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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第6話 秘められしもの 第3章

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02 許さんからな

 その伝言は、彼に混乱ばかりをもたらした。

 まずは――その、呼びかけである。

 エイラ、などと呼ばれればぎょっとした。彼はいま、少年の姿をしているのである。

 このカーディル城で彼のもうひとつの名を知っているのはゼレットだけであったが、伯爵が少年をわざわざその名で呼ぶことはないし、エイルとエイラに何か深い関わりがあると見ているミレインでも、もちろんそんなふうに彼を呼びはしない。

 声は、実際に耳に届いたのではなかった。だが幻聴などではなく、現実のものであった。

 つまりそれが魔術の呼びかけであるのだと気づくのには、仮にも──本当に、「仮」だが──魔術師(リート)としてはずいぶん時間がかかったということになる。

 それがアーレイドの術師ダウからの呼びかけであることは疑わなかったが──そういうことは、偽れないものだ──その内容はますます彼を混乱に陥れただけだった。

(準備ができるまでは、決して戻ってくるなと)

 ファドックが伝言をしたのだと言う。エイラ(・・・)に。

 あの騎士が知るのはエイルと「リティアエラ」だけで「エイラ」ではないはずだ。

 だが伝言の内容は、明らかにリ・ガンへ向けた言葉だった。なれば、ファドックは知ったのだ。「リティアエラ」が「エイラ」であること。

(旅立ちからずっと一緒にいる少年にも)

(同じことを伝えてくれと)

 ならば、ファドックはこれもまた、知ったのだろうか。エイラが──エイルであること。

 〈宮殿〉でそんな夢を見たことをふと思い出す。しかし、あれはただの夢、そのはずだ。

 エイルはそう考えたあと、そっと首を横に振った。リ・ガンが〈宮殿〉で見る夢がただの夢だと?

(いや、焦るな)

(ファドック様が気づいたとは限らないじゃないか)

(いくら勘のいいあの人だって、そんな馬鹿な話を簡単に信じたりするはず)

 自らにそう言い聞かせようとして、少年はうなり声を上げた。「そんな馬鹿な話を簡単に信じた」〈守護者〉をひとり、彼は知っているではないか。

 エイルはもう一度首を振った。分析するならば騎士の判断力についてよりも、伝言の中身についてだ。

(帰ってくるなと言ったのか。俺に。いや、リ・ガンに)

 何か、あったのた。何か、ファドックをして彼――彼女、どちらでもいい――にはっきりとした強い警告を伝えさせた。

 何かがあった。だが何が?

 ファドックがエイラ――であろうとエイルであろうと――に戻ってくるなと警告するのなら、それはかの騎士が本気でそう考えるほど重大事があるに相違ない。

準備が(・・・)できるまで(・・・・・)

 「リティアエラ」は約束した。〈時〉の月に再びアーレイドに戻ること。

(言い換えれば、それまでに準備をしろってことだ)

(でもいったい、何の?)

 アスレンに対抗するための――というあまり嬉しくない答えは、簡単に彼の内に浮かんだ。そしてぞっとする。

(もし)

(あの氷でできた化け物(ウゲルボルタ)が)

 と、彼はレンの第一王子を表した。

(またしてもアーレイドを訪れていたら)

 それが、ファドックの警告なのだろうか。あの白金髪の魔術師が、カーディルには従兄を送り、自らはアーレイドに――その翡翠に、その〈守護者〉に――手を出そうとしているのかもしれない、という考えは少年の手足を冷たくさせた。

 ファドックがエイル――リ・ガンに警告を送るほどの敵がアーレイドに目を向けているというのならば、それはアスレン自身であってもおかしくはない、そう思った。それがまさしく事実であることなど、知らぬまま。

 もしそうであれば、あの魔術師に対抗できる人間などあの街にはおるまい。

 しかしそれでも、アーレイドの街は平穏であるという。

 ダウが伝えてきたシュアラ王女の婚約話は少しだけ彼を落胆させ、すぐあとに自嘲させた。

 相手はアーレイドの侯爵だと言うのだから、ならばそれはシュアラの望んでいたことであるし、言うまでもなく――レンではないということだ。

 シュアラとアスレンが婚約したなどと言う報せでないことをリ・ガンは安堵するべきで、「王女の話し相手」にすぎない少年が気を落とすなど馬鹿げている。そう思った。

 夢に彼女の婚約を見たこともまた思い出した。「当たった」ことにはなるが、予知などではなくただの「夢」、不安が顕れたものにすぎないだろう、そんなふうにも思った。

 ともあれ、伝わるまでいささかの時間がかかった――ダウは、「彼女」を探すのが困難であったと告げた――伝言は彼に数々の混乱をもたらした。

 まずは、ダウが話しかけてきたと言うこと。

 師リックが信頼するようにと言い遺した魔術師を「エイラ」は信用できなかった。疑った、と言うのではない。レンに対して何の手も打たないと言う魔術師協会そのものが信用ならなかったのだ。気に入らなかった、と言ってもいい。

