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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第1話 翡翠の宮殿 第2章

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05 芸達者なフィエテ

 夕餉は終わっても、宴は続く。それどころか、宴ならばこれからだと言うべきだろう。

 シュアラと話をする「栄誉に預かっている」とは言え、彼はただの一市民にすぎない。当然、このような豪奢な大広間にくるのははじめてであった。

 その広さときたらまるで、城の中庭ほどもあるのではないかと、そんな気さえしたものだ。同じように明るく照らされた室内、敷かれた絨毯、高価な花瓶に見たこともない美しい花々、それの置かれた棚の彫刻、全ては一級品、エイルからしてみれば特級品で、きれいな靴をあてがわれているとは言え、本当にこのふかふかの床を踏みしめていいのか迷うくらいである。

 そしてそこで笑いさざめく貴族の諸候ら。

 まるで、とエイルは繰り返した。

(お伽の国、みたいだ)

 人形のように着飾った貴婦人たち、知的な会話をしている――ように見える――男たち。誰も彼も高級な衣服、衣装、飾り物で身を固め、嫌になるくらい上品な顔をして語らい合っている。

 エイルは銀の盆を持って颯爽と――と言いたかったが実際にはうろうろと、広間を歩き回った。ファドックの言ったように、クラーナは貴族たちに囲まれてひっきりなしという調子で何やら語ったり、主には歌い続けている。

 この詩人はその歌に魔術的な要素を絡める、と言う話だっただろうか。

 確かにクラーナの歌は不思議な響きを持ち、通り一遍の伝承歌であっても神秘的な雰囲気を漂わせている。美しいご婦人たちに囲まれても彼の光がかすまないところを見れば、城下町で評判になったも道理だ。

 神秘的な言葉を歌に織り込むと言っても、その歌が魔術であると言う訳ではない。とは言え、正式の魔術師(リート)が否定した訳ではないから、もしかしたらクラーナには何かしらの魔力があるのかもしれない。

 魅了の術を少しばかり自らの歌に乗せる詩人も稀に――魔力を持つ、と言うこと自体が稀である――いるが、それは技のひとつと解釈され、非難はされないらしい。

 それでも、広間の貴族たちや使用人たち全員に、いちどきに術をかけることなどできないだろう。大魔術師(ヴィント)でもあれば別かもしれないが、そんな能力を持っていれば魔術師として生きているはずなのだから、そのような「吟遊詩人」などまず有り得ない。

 つまり、クラーナは、吟遊詩人として一級品であった。

 要求された曲を何でも歌えることだけがその資質ではないが、少なくともそれは青年にとって苦にならぬようで、しかも望まれた曲が原曲どおりのものであるのか、彼自身の編曲を加えていいものかどうか、見事に判断をする。

 エイルがそこまで見て取ったのではなかったが、クラーナの歌への不満は、「評判の割に大したことはないじゃないか」というような()ぶった呟きすら、一切聞かれなかった。

 少年はそんな吟遊詩人を見ながら、かつ、なるべくシュアラとファドックに近寄らないようにしながら、自らの仕事を果たしていく。盆を運ぶ「機械」であることはあまり嬉しくなかったが、きらびやかな世界に触れているという現実は興味深く、エイルはクラーナの動向を気にしながら、彼なりにこの夜会を楽しんでいた。

「なかなか見事なものではないか」

「旅から旅への詩人だというけれど、品があるね」

「若いのに、ずいぶんと経験をしているのでしょう。伝承にも詳しいわ」

「声はもちろんだけれど、顔がきれいというのはいいものね」

「ジェール伯はどのように、彼を見つけたのかしら」

「何でも伯爵のところの下男が、城下で出会ったらしいわ」

「幸運なことね。詩人にとっても下男にとっても、わたくしたちにとっても」

「こうして宴が開かれるのは、アーレイドが豊かな証だ。この日々が続くとよいが」

「もちろん、続くとも」

 中味のあるような、何もないような、貴族たちの話し声。

 エイルは何となくそれらに耳を傾けながら――給仕の「礼儀」にはいささか反したが、それは別に「エイルの常識」ではない――広間を歩き続ける。

 王陛下と王女殿下は正面の高座に腰掛けてクラーナの歌や話を聞いていたが、少しすると彼を臣下たちに「解放」していた。マザドは諸侯らと言葉を交わし、シュアラはその連れたちと言葉を交わす。

 連れと言っても成年に達するかどうかの幼い少女か、シュアラより明らかに年上のご夫人方ばかりだ。同年代の姫が少ない、というのはどうやら本当らしい。

 淑女たちの「群れ」はエイルにとって紳士たちのそれより奇異なものに見えたが、それは城下では女性の固まりをあまり見かけなかったせいだろう。ふたり、三人ならば連れ立つ女性もいるが、五人、十人となると別だ。

