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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第6話 秘められしもの 第3章

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04 薬草師を探す男

 気候はすっかり暖かくなっており、なかにはもはや「暑い」と不平を言う者もいるが、〈ビナレスの臍〉の異名を取るフラスの街は暑さも寒さも決して厳しくはない。

 まして、灼熱の砂漠を故郷に持つ青年にとっては、この程度の気候で汗をかく人間の身体構造が理解できなかっただろう。冬の寒さに弱いことを吟遊詩人にからかいの種にされた青年は、暑さに対しては〈西〉の多くの人間が信じられないほどの耐性を持っている。

 神殿(クラキル)を訪れたシーヴは、しかし違う種類の忍耐力を試される羽目になっていた。

 シャムレイでは、彼は特に短気な王子と言う訳ではなかったが、それでも第三王子が何か希望を言えば、誰しもが――苦い顔をしてまず説教をする第一侍従は別として――少しでも早くそれを叶えようと奔走した。

 砂漠の民の間では、彼はウーレたちと同じように過ごしたが、一度(ひとたび)彼らの信を得てミ=サスと呼ばれるようになれば、彼らはやはり、彼の希望に出来得るだけ合わせようとした。

 だから、彼には滅多にない経験であったのだ。何かを望んだとき、謝罪もないまま、放っておかれるように待たされる、というのは。

 彼らがメジーディス神殿(クラキル)を訪れたのは、もう三日前になる。

 初めは、答えられる神官(アスファ)が不在だと言われ、その次には、いまは答えられないときて、こうしてまたきてみれば、しばらく待つように言われたのだ。

 クラーナはその隣で、散々時間を潰されたシーヴ青年の機嫌が悪化の一途をたどるのを黙って見ていたが、ようやくやってきた神官長(ランジア)から返ってきた答えが「魔術師協会(リート・ディル)からの紹介状が必要です」の一言となっては、目前の神官長のために天を仰ぐしかなかった。

「……それで」

 青年は苛ついた様子を隠そうとしていたが、吟遊詩人に言わせれば、それはあまり成功はしていなかった。

協会(ディル)の紹介状を手にするには、魔術師(リート)の紹介がいると言うんだろう」

 神官長はそれを否定せず、シーヴは、もういい、とばかりに立ち上がった。

「そう、短気になるなよ。ほら、座って」

 クラーナはとりなそうとしたものの、もともとシーヴは神の加護をそう深く信じている訳でもない。砂漠の民の心は砂の神を敬愛するが、これは敬虔な信仰心とはいささか異なるものである。

 チェ・ラン少年の情報を頼りにしたと言うよりは、クラーナがそうした方がいいと言うからやってきてみただけで、シーヴ当人としては「魔力から姿を隠す護符」の必要性など覚えないていないのであった。

「あとは気長なお前に任せるよ」

 シーヴはそんなことを言った。クラーナは眉をひそめる。

「まだ、何もしてないじゃないか」

「そうだな、だが三日も待たされれば俺はもう充分さ」

 青年は吟遊詩人の肩を叩いた。

「それに、これはお前の提案なんだから、続けたいのならお前がやれよ。あとで宿で会おう」

 そう言うとシーヴはひらひらと手を振った。

「君はどうするのさ」

 クラーナは仕方ないとばかりに嘆息して、言った。

「俺は、そうだな」

 シーヴはにやりとした。

「今日も薬草師殿(セル・クラトリア)に偶然の再会でも期待して、街を歩くよ」

 エイラが聞けばそれを皮肉と取って嫌な顔をしただろうが、シーヴにはそんなつもりもなく、要するにじっと座しているのが気に入らないだけであった。

 慣れぬ神殿の雰囲気に凝った肩をもみほぐしながら陽光の下に出れば、そこは彼の好む賑やかなざわめきに満ちている。

 彼は数回目の訪問となるフラスを中心街区(クェントル)へ向けて歩き、雑踏に身を馴染ませた。種々雑多な人々の集まるこの街では、南方のようにシーヴの肌も目立つことはなく、じろじろと見られるようなこともまずない。

 先日の魔術師が言ったことが本当ならば、ヒースリーはまだこの街にいるかもしれない。

 偶然の再会、との言い方は何度か冗談のように口にしたが、万一にもあの薬草師が近くを通ったのにぼうっとしていて見逃した、などということがあっては馬鹿らしい。彼はここ数日そうしているように気を配りながら道を行き、同じように数日訪れている場所へ赴いた。

 即ち、市と――魔術師協会(リート・ディル)がそれである。

 何も紹介状とやらをもらいに行く訳ではない。ヒースリーが魔術薬の販売許可証を持っているという話は聞いていたから、手がかりのひとつにはなるかもしれないと思いつき、魔術薬を買いにきた薬草師がいなかったか、問い合わせていたのだ。

