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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第6話 秘められしもの 第3章

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07 鋭い見方

 少年は、嘆息した。

 白猫を見かけたという話は聞かれるようになったのに、どうしてもエイルはそれに行き合わなかった。

 一度、仕事中のゼレットの前に姿を現し、伯爵は執務官にエイルを呼びにやらせようとしたが、驚くべきことに彼女はゼレットの手に爪痕を残してまで、マルドの開けた扉から逃げるように飛び出したらしい。

 事実、逃げたとしか見えなかったと言う。

(いったい)

(何を考えてるんだよ!?)

 少年の苦情の相手はカティーラか翡翠(ヴィエル)か、それともやはり〈女王陛下〉であるのかもしれなかった。

 暗の月も終盤にさしかかっており、十三番目の月、時の月までは残すところあとひと月と少しになっている。

 翡翠を「捕まえる」ことにこれだけ苦労したリ・ガンがかつているだろうか、と少年は思い、いないであろうことに全財産を賭けてもよかった。と言っても彼の(ラル)はあらかたシーヴに託してしまったから、手持ちの残金はわずかばかりとなっていたが。

 カーディル城は、タルカス青年が休息を余儀なくされていることを除けばほぼ通常状態に戻っていた。そのタルカスも、頭ははっきりしているのだから動けなくても仕事はできると主張し、ほかのふたりの執務官やゼレットが普段より目に見えて忙しいということもなくなっていた。

「書類が届いてたよ」

「ああ、エイル。悪いな」

 青年は寝台の上に無理に取り付けた板きれを机代わりにして何やら書き物をしていたが、エイルの声に顔を上げた。

「お前に、俺の足の代わりをさせちまって」

「いいんだって。俺が間に合わなかったせいなんだから」

 少年の返答にタルカスはにやりとした。

「意識があればなあ。お前さんがあのクソ占い師をやっつけるところを見たかったよ」

 エイルはこれに苦笑した。彼は「エイラ」の姿でそれを為したのだから、タルカスに見られていればややこしい話になっただろう。

「カティーラを見なかったか」

「いや」

 青年は首を振った。

「じゃ、まだ見つからないのか」

「まるで、俺から逃げてるみたいだ」

 エイルは苦い顔をする。

「お前が助けてやったことを知らないんだろう。それとも知った上かな。(ミィ)は恩知らずだと言うし」

「噛みつかれるよ」

 にやりとしてエイルが言うと、タルカスは笑った。

「閣下の恋敵が受けるのと同じ扱いは、ご免だ」

 以前の訪城でエイルがタルカスと話をしたことは幾たびかあったが、それはゼレットの執務室であり、もちろん伯爵当人もそこにいたから、少年が彼と個人的に話をする機会というのはこれまでなかった。

 真面目一辺倒な執務官という第一印象はとうに拭われていたが、こうして言葉を交わすうちにいつの間にか友人のように話をするようになった。

 エイルはどこか懐かしいものを覚えていた。皮肉は多いが有能で、軽口を叩いてもゼレットを尊敬している。その様子は少年に、ファドックの教え子――エイルは知らぬが、いまやファドックの部下――である近衛隊員イージェン、ひいてはアーレイドを思い出させた。

