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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第6話 秘められしもの 第4章

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02 そう在るとよい

 少年は、不意にぎくりとした。

「どうした?」

 エイルが戸惑ったように左腰の辺りに手を当てるのを見て、伯爵は不審そうに言った。

「いや、何か一瞬……熱いって言うか、痛いって言うか……ここに感じたんですけど」

 首をかしげながら言う。

「気のせいだったかな」

 その奇妙な感覚は現れたときと同じように素早く失せていた。

「……どこか痛めているのではないのか。グウェスに診てもらえ」

 ゼレットは少し心配そうにして医師の名を口にした。エイルは肩をすくめる。

「何でもないですよ。それより」

 話を戻しましょう、などとエイルは言った。左腰にあるもの――ファドックから受け取った短剣のことは、このとき少年の脳裏には浮かばなかった。

「カーディル家の伝承のこと、聞かせてもらえませんか」

 少年がそう言うと伯爵は、これまでに告げた以上の話はないぞ、と答えた。

「間違った相手に渡せば、カーディルの破滅だと……いうのは、いったい」

 少年が問うと、伯爵は口髭を歪めた。

「嫌な話を覚えておるのだな」

「忘れませんよ、おかげで俺はゼレット様に疑われたんですから」

「何」

 ゼレットは顔をしかめた。

「俺がお前を疑うような真似をするものか」

「しました、しましたよ」

 エイルは素早くそう言って、伯爵の反論をとどめた。ゼレットは不満そうに息を吐いてから、続ける。

「俺は、お前が災厄をもたらすとは思わん。正しい目的だの方向だのがどうあろうと、お前が俺と俺の街に禍を為すとは考えておらん。災厄をもたらすならば――レンだ」

「そう……かもしれません。でもレンを呼ぶのは翡翠――もちろん、翡翠当人(・・)には、奴らを呼んでるつもりはないと思いますけど」

 そうか、とエイルは続ける。

「つまりゼレット様は〈守護者〉としてリ・ガンに翡翠を渡そうという気持ちよりも、翡翠が見出されることは再びレンを呼ぶと……それがカーディルに『破滅』をもたらすのではないかと怖れる気持ちの方が強いのではないかと、そう心配してるんですか」

「――翡翠が見出されれば、また、レンがくるか」

「判りません。ただ、可能性はある」

「可能性など、いつでもある。殊に魔術師たちはそう言うらしいな」

 ゼレットは背もたれに寄りかかった。質はいいが古びたそれは、伯爵の体重に少し声をあげた。

「正直に言えば、俺も……そう思っている。それを怖れる気持ちがないとも、言えん」

 彼がふと目をやった場所は、タルカス青年が倒れていたあたりであった。ゼレットは息をつく。

「どう思う、エイル。俺はお前が去れば寂しいと思う。だから、心の内にお前を逃すまいと翡翠を隠しているのではないかと考えた」

「もう、それはやめましょうよ。カティーラは『エイラ』でないとリ・ガンと認めないのかもしれない、って話になったじゃないですか。まだそれが合ってるかどうか判らないけど、どうであろうとゼレット様がそんなことするはず、ない」

 少年の否定にゼレットは薄く笑い、続けた。

「だがなエイル。それよりも俺は、お前がいなければレンに立ち向かうことができぬことを怖れて、お前を手放そうとしないのかもしれん」

「そんなの、もっとゼレット様らしくないじゃないですか」

 エイルは憤慨するように言った。

「あの腐れ占い師(ルクリード)に正面切って喧嘩売って……死にかけたゼレット様らしく、ないです」

「それは……褒めとるのか、非難しとるのか?」

「もちろん、非難です」

 少年はきっぱりと言った。

「されると困りますけど、無茶をやるのがゼレット様でしょう。……いや、だから、されると、困るんですけども」

「非難ではないな」

 ゼレットはエイルの繰り返しににやりとした。

「俺はな、エイル。怖がりだ。そして怖がっていることを知られるのも怖い。それでお前の言う『無茶』をやる。それが無茶でないくらいに自分は強いのだと思い込む。思い込もうとする。そして巧くいくこともあるが、たいていは拙い結果に終わる」

