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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第6話 秘められしもの 第2章

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02 どうにかします

 かちゃり、かちゃり、と陶器のかけらがぶつかりあう音がした。

 彼が部屋の掃除を申し出たのは、この惨憺たる有様をほかの使用人には見せない方がいいだろうと考えたこともあったが、まだこの部屋にはあのレンの男の魔力が残っているような気がしたからでもある。

 幸い、これはただの気のせいだった。エイルの力は魔力と呼ばれるものとは違ったが、それでもその気配が残っていれば判る。そのはずだ。

 だから、この部屋に近づけば他者に何か影響が出るというようなことは、まずないと言っていいだろう。

 それでもエイルは、魔術に関わったことのない人間をここに近づけることを躊躇った。部屋がきれいになれば、この嫌な感じも薄れることだろう。

 熟練の医師によって、ふたりの怪我人は必要な治療を手早く施された。

 タルカスの状態は深刻だったが、青年は一命を取り留めた。魔術師の放った術は本来、魔力に馴染みのない人間の命を奪うのに充分こと足りる強さを持っていたが、タルカスの内に溜まっていた〈穢れ〉とそれを無視するためにかけられていた防御の術に似たものが、不思議な作用をして彼の命を救ったのだ。

 意識が戻らなければ危うかったが、青年は一度目覚め、主人の無事を知ってからまた深い眠りに落ちていた。医師ムートは、あとは安静にすることだ、とカーディル伯爵の執務官たちには少々難しい注文をつけた。

 一方でゼレットは、「エイラ」が素早くその裂けた肉を合わせたために流血もそう多くなければ膿むようなこともなかったとは言え、治療をしない訳にはいかなかった。

 熟練の料理人が研いだ包丁で大きな肉塊に最初の切り目をすうっと入れたかのようなその傷は描いたようにきれいだったが、何かの拍子に裂けないとも限らない。伯爵は不要と言ったが、医師はそれを無視して、傷口を縫合したようだ。

 傷は肩から二の腕にかかっていたため、包帯をされると実際よりもずっと大きな負傷をしたように見える上、肩をしっかりと固定されて不自由を感じた伯爵は医師に盛大に文句を言ったが、カーディル伯爵家の無茶に慣れている代々のムート医師と同じように、グウェス・ムートも聞く耳を持たなかったらしい。

「気に入らんな」

 その声に、エイルは顔を上げた。いつの間にかやってきたゼレットが――もちろん、リ・ガンには〈守護者〉が近づいてくることは感じ取れていたが――戸枠に右半身を預けるようにして左肩に目をやりながら立っている。

「我慢して下さいよ」

 何が伯爵の「気に入らない」のか見て取ったエイルは嘆息した。

「風鎌にやられたみたいな怪我じゃないですか。くっつくのは早いけど、それまでは簡単に裂けちまうんですから」

 エイル少年は風の神(イル・スーン)が作り出す自然の魔法「風鎌」に遭ったことはなかったが、そういった傷口を見たことはあった。サズの術によるゼレットの傷はそれによく似ていた。実際、魔術師たちもその術を〈風鎌〉と呼んだが、エイルの知識にはない。

 彼が思うのは、ほかのことだ。

 これだけの術を作り出すのに、サズという名の男はちょっとした印と手の動きだけで済ませた。その辺りの魔術師(リート)ならば、もっと力の弱い同じ技を繰り出すために、少なくとも数十秒(カイ)はかかるだろう。それどころか、作り出すことなどできぬ術師がほとんどだ。

「いまの俺はあれに対抗することはできないですよ」

 エイルもまた伯爵の肩を見ながらそう言った。

 〈宮殿〉にいたときと、サズに対していた間は完璧に外れていたその「目隠し」は、再び彼を覆っていた。「エイラ」でいるときよりもその視界が遮断されているように思うのは、少年の希望(・・)だっただろうか?