「ああ、そう言えば」

 エイルは思い出したように、ぽん、と手を叩いた。

「タルカスに会いたいって女性(ひと)がきてたらしいよ。クレンが待ってろって言ったけど、仕事があるからって帰っちゃったって」

「何だって?」

 青年は眉を上げた。

「誰だ」

「名前までは聞かなかったな。クレンに確認してこようか?」

「いや、いい」

 タルカスは手を振った。

「予想はつく」

「恋人?」

「候補だ」

 青年は肩をすくめた。

「閣下に()られなきゃな」

 その言葉にエイルは笑った。

「まさか。ゼレット様だってそんな意地悪はしないんじゃないか」

「閣下にその気があろうとなかろうと、あの人は挨拶ひとつで女を()とすからな。油断ならん」

 エイルはまた、まさか、と言って笑い、タルカスはそれを面白そうに見た。

「実際、閣下の求愛を断り続けてる人間を俺はお前しか知らんぞ」

「そりゃ、俺は男に興味ないからね」

「まあ、それも不思議だが」

 タルカスの台詞にエイルは眉をひそめた。

「何だよ。俺にクジナの気があるはずだとでも?」

「違うさ、不思議なのは閣下だよ。女ならともかく、見込みのない男になんかいつまでもかまわない人なのに」

「聞いたんだろ」

 エイルは言った。

「ちょっとした、ややこしい事情があるんだ」

 「翡翠」にまつわるあれこれをそんな一言でまとめる。

「聞いたが、それはお前がこの城にいる理由になるだけで、閣下がお前にちょっかいを出す理由にはならないと思うね」

「ゼレット様は勘違いしてるだけだよ。あの人は魔術とかって嫌いだろ。なのに、その……翡翠を通して俺への繋がりを覚える。それが気に入らないから、翡翠なんかとは関係なく俺個人にかまいたいんだという『ふり』をするのさ」

「なかなか、鋭い見方だな」

 タルカスは少し驚いたように目を見開いた。

「しかし、俺たちの閣下を甘く見るなよ、少年」

 そしてにやりとする。

「あの人が嫌うのは魔術より何より、そんなふうに自分をごまかすことさ。閣下がお前に夢中なのが閣下の『勘違い』だとしたら、俺はもう一度サズに立ち向かってやるよ」

 青年の軽口に、エイルは――二重の意味で――冗談ではないと口をひん曲げたが、これ以上言葉を返すことは避けて肩をすくめた。「ゼレットがエイルに夢中」だと思っていないのは、カーディル城内でエイルだけときている。

「で、ゼレット様んとこに持ってくのはどれ? ああ、これだね。それじゃ、またあとでくるよ」

「悪いな、助かる」

 執務官の謝意に手を振って答え、エイルは大量にしるしのつけられた紙切れを数枚手にして青年の部屋をあとにする。

 こうして、彼はまるでタルカスの助手のようなことをしながら彼とゼレットの部屋を往復することが増えた。こんなふうに城内を歩き回り、いつでもカティーラ――と翡翠――の気配を探していたが、どうにもそれは見つからない。

 奇妙だった。

 確実に、翡翠は城内にあり、それは「エイラ」が以前ここと訪れたときに覚えた感覚と何ひとつ変わらない。

 いや、それどころかその気配は強く、濃くなっているというのに、何故その場所が判らない?

 何か致命的な誤解をしているのだろうか、とも思う。

 彼は、翡翠はカーディル城内で「動いている」と感じていたし、それが白猫を表しているという判断は間違っていないように感じる。

 だが、カティーラを追いかけて捕まえて、「隠された何か」を見つけようという考えは果たして正しいのだろうか。

 〈翡翠(ヴィエル)〉はリ・ガンに、早く目覚めさせろと呼びかける。翡翠という「モノ」に意思があるのだとしたら、それの望みは彼の力を受けることであるはずだ。

 だと言うのに、猫は彼から逃れる。それは何故だろう。

「――ゼレット様、タルカスからの預かりもんです」

「おお、ご苦労。すまんな」

 ゼレットはにこやかに少年を迎え、エイルは卓の向こうからそれを差し出した。ゼレットは残念そうな顔をする。

 と言うのは前回、伯爵の横に立って書類を渡したときは、彼は書類ではなく少年の手首を引いて「親愛の情を表そうと」し、エイルが怒るのを面白がったのだ。左肩が不自由であろうと何だろうと、それを気遣ってうっかり近づけば同じ真似をされる。されてなるか。

「カティーラはきましたか」

「いいや」

 伯爵の返答は短かった。

「俺までを避けるとは。面倒な女でも、逃げられれば惜しいものだ」

「何言ってんです」

 エイルは肩をすくめた。

「ゼレット様は、女性に関しちゃ〈漁村の隠者〉でしょう」

 貧しい漁村の片隅に暮らす隠者の物語――誰をも受け入れるが、去るものを留めることもない――を引用した少年は、再びゼレットの笑みを引き出した。

「お前は去らせたくないがな」

「まあ、当人を目前にして、いなくなってもかまわんとは言いませんよね」

 エイルは軽くそう言うと伯爵をうならせ、礼などしてみせて執務室をあとにしようとした。

「待て、エイル」

 その言葉にエイルは足を止めて振り返った。

「何です?」


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