 この二日間は芳しい返答はなかったが、今日もまた行ってみる価値はあるだろう。

 中心街区の外れに南を向いて建っているその建物の内部は薄暗く、あまり雰囲気がいいとは言えなかった。

 シーヴは屋内に入るなり口を曲げ、三度目になってもどうにも気に入らないという様子を隠すことができなかったが、魔術師たちはそうした態度など見慣れたものである。わざわざ協会に出向いてまで魔術へ不審な目を向ける者は少数派ではあったが、珍しくはなかった。

「何か御用でしょうか、セル」

 この日の受付の術師もこれまでのものと同じように、それが仕事であるから、シーヴが胡乱そうに室内を見やっていても、気にせずにそう声をかけた。

「薬草師が魔術薬を買いにこなかったか」

 言葉を濁すようなことでもないので、青年は単刀直入に言った。魔術師の目に一(リア)、理解が浮かぶ。シーヴはそれを見て、「薬草師を探す男」のことが受付の術師たちの間で話題になり出したことを推測した。

「生憎と本日もどんな薬草師の姿も見かけておりませんが、セル。あなたに伝言ならありますよ」

「伝言だ?」

 シーヴは意外な言葉にまた、唇を歪める。

「ええ、そういう依頼を受けました。薬草師を探すあなたがまたきたら、話があるからすぐにバイス術師のもとを訪れるよう、伝えてくれと」

 魔術師の方でも言葉を濁す理由はなかったので、彼は簡単に言った。青年は数(トーア)考え、先日、扉越しに力比べをした魔術師の名がバイスであったことを思い出す。

「判った」

 シーヴは短く言うと踵を返しかけ――ふと思いついて尋ねた。

「その『依頼』はいつ、あった?」

「一刻も前ではないと思いますが」

 その答えならば、不自然ではない。シーヴはうなずくと続けた。

()から?」

 これは、重要であるように思った。

 彼には魔術師の知り合いなどいないも同然だ。だが、ひとつ――それともふたつ――だけ、ここで返ってくれば怖ろしい名前を知っている。「ミオノール」、それとも「〈ライン〉」。

 だが魔術師は何を言っているのかとばかりに肩をすくめて、もちろん、バイス術師本人です、と答えた。

 シーヴは少しだけ迷ったが、これは彼の前に差し出された〈道標〉であると取ることにした。そう心を決めると行動は早い。

 まさか、ほかに「薬草師を探す男」がバイスや協会と関わることもないだろうから、あの大男が呼ぼうとしたのはシーヴに相違ないだろう。いったいあの魔術師らしくない魔術師は何を思い直して自分を呼び戻そうとしたのだろうか、などと考えながら彼は街区を歩いた。

 考えたところで答えの出るはずもなく、彼自身もそのことは判っていた。考えるべきことならば、クラーナを探して連れていくかどうか、というようなことになるだろう。

 どう恍けたところで、クラーナが相変わらず「いろいろとご存知」であることは変わらない。同時に、不思議な力も持っている。バイスが彼にどんな話をしたいのだとしても、彼にはクラーナの知識――それともしかしたら魔力のようなものが必要ではないだろうか?

 だが、伝言は「すぐに」と言った。

 レンを怖れていたに違いないバイスが、そうして急ぐには理由があるのだ。

 遅れれば取り返しのつかないことになるやもしれぬ。

 青年は方向感覚と記憶を駆使して、どうにか再び先のあばら屋を見つけることに成功した。何となく呼吸を整えてそのぼろ戸を叩こうと手を挙げると、叩くよりも先にかちゃりとそれが開けられる音がする。

「……思ったより、早かったな」

「迅速第一と思ったんでね」

その通りさ(アレイス)

 髭面の魔術師は嘆息すると、先日はあれだけ頑なに閉じていた木の扉を簡単に開けた。きしむ音がする。

「あんたは心を決めれば行動が早い。そう言う人種だ。一方で俺は、自分の決めたことをぐだぐだと迷って、結局はいちばん最悪の道を選んじまう」

 そんなことを言いながらバイスはシーヴに入るよう、促した。外から見ると屋内は、魔術師協会よりも薄暗く、なおかつ不吉に見えた。

 などと言って、ここで躊躇うことには何の意味もない。

 青年は汚い家に足を踏み入れると扉を閉めた。

「俺に話があると言うんだな?」

そうだ(アレイス)

 男はまた同意した。

「どういう風の吹き回しなんだ。お前は――レンを怖れていただろう」

 その都市の名前を聞いて、バイスは嫌そうな顔をした。

「もちろん、怖ろしいさ」

 そう言うと彼は狭い部屋の真ん中にある簡素な卓につき、木の椅子をシーヴに勧めた。青年は、乱暴に扱えば崩れそうなその椅子をそっと引いて腰掛ける。

「魔術師じゃないあんたらがどう思うのか知らないが、魔術師にとってだって、レンなんて伝説みたいなもんだった」

 バイスは立ったままでそんなことを言うとうなった。

「それが、どうだ。突然、俺みたいな大したことのない魔術師に警告を寄越して、脅した。あれに逆らうくらいなら俺は、自分の母親を殺したっていいね」


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