「だが、この……淀みとやらを払うことはできるな?」

「ええ、まあ。翡翠さえあれば」

 エイルは肩をすくめた。カーディル城を覆った暗雲の話は、だいたい聞いていた。

「ただそれには、ゼレット様の協力が要りますけど」

 少年は伯爵の顔とその傷を見比べて言った。

「それで、大丈夫かなあ」

「何と。怪我を負っていれば、難しいようなことか」

「必要なのは……集中力、くらいだと思ってましたけど」

 エイルはアーレイドの翡翠を呼び起こしたときのファドックを思い出しながら言った。

「俺が前に体験したのとはちょっと事情が違いますからね。何があるか判らないです」

 「隠されている」翡翠。――白猫。

 サズの逃亡を前にじっと固まっていたカティーラは、エイルとゼレットがタルカスにかまっている間に家具の下の狭い空間に入り込み、暗がりで目を――緑色に――光らせたままで出てこなかった。エイルやゼレットが手を差し出してもうなり声をあげ、まるで無理矢理に捕まえられそうになって死ぬ気で逃げ出した野良猫(オロミィ)のようであった。

 そのあと彼女は隙を見てふっと姿を消してしまった。と言っても、置いておいた餌がなくなっていることからどこかにいることは確かであったが、なかなか姿を見せぬままだった。

 エイルは、この城から魔力で連れ出される寸前、「翡翠は城のなかにありながら、動いている」と感じたことを思い出していた。ゼレットが「そう」ではないかと疑った感覚と理由、サズが持った確信、全ての条件は白猫カティーラが「隠されしものの化身」それとも「そのもの」或いは「それに導く存在」、何であろうと深い関わりを持っていることを示していた。

 〈宮殿〉からそのまま力とともに在った間は、カティーラがどういう存在であるのか、完璧に理解していたように思う。なのに、こうしてまた視界が閉ざされると言うのは、何とも理不尽だった。クラーナならずとも〈女王陛下〉は意地が悪いのだと考えるところである。

 リ・ガンの力を制限して、翡翠を守れなくてもよいのだろうか。エイルはぼんやりとそんなことを考えながらも、見えない方が有難いとも感じていた。

 クラーナが糾弾したように「ただのエイルのふり」をしようというのではなかったが、あの状態(・・・・)は絶対的な自信と安堵感を与える引き換えに、エイルが「これが自分である」と考えているものを薄くする。

 リ・ガンであるということと自分が在りたいものは両立しないのだ。

 だが、彼は確かに、リ・ガンである。そこにある揺らぎが、クラーナの糾弾した真実、いまだに残る怖れなのか。

「俺はどうすればいい、エイル」

 ゼレットは同じ姿勢のままで言った。

「淀みだか穢れだかが真実、翡翠(ヴィエル)の作り出すものならば、サズを追い払ったとて俺の雇い人たちはその力の下に寝込み続けるのだろう」

「それは」

 エイルは掃除をする手をとめた。

「――俺が、どうにかします」

「どうにか?」

 曖昧な台詞にゼレットの疑問が飛んだ。

どう(・・)するのだ? それを払うのに、何をする」

「翡翠が目の前にあるなら、いや、目の前じゃなくても『隠されて』いないのなら、俺はその答えを知ってます。でもいまの状態だと……正直言って、やってみないと判らないですね」

「そうか」

 ゼレットはちらりとエイルを見た。

やってみな(・・・・・)ければ(・・・)判らない(・・・・)と言う時点で負け――ではないのか」

「何です、それ」

 しかしエイルは、自身が発した台詞を覚えてはいなかった。

「珍しいですね、ゼレット様がそんな悲観的な言葉を口にするなんて」

「何の」

 だが伯爵は、それが「エイラ」の台詞であるなどとは言わず、ただ続けた。

「お前の『消失』以来、俺は落ち込んでおったのだ」

 そんなことを言う。

「ようやく再会できたと思えば、またすぐに俺の前から消えた」

「俺の意思じゃ、ないですってば」

 本当に不満そうに言うゼレットに、エイルは天を仰いだ。


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