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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第6話 秘められしもの 第1章

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06 翡翠は渡さない

 痛みに目が霞み、息が荒くなるのを感じながら、ゼレットはそれでも剣を片手でかまえた。まだ彼は、自分の人生を終わりにする気はない。だが剣は彼が思った位置まで上げられず、力が急速に抜けていくことも否定できなかった。

 サズの指が彼に向いたとき、ゼレットは思わず閉じそうになった目を無理矢理に開き続けた。

 死の覚悟など――決めぬ。

 それは意志と言うよりも意地であり、彼の理性は次に魔術が放たれれば終わりだと、判っていた。

「大丈夫です、終わらせませんよ」

 ゼレットが顔をしかめたのは、幻聴や幻視を覚えるほど自分は心弱かっただろうか、と不満に思ったせいだった。

「私に〈守護者〉を助ける義務はないらしいですけど、ゼレット様には命を救ってもらった恩がありますからね。いくら、何も言わずに『消える』ことを繰り返したからって、こちとらそうそう、恩知らずじゃないつもりですよ」

「――エイラ(・・・)

 ゼレットは半ば呆然と、何のけれんもなく突如その部屋に、彼の前に現れた娘を見やった。

「どうして、誰も彼も無茶苦茶をやるんですかね?」

 〈鍵〉の「無茶苦茶」に呆れてきたばかりのリ・ガンは、〈守護者〉の無茶にも文句のような言葉を発した。

「……まあ、ゼレット様はいくらか耐性があるからまだましっちゃあ、ましですけど」

 そんなふうに言って自身の〈鍵〉への文句をつけ加えると、エイラはゼレットの負傷した腕を無造作に取った。伯爵がうなり声を上げると、肩をすくめて謝罪の代わりにする。彼女がすうっと傷口の上の空間を撫でるようにすると――痛みが、消えた。ゼレットは長い息を吐く。

「治った訳じゃないですから。大人しくしててくださいよ」

 エイラはそう言うと何か言おうとするゼレットを制して――その瞳を緑色に燃やし、魔術師を見た。

「このあたりまでにしといてもらうよ、兄さん」

 言いながら金の髪をした娘は、サズからカティーラを隠すように数歩を進めた。

「リ・ガン、か」

 エイラとゼレットを黙ってじっと見ていたサズは、浮かんだ理解に驚きを隠さなかったが、次にその目に浮かんだのは満足だった。ならば、彼が予測したことは間違っていない。

「なかなかやるなあ、カティーラ」

 エイラは白猫を振り返ると、口笛など吹いてを称えた。すっとしゃがみ込んでその背を撫でようとするが、白猫がいまだ緊張状態なのに気づくと手を引っ込めて立ち上がった。噛みつかれても、困る。

「お前、よっぽど、ゼレット様が好きなんだな」

 にっと笑ったその顔は、不思議と、クラーナと言う名の吟遊詩人に似ていた。皮肉を口にしても多くにおいて穏やかに笑っているかの吟遊詩人(フィエテ)の裏にあったのは、全て理解している安心、そして自信、だったのだろうか。

 いま、彼女のなかには、それとよく似た色があった。

「面白い。何の魔力も感じなかったな。アスレンが言っていたことは、真実か」

アスレン(・・・・)

 その名に、彼女の目は厳しく細められる。

「あのクソ王子の知り合いか。なら帰って言っとけ。翡翠(ヴィエル)は渡さない。〈守護者〉にも〈鍵〉にも手は出させない。この件は諦めて、あんたの街のなかだけで満足してろってな」

「あやつにそう言ってやるのも面白かろうが」

 サズもまた、目を細めた。

「私にも都合がある」

「んなもん、知るかよ」

 エイラはきっぱりと切り捨てた。

「おうちに帰りな、兄さん。あんたはたいそうな魔術師(リート)かもしれないけど、アスレンほどじゃない。いまの私とやり合って勝てると思ったら、大間違いだよ」

 「いまの」というのは、翡翠の〈女王〉から力を借りていると言うこともあれば、翡翠――隠されし――がすぐ近くにあると言うこともあったが、わざわざどういう意味かを教えてやる必要もない。エイラは、多少のはったりもあったが、そんなことを言ってのけた。サズは計るようにじっとリ・ガンを見る。

「そのようなことは、やってみねば判るまい」

「あれ、意外だね、やる気」

 エイラは驚いたように目を瞠った。緑色の光が――強くなる。それを見ていたゼレットは、エイラの雰囲気が不意に変わったことに気づいた。これは、彼の知らない色だった。

判らない(・・・・)と言う時点で負けだとは、判らないのか?」

「……何だと」

「王甥殿下、私には判る(・・・・・)

 それは、エイラでありながら、ゼレットの目にはエイラではないと映った。

 無論、エイルでもない。そこにいる存在が、伯爵のからかいに戸惑ったり困ったりするとはとても思えなかった。いや――彼はそこにいる存在をあんなふうに可愛がろうとは、思わないだろう。