「何……言ってるんですか」

「俺は、お前が考えてくれているほどには強くないということだ。……そう在るとよいとは思うが、な」

 エイルを訪れる既視感。これは、ファドックが彼に言った台詞でもある。

(怖れも迷いも知らねば、強く在ることができように)

(そう在ると――よいな)

 不意に、アーレイドの景色が蘇った。

 ファドック・ソレス。ゼレット・カーディル。彼の翡翠を守る、ふたりの〈守護者〉。

(――ファドック様)

 黒髪の護衛騎士の姿が脳裏に浮かんだ瞬間、ぎゅっとエイルの胸が痛んだ。それは、郷愁の思いによる心の痛みと言うよりは――まるで、冷たい手で心臓を掴まれたかの、ような。

「エイル!」

 胸を押さえて足元をふらつかせた少年を見て、ゼレットはぱっと立ち上がるとエイルの元に駆け寄った。

「どうした。やはりどこか、悪いのか」

「違います、俺は大丈夫です。いまのは……」

 彼を支えるかのように肩に置かれた手について反論するよりも、エイルはただ息を整えた。

「ああ、クソっ」

 続けて呪いの言葉を吐く。

「消えちまった!」

「何がだ」

 ますます心配になったか、ゼレットはエイルを長椅子に座らせる。少年は、苛々と呪いの文句を吐き続けた。

「見えたんです、何か。なのにすぐ……見えなくなっちまった」

 忌々しそうにエイルは言った。

「何か……すごく重要なことだと、思ったのに」

「落ち着け、焦るな。一度判ったのなら、また必ず見える」

 ゼレットの言葉に、しかしエイルは首を振った。

「俺は……リ・ガンは翡翠の女神様のなすがままですよ。彼女が俺に見せまいと思えば、永遠にそれは見えない」

「ふん?」

 ゼレットは片目をしかめた。

「諦めが早いな」

「そういう問題じゃ」

 むっとして言った少年は、その髪にゼレットの口づけを受けて沈黙する。

「俺は、お前を諦めておらんぞ」

「そういう問題でもありません」

 苛々する気持ちが消えた少年は、だが礼を言う気にもなれず――言えば、伯爵閣下は調子に乗るに決まっている――むっつりと言った。

「考えてみろ。何が見えた。何が見えたと思う」

 伯爵はエイルの隣に座ると、肩を抱くようにした。その動作には抗って手を押しのけた少年だが、その言葉には従った。

「何だか……曖昧です。残った感覚は……」

 少年は目を閉じた。

「つながるべきものが、つながっていないような……」

 名を呼び、姿を思い出せば、必ずアーレイドの〈守護者〉はその任を果たしてくれていると信じられた。それが感じられなかったのだということは――しかし少年の内に残っていない。

「……判りません」

 少年は嘆息した。

 「準備ができるまで戻ってくるな」というファドック・ソレスの警告と同じ意図を〈翡翠の女神〉が持っているのかもしれない、ということもまた――「目隠し」をされたリ・ガンには伝わらなかった。

「大丈夫だ。お前に必要なことならば、きっといまに帰ってくる」

「ゼレット様」

 少年は、優しく彼を見る伯爵に視線を向けた。

「いっつもそうやって女性を口説いてるんですか」

 ゼレットの片眉が面白そうに上がった。

「これで口説かれていると思うのならば、成果が上がっていると見るべきだな。それならばもう一歩」

「お断りですよっ」

 抱き寄せられかけた少年は、また抵抗をした。

「もったいぶらずともよいではないか。せっかく、こうして隣り合って座っておるのに」

「座ってきたのはゼレット様ですっ」

 エイルが叫ぶように言うと、ゼレットは仕方がないとばかりに肩をすくめて悪戯を諦めた。

 〈守護者〉はリ・ガンを安定させる。ひとりの〈守護者〉の危難に鋭く反応したリ・ガンの動揺は、〈翡翠の女神〉ともうひとりの〈守護者〉によって鎮められた。――いまの彼にできることは、ないのだから。