 そして、ファドック。シュアラの周りを囲むのが美しくたおやかな女性たちであっても、護衛騎士は決してその近くを離れなかった。

 見ていたエイルは――本当はあまり、ファドックの姿を見たくなかったが――感心する。

 つかず離れずでありながら、シュアラにもほかの姫君にも邪魔にならぬ距離を保ち、万一にも何かがあれば――あるはずもなかったが――王女を守るに不足ない位置。

 ファドックは、いったい何年これを続けているのだろう。

 彼はいつから、シュアラ姫に仕えているのだろう。

 キド伯爵の「もとにいる」平民。ということは、本来は使用人か何かの位置だった、と思うのが自然だ。その彼が、何故王女殿下の護衛騎士(コーレス)になったのか?

 麺麭(ホーロ)職人の息子だと、ファドックは自身のことを言っていた。

 伯爵家お抱えの職人でもあったのだろうか。

 何となくそんなことを思って、首を振る。別にエイルには関係のないことだ。

 関係がない?

 本当に?

「……の姫君のお話、お聞きになりまして?」

「ええ、もちろんですとも。婚礼の話もそろそろ聞かれるはずですわ」

「伯爵が手に入れられた(ケルク)の噂を聞きましたぞ、ずいぶんと立派だそうですな」

「何の何の、まだまだ調教が必要です。よろしければ近々、狩りでもいたしますかな?」

「おお、それはぜひとも」

「先だっての貿易船だが、荷に珍しいものを積んでいたという話ではないか」

「何ですと? ああ、あの奇妙な男が船頭をしていた船のことですな。何でも、レンに荷を納めるのだなどという珍妙な噂が飛び交いましたが」

「まさか、かの都市がアーレイドの港を利用するなど。冗談にしても聞いたことがありませぬな」

「昨年の芸人(トラント)の一座を覚えておいでかしら。今年もまた、彼らのやってくる季節になりますわね」

「そうですわね、昨年の演目は忘れられませんわ。次はいったいどんな物語を演じるのでしょう」

「あのときの可愛らしい若者にまた会えるとよいのだけれど」

「まあ、ミオ夫人」

 特に聞き耳を立てているつもりはない。人々の間をうろついていれば、どうしたって耳に入るだけだ。

 いつの間にかクラーナという不思議な吟遊詩人(フィエテ)についての噂は聞かれなくなり、彼の奏でる音楽は次第にただの伴奏となっていく。

(成程ね)

 エイルは内心でうなずいた。

(ファドック様の言う通りだ)

「そろそろ、放免かな」

 背後の声に何となく振り向くと、にゅっと伸びてきた手が少年の盆から酒の杯を奪う。

「そろそろ、勝手に休憩をしても誰も気づかなさそうだ」

「あ」

 エイルは大声を出しそうになって、こらえる。彼の目前に突如、ふらりと言った調子で現れたのは、じっくりとその空き時間を狙っていた当の本人、吟遊詩人(フィエテ)クラーナだ。

「……吟遊詩人殿(セル・フィエテ)

「クラーナでいいよ」

 吟遊詩人は杯の中味を飲み干すと再びそれを盆におき、次の杯を取った。

「それで、何?」

「は?」

「僕を見てたろ。何か一曲ご所望かい? かまわないよ、そろそろ貴族様たちは僕に飽きたみたいだし」

 エイルは答えて良いものかどうか、逡巡した。

 喋ってはいけないと言われている訳ではない。ミーリが言ったように、貴族たちは給仕の少年たちが口を利くなどとは思っていないのだから、こんなふうに話しかけられることがないだけだ。

「あの……セル」

 エイルは、おそるおそる口を開いた。もちろん、目の前のフィエテを怖れたのではなく、宴の主役――口実でも――と気軽に口をきいてあとで叱責されぬかと思ったのだ。これまた「怖れた」というほどではなく、「迷った」程度のことだったが。

「セル、も要らないよ。ま、客人である吟遊詩人殿に無礼な口を利いていると思われたら困るっていうんなら、つけてもいいけど」

 先ほどから、この吟遊詩人が貴族たちに対して使っていた口調とは異なる砕けた物言いにエイルはにやりとし、慌ててその「下品な」笑いをおさめた。どうやらクラーナは上品な「ふり」も簡単にできる、芸達者なフィエテという訳だ。

「うん、まあ、そんなとこ。です」

「気にしなくても大丈夫。誰も聞いてないさ」

 そうだろうか? エイルは周囲を見回した。確かにいまや誰もが自らの日常に没頭していて、「客人」が使用人と話をしていても見とがめる雰囲気はない。

 だがシュアラがそれを目にとめれば、あとで必ず、何か言われるだろう。


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