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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第6話 秘められしもの 第1章

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07 帰ってきたな

 本来、リ・ガンはそう大きな力を持つ存在ではない。

 翡翠を呼び起こし、それがもたらす波で六十年の間にたまった穢れを祓い、多くの場合は十三番目の月にそれらを眠らせるだけの存在だ。

 翡翠の力を狙う者など、これまでいなかった。興味を持って関わってきた程度の者なら、わずかにいただろうか。

 今期のリ・ガンがレンという名の都市のちょっかい(・・・・・)に対してどれだけの力を見せるかは、もしかしたらかの〈女王陛下〉ですら判らないことだったかもしれない。

 もちろん、ゼレットには判らない。

 目前で繰り広げられた光景。

 白猫が固まったように動かなくなり、エイラの瞳が光り、サズが目を見開いて苦しそうに身体を抱え込みながらくずおれて、消えた。

 ただ人たる彼に見て取れたのは、それだけだった。

「――逃がした」

 呟くように声を発したリ・ガンの瞳はやはり強い濃緑をしたままで、ゼレットはやはり計るように、それを見ていた。

「警告にはなったろう。だがこれしきのことで手を引く奴でもない」

「……エイラ」

 ゼレットはゆっくりと声を出した。

 「その存在」にエイラと呼びかけることは、いささか違和感があった。もちろん、エイルと呼ぶのも同じである。だがゼレットはほかに名を知らなかった。リ・ガンと呼びかけるのは──もっと抵抗があった。

「……ゼレット様」

 気配が、変わった。振り返った娘の瞳は、彼の知る穏やかな茶色をしていた。

「あの、とりあえず、一段落ついたってとこみたいです。あいつは逃げたけど、翡翠は守れた」

 エイラはそう言いながらゼレットを振り返った。伯爵はじっとその姿を見る。

「……エイラ」

「……何ですか」

「エイル」

「だから、何ですか」

 エイラが顔をしかめる。と、伯爵は足早に彼女に近寄って、有無を言わさずに抱きしめた。

「ちょいっ、またそれですか、こんなときに、やめてくださいよ」

「やめぬ」

 ゼレットはそう言ったが、それ以上の行為には及ばず、むしろ素直に彼女の身体を放した。

「……帰ってきたな」

「ええ、まあ」

 エイラは頭をかいた。

「でも言い訳はさせてくださいよ。一度目は俺の勝手で出ていきましたけど、この前のは、俺の意思じゃないですからね」

「ああ」

 ゼレットは瞳に優しい色を浮かべてうなずいた。彼が「帰ってきた」と表現したのは無断の出奔についてではなかったが、伯爵はそのことには触れなかった。

「帰って、きたな」

「……キスは要りませんからね」

「何と。冷たいことだ」

 伯爵はにやりと笑いかけ──はっと真顔になる。

「――タルカス!」

「あっ、駄目ですよ、急に動いちゃ!」

 エイラは、身を返そうとしたゼレットを抱き戻す形になる。ゼレットはその喜びと執務官への心配が混ざった奇妙な表情を浮かべ、自身の負傷を思い出した。

「もう、〈宮殿〉とのつながりは切れちまいました。その傷口が開いたら、俺はもう、さっきみたいにはふさげないですよ」

「ゆっくりなら、よいか」

 エイラの言葉の意味を真に理解したとは言えなかったが、忠告されたことの意味は判ったゼレットはそう問うた。

「まあ。たぶん」

 伯爵の言葉にエイラはその手を放した。彼は許されたと考え得る最高の速度で戸の方に足を進めた。エイラはそれに続いて――伯爵が目指すものを知ると彼を追い抜いた。

タルカスさん(セル・タルカス)っ」

 彼女は倒れ込んでいる青年のもとに膝をつき、口元に顔を寄せた。

「――息が浅い」

「医師か、それとも魔術師が要るか?」

 ゼレットは呪いの言葉を吐くのを後回しにして叫んだ。

「あいつにやられたんですね」

「そうだ。奇妙な光と激しい音がした。俺には見えなかったが、あやつの魔術がタルカスを撃ったのだと思う」

「それなら」

 エイラは少し考えた。

「それなら、魔術は残ってない」

「ならば医師だな。グウェスを呼ばせてくる」

 ゼレットは了解したと身を翻し、またもエイラにとめられた。

「医師を緊急に必要とする人間を増やしてどうすんですっ。俺が行きますよっ」

「だが」

 伯爵はじろりとエイラを見た。

「お前が騒いで誰何されるより、俺が行った方が早い」

 ゼレットの言うことはエイラにも判った。確かに彼女は一晩しかこの城におらず、顔を合わせた者は少ない。

「――判りましたよ」

 だがエイラがそう言ったのはゼレットの無茶を容認するためではなかった。

「すみませんけど、三(トーア)だけ目ぇ閉じててもらえますか」

 普段ならばそれに対してどうこう言い返すゼレットだったが、このときは何も訊かずにそれに従った。いいですよ、と――違う声がした。

「……これ(・・)ならまだ、ましでしょう? 驚かれるかもしれませんけど、『エイラ』よりはどうにか、覚えてもらえてるんじゃないですかね?」

 いまはゼレットの視線を気にする場合でもない。少年は手早く衣服を緩め、大きさを合わせた。

 伯爵の方も心に浮かぶからかいの言葉を口に出すのは避け、カーディル城の廊下を素早く駆け出すエイルの背中を見送った。


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