「ならば、『話を戻す』か?」

 いささか不満そうにゼレットは言った。幸運の神に思わず感謝を捧げながら、エイルはこくこくとうなずく。

「ええとですね」

 考えながら、少年は口を開いた。

「誰が、いつ、何のために翡翠を隠したのか。俺はそれに引っかかってるんです」

「……ふむ」

 少年が何を語ろうとしているのか判らないまま、しかし伯爵は彼の話を聞いた。

「何のために。これは、リ・ガン以外の者から守るためだろう」

「以前にもレンみたいのがいたってんですか?」

「知らん」

 ゼレットはあっさりと言った。

「あんな奴らが二組も三組もいてはたまらんがな」

 エイルは苦笑した。

「誰が。いつ。これは難しい。爺様が何か言ったとしても、俺が覚えておらんからな」

「威張らないでくださいよ」

 少年は指を突きつけ、堂々と言ったゼレットは肩をすくめる。

「マルドにも聞いてみるか。俺の親父から伝承について聞いたことはあるそうだ。あやつもこの手の話は好かんはずだが、何かの手がかりくらいにはなるかもしれんぞ」

 行き詰まった彼らにとってそれはなかなかいい案のようであったが、マルド執務官が夢のような解決法を示唆してくれるとまでは、さすがに期待していなかった。

 ただエイルは、仕事中のゼレットに代わって初老の執務官を訪れ、時間を割いてもらった。ろくに言葉を交わしたことのない少年に話を聞かせてくれと言われたマルドは少し戸惑ったようであったが、拒否などはもちろんしなかった。伯爵の言を信じるなら、この少年は彼らの恩人であるのだ。

「本当に、こんな……翡翠だの隠されただのという話が事実なのかね?」

 それでもマルドは、疑っているというのではなく、ただどうにも信じきれないのだ、というような様子をよく見せた。

 その〈化け狐(アナローダ)の二本目の尻尾〉を見たような感覚はエイル少年にもよく判るものだったので、エイルはマルドを煙たく思うようなことはなかったが、マルドの方ではエイルにどう接していいのか判らない様子もあった。少なくともゼレットの命を救った少年を胡散臭いと思うことだけは、なかったであろう。

「私がヴェラス様――先代の閣下に伺った話はほとんどないのだ、エイル」

 マルドは言った。

「カーディル家には宝玉が伝わっていて、代々、それを守ってきた。周期的に訪れる存在にそれを渡し、ほかの者には渡さぬこと。それだけが役目で、その理由については伝わっていないと。その周期はヴェラス様の父君、つまりゼレット様の祖父君であるレヴォル閣下の代にあり、そのときは誰も宝玉を探しに訪れなかった。次の周期のときにはゼレット様が爵位を継いでいるはずだから、その話が本当であろうとただの伝承であろうと、ご自身には関係のないことだと」

「そうですか……」

 エイルは頭のなかでマルドの話を繰り返してみたが、特に目新しい話はなかったように思った。

 当然かもしれない。ゼレットよりマルドの方が記憶力が確かだとしても、聞かされたことはゼレットの方が多いはずである。

「翡翠だとは聞かなかった。家宝玉だとだけ。それはその年に姿を消して……レヴォル様にはもう、見えなくなったと」

 じっと聞いていたエイルは、はたと目を見開いた。

マルドさん(セル・マルド)、いま……何て?」

「うん?」

 マルドは、何を問われたか判らないように聞き返す。

「レヴォル様って、ゼレット様の爺さんですよね」

「……祖父君(・・・)だな」

 さり気ない訂正は、少年には特に感銘を与えなかった。

その年に(・・・・)見えなく(・・・・)なった(・・・)……ってことは、隠されたのはたかだか前回(・・)じゃないですか!」

 エイルは叫ぶように言った。マルドは何が少年を驚かせたのかよく判らなかったようであり、礼を言って踵を返し、走り出す少年に――去った少年には届かぬ返礼をしながら、何事なのだろうと首を傾げた。


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