいか、君には判らないだろう。君も、判るふりはしないだろう。ただ、これだけは言っておく。君はあれをエイラに味わわせてはいけない」

 その瞳は、いつも吟遊詩人が見せている陽気な色を持っていなかった。

 そこにあるのは、彼の外見が持つ二十半ばほどの若さはなく、六十年を超える年月を当てなく放浪してきた故の疲弊――それとも、元通りにならぬ歯車どころか、リ・ガンと翡翠を巡る仕組みを根底から覆そうとする魔術都市の台頭への不安、「女王陛下の下僕」が罰として背負わされたありとあらゆる苦悩だったろうか。暗い色は数(トーア)、そこを支配し、不意に、消えた。

「さあ、これで僕が君らの事情に詳しい理由は判っただろう」

 吟遊詩人(フィエテ)はライファム酒を飲み干すと、給仕に次の一杯を要求した。

「僕の忠告に耳を傾ける気持ちも強くなったんじゃないかい」

 砂漠の青年は、その話が本当ならな――と言おうかと思った。だが、では(・・)そうなのだ(・・・・・)という思いはシーヴの内にあまりに強く、彼は皮肉を言う気になれなかった。

 かと言って素直にうなずく気にもなれず、彼は曖昧に何か呟いた。これは、クラーナに対して意地を張っているのではない。言うなれば彼は、自分自身に対して意地を張っていた。

「お前の言うことは判った。そのつもりだ。だが、俺の心は……変わらんよ」

「馬鹿はやめるんだね」

 いつもの口調に戻って、吟遊詩人は言った。

レンに(・・・)乗り込もう(・・・・・)なんて、死にに行くようなもんだよ」

 顔をしかめてクラーナは言う。

「君がひとりで無駄死にするのは勝手だけど、僕はエイラをあんな目に遭わせたくないし、せっかく戻りつつある歯車を木っ端微塵に打ち砕くような真似もしたくない」

「目の前にちらつかされたのに、取り返せなかった」

 シーヴは呟くように言った。

「エイラにはあの(ぎょく)が要るんだろう。取り返せなかったのは俺の落ち度だ。俺は、行く」

「行ってどうするの。門を叩いて、翡翠を返してくださいって言うのかい。それとも魔術の網が張り巡らされた街に忍び込んで、その魔術師を探す? 馬鹿は休み休み言うんだね」

「なら」

 しかしシーヴは特に腹を立てる様子も見せずに片眉を上げた。

「お前には案があるのか」

「案なんて、ないよ。言うべきことは、あの都市になんか近づくなってことだけ。唯一にして、最大の助言だね」

「お前に一緒にこいとは言ってないだろう」

「言われなくたって行くさ。どうしても君が行くつもりならば」

 顔をしかめて言うシーヴに、だがクラーナはきっぱりと言った。

「それじゃ」

 ゆっくりとシーヴは言った。

「お前は、レンに対抗できるのか?」

 青年のそれは皮肉ではなくただの疑問だった。クラーナは肩をすくめる。

「さてね、どうかな。エイラにはもちろん、女王様は力を貸す。でも僕は彼女の言いつけを守れなかった悪い子だからね、覚えがよくない」

「おかしな話だな」

 シーヴは言った。

「〈女王様〉は翡翠をレンに渡したくはないんだろう。なのに、お前への()のために、それを見過ごすかもしれないと言うのか」

「そうじゃないよ。彼女が目的より嫌がらせを採る訳じゃなくて」

 クラーナは少し笑った。

「本来在るべき形とは違う僕では、彼女の力を存分に借り受けることができない、ということ」

「だが、それを決めるのも、あの存在じゃないのか?」

「それは、そうかもね」

「ならば、あれ(・・)は」

 シーヴは〈翡翠の宮殿〉でかつて感じたかの存在を思い返した。

「俺の知る理で動く存在じゃない、な」

「だろうね」

 クラーナは答える。

「長年、彼女の意志に従ってる僕だって判らない。もしかしたらエイラには判るのかもしれないけれど」

 シーヴは片眉を上げた。

「お前も、彼女と同じ力を持つ存在だったんだろう?」

「ほんの一時さ」

 吟遊詩人は呟くように言った。

「リ・ガンである時間は彼女の方が長い。彼女は僕が知らなかった力を操り、僕が見ないものを見る。でもシーヴ」

 ふと、彼は不安そうに言った。

「君は……僕がそうだったと知ったからと言って、彼女を見る目が変わったりしないだろうね」

「する訳がない」

 と言うのがシーヴの答えだった。

「エイラは俺の〈翡翠の娘〉だ」

 お前は違うがね、とつけ加える。

「翡翠の()、か」

 繰り返したクラーナは、シーヴがどこまで理解しているかを計れなかった。

「彼女は、知ってるのか」

 シーヴの方ももちろんクラーナの内心など知らず、そんなことを問う。

「知ってるって、何を」

「お前の……ことだ」

「ああ」

 呟いてクラーナはうなずいた。

「――エイラは知ってるよ。でも、僕はこれから、彼女に言っていないことを君に話しておこうと思う」

 クラーナの言葉に、シーヴは微かに眉をひそめた。

「聞いてくれるかい」

 吟遊詩人は思い出すように目を細めた。

「あれは、前の〈変異〉の年のことになるよ。つまり――」


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