 だがファドックからの伝言があるという言葉は、ささやかな反抗心などは打ち消した。

 同時に彼を動じさせたのはしかし、「エイラ」にファドック・ソレスからの伝言があるということ。そしてファドックが「エイラ」の正体に、どうやってか気づいた、と言うこと。

 それから、その伝言が警告であると言うこと。

 準備がならぬまま戻れば危ういのだとファドックはそう言うのか。

 危ういのは――誰なのか。それとも、()なのか。

 エイル自身。シュアラ。翡翠。――ファドック?

 ふと、母アニーナの姿も浮かんだ。不吉な夢を思い出して眉をひそめる。肩から血を流していた母の姿。

(まさか)

(あれだってただの――夢だ)

 少年は三度(みたび)、首を振った。

 アーレイドには、彼が危難から遠ざけたいと思う多くの人々がいる。

騎士(コーレス)見習いなんて嬉しくない……なんて言ったけどな)

 彼は、自分がファドックにそんなふうに軽口を叩いたことを思いだした。

 アーレイドまで腕を伸ばして大切な彼らをみな守れたら。そう思うのはまるでファドック・ソレスの心にも似ていたが、彼はその気持ちをまだはっきりと自覚していない。

(大丈夫だ)

(ファドック様なら、守ってくれる)

 ただそうとだけ、考えた。

「おお、エイル」

 かちゃりと扉が開いて出てきた姿に、エイルは驚いた。

 〈守護者〉の存在は探さなくてもリ・ガンには判るもの。ゼレットがその室内にいることは判っていた。何しろ、彼と話をするためにエイルはここまできていたというのである。

 だと言うのに「伝言」に気を取られ、アーレイドの〈守護者〉に向けて心を彷徨わせるうち、隣の〈守護者〉の気配を見失っていた。そのことに、驚いたのだ。

「何だ、用があるなら入ってくればよかろうに」

「仕事の邪魔になったら悪いって思いまして」

 少年はだが、自身の内に巡ったものについては何も言わず、ただそんなふうに言った。ゼレットは肩をすくめる。

「お前まで奴らみたいなことを言うのだな」

 たまった仕事を片づけるようにと、回復しつつある執務官たちからせっつかれている伯爵は、にやりとしてそう言った。

「気分転換に少し外の空気を吸おうと思ったが、お前がいるのならばますます気分も晴れるというものだ。ともに散歩に行くとしよう」

 ゼレットはそう言うと少年の肩を組み、エイルはその腕を押しのけながら、しかし同意した。

「カティーラを見たって話を聞きました」

 廊下を歩きながら、エイルはその話をした。

「キュレイが、中庭で見かけたって」

「何と」

 ゼレットは目を見開いた。

「俺は、もしかしたら彼女の飯を食っているのは(クラー)ではないかと思いはじめていたところだが、ちゃんと城におるのだな」

「いますよ」

 エイルは眉をひそめた。

「ゼレット様にだって、判ってるんじゃないんですか」

「む」

 「リ・ガン」の少しきつい口調にゼレットは口髭を歪めた。

「そうだな。判っておる。だが俺はこんな感覚は好かんのだ」

「好き嫌い言わないでください。目に見えないものだって――信じられることはある」

 エイルが言うとゼレットは奇妙な顔をした。

「ミレインと何か話をしたか? あやつに何か、言われたか」

 この伯爵閣下は妙なところに鋭い。少年は天を仰いだ。

「別に、ゼレット様を誘惑するなとは言われませんでしたよ」

 冗談めかしてそう言うと、ゼレットは不満そうな顔をした。

「そうか、気の利かん女だ。しろ(・・)、と言えばよいのに」

「馬鹿言わんでください」

 エイルはぴしゃりとやった。

「彼女はゼレット様を心配してるだけですよ。リ・ガンや翡翠の話なんて奇妙に聞こえて当然だし、『王甥殿下』の件があるから事実らしいと受け入れてはいるんでしょうが、それにしたって」