 ではこれが(・・・)()ガンだ(・・・)

 ゼレットの内にそんな思いが浮かんだ。

 エイラでもエイルでもない。それとも、エイルであり、エイラでもあるのか。

 サズは何も答えず、素早く印を結んだ。その仕草は、魔術に関わるものなら見惚れてしまいそうな、隙のない完璧な動作だった。

 しかしエイラはもちろんそれに見惚れるようなことはせず、ただ瞳を緑色にさせたままで自らをかばうように軽く片手を上げただけだった。サズが顔をしかめる。

「無駄だと言っているだろう」

 ふたりの間に何か派手な魔術が展開されるのではないかと予測したゼレットは、音ひとつ、光ひとつ走らない――少なくとも、彼の目には見えなかったことに少し驚いた。

「何度も言わせるな。レンに帰れ。そしてこのことは忘れろ。王女には軟玉の佩でも用意してやるといい」

「成程。レン王家の事情に詳しいと見える。ならば判っておろう、アスレンの機嫌を損ねれば厄介」

 再び、サズは複雑な印を結んだ。

「帰る前に、土産はいただく」

 エイラの背後で、フーッと言う怒りの声がした。

「そうは、行くか!」

 魔術師とリ・ガンの間で何が行われたのか、ゼレットには判らなかった。ただ、伯爵が見て取ったのは、耳障りな詠唱をしながら両手を動かすサズと、じっと立ったままのエイラの姿。

 彼女の瞳のみならず、その全身までもが緑色に包まれたように思ったのは、錯覚だっただろうか?

 サズの手から淡い光のようなものが発せられ、それはまっすぐにエイラを越えてカティーラへと飛んだ。エイラの舌打ちと、猫の、ミギャア、と言うような悲鳴めいた声が聞こえる。ゼレットは知らず、剣を強く握りしめていた。

 サズは、まるで誰かを呼び寄せるような仕草をし、エイラはサズとの間の見えない糸を断ち切るかのように手を動かした。だが瞳が翳ったのはエイラの方で、サズの方には優越めいた表情が浮かぶ。

「いかに大きな力を持っていても、使い方を知らねばどうにもしようがない。そなたの術はずいぶんと荒削りだ、リ・ガン」

 エイラは唇を噛み締める。その表情は苦しそうなものだった。サズの力に対抗しようとしたためと言うより、それは、自らの内に湧き上がるものと戦うかのような――。

 しかし、彼女がそんな顔を見せたのはわずかの間だけであった。

 不意に伯爵は、眩い光を感じた。

 いや、正確には光ではない。何であれ、ただ人には――たとえ〈守護者〉であっても――強すぎる力がその場に満ちた。強固な意志の力を以てしても、ゼレットが目前の光景を見続けることは非常に困難だった。

 その力の前で顔を上げていられるのは、リ・ガン当人とアスレン級の術師だけであろう。

 レンの王甥はたいていの魔術師協会(リート・ディル)においては大魔術師(ヴィント)とされるほどの魔力も能力もあったが、彼らが操る力と異質なものに対するには、それは不充分だった。

 質の異なるものの強さを単純に比較することはできず、エイラがサズに自身の方が強いと言うようなことを言ったのは、彼女がどちらの力の質も知っているからである。彼女がサズと同じ力で対抗すれば、二(トーア)とかからずに打ち伏せられるであろう。それはあまりにも明らかな真実で、疑いの余地はかけらもなかった。

 だが彼女は魔術師ではなく、どんなに似ていても――人でもない。

 リ・ガン。

 それは、そういう存在なのだ。翡翠(ヴィエル)に結びつき、〈変異〉の年のためだけに人から生まれる。

 それが、誰の作った理なのかは判らない。

 人から人の子が生まれるのが何の不思議があろう? 翡翠から翡翠の子が生まれるのも、また。

 リ・ガンは、人間が使うものとは質の異なる力を操り、魔力を自在に駆使する男をその知識と才能、血筋故に翻弄した。

 エイラ――それともエイルのなかには、この肉体から発するものを怖れ、それを振るうことに躊躇いを覚える気持ちがある。

 かつて少年は「剣を使って人を傷つけることなど望まない」と考えてその指導を受けることを断った。結局は、いささか少年じみた憧れも手伝って近衛の青年に指導を受けるようになったが、誰かに傷を負わせることを思えば、やはりぞっとしたものだ。

 もし剣を振るうことがあるならば、それは自分自身や大切な相手を守るためだけに――。

 リ・ガンは、しかしもっと簡単だ。

 翡翠を守る。

 そのために、持つ力の全てを使う。

 もし、敵が死ぬまで翡翠を追うと言うのなら――死なせればよい。

 惑いなどはない。

 それは、リ・ガンの使命なのだから。


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