「……何だ」

 中途半端なところで言葉をとめたエイルに、先を促すようにゼレットは言ったが、少年は首を振った。

「何でもありませんよ」

「ミレインに言われた何かが引っかかっておるのだな」

 伯爵は言った。

「彼女は、お前に妬いたのか」

「何言ってんです、そんな女性(ひと)じゃないでしょう」

 エイルが少し怒ったように言うと、しかし伯爵は悪びれずに言った。

「何の。隠すのが巧い女だというだけだ」

「あのですね」

 少年は足を止めた。

「あの人は素敵な人ですよ。ゼレット様がどう思おうと、俺は男ですから、ゼレット様より彼女の方に魅力を感じます」

「惚れたか」

「違いますよ」

「妬けるな」

「違うって言ってるでしょうが」

 エイルは怒るよりも呆れて繰り返すが、ゼレットが口の端を上げて振り返るのを見、少しきつめに睨んでやった。

「人をからかうのもいい加減に」

「俺は」

 ゼレットはその笑い顔のまま、エイルの言葉を遮るように言った。

「独占欲が強いんでな、エイル。ミレインにもお前にも妬けるようだ」

「それはつまり」

 エイルはにやりとした。

「俺に、ミレインに手を出すなと言うんですね」

「そうは言わん」

 伯爵もまた同じように笑って首を振った。

「ふたりともに振られてしまえば寂しいだろうと思うだけだ」

「……俺は、ずっと振りっぱなしだと思いますけど」

「うむ、大したものだ」

 ゼレットは言って再び歩き出し、エイルも続いた。

「俺をそうして振り続けたのは過去にふたりだけだ。三人目にはさせんぞ」

「ならせていただきます」

 きっぱりと少年は言った。ゼレットは笑い、前方を見たままで続けた。

三度目(・・・)も、許さんからな」

 過去の二度について言われていると理解したエイルは、反論しようとして、しかし言葉が出なかった。

「……ゼレット様」

「何だ」

 伯爵はやはり振り返らずに聞き返した。

「俺は、この件が済んだら、この土地を離れます」

「だろうな」

 反論に遭うと思っていた少年は、さらりとやってきた返答に少し驚いた。

「判っておる。だが、判っておるのと納得するのは、どうやら違うな」

「納得、されますよ。〈変異〉が過ぎれば、ゼレット様はリ・ガンのことなんてあっさり忘れます」

「馬鹿を言うな」

 少年の定番の台詞を今度はゼレットが使った。

「お前は、ミレインに何を言われたか話そうとせんが、俺は言ってやろう。彼女に言わせれば、俺はお前に恋をしているそうだ」

「こ」

 何とも、似合わない単語もあったものである。その対象が自分であることよりも、エイルはゼレットがそんな言葉を使ったことに絶句した。

「愛した女は山ほどおるが、恋となるとまた新鮮なものだな。これが翡翠の魔力であろうとお前の魔法であろうと、俺はお前を忘れんよ、エイル」

 この伯爵のなかで愛と恋はどういう定義を持っているのだろう、と少年は一(リア)疑問に思ったが、それについては口を差し挟まなかった。

「カティーラを見つけ、〈翡翠〉がどうにかなればお前は行ってしまうと言うのだろう。あまり気に入らんが」

 ゼレットは嫌そうに言ったが、口調を変えて続ける。

「だが、俺が〈守護者〉とやらだと言うのならば、守るべきものを誤ってはいかんと思っとる」

 心配するな、とゼレットは気軽く言った。

「ゼレット様が守るのは、翡翠と……カーディルですね」

「それと」

 今度はゼレットは、肩越しに少年を振り返った。

「お前だ」

 少年は困ったように笑った。

 〈守護者〉にリ・ガンを守る義務はない。だがゼレットは――そしてファドックも、そうしようとしてくれる。

 アスレンは、それを肥大した庇護欲だと言ってファドックを嘲笑った。そのようなことはエイルは知らなかったが、手の届く限りを――いや、届かぬところまでも守ろうとする彼らのことが心配にも、なった。

(心配は要らない)

(ファドック様は、そう言った)

 彼はファドックの「伝言」を思い出しながら考えた。

 ファドックならば守ってくれる。彼はそう信じていた。

 伝言に心配してアーレイドに戻れば、リ・ガンが危ないのだと、ファドックはそれを案じている。そのことは理解できた。

 戻るために彼は「準備」をしなければならない。カーディルの翡翠をあるべき形にすることは、その準備のひとつだ。エイルは少し歩を急いで、ゼレットに並んだ。

 ファドックは、心配は要らないと言った。ならば〈翡翠のなかの翡翠(アーレイド・ヴィエル)〉とその〈守護者〉、そしてシュアラや彼の母に心配は要らないのだと――彼は騎士の言葉を信じて、カーディル城の翡翠を探すことを続けた。


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