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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第6話 秘められしもの 第1章

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05 初めて、お前と意見が合った

 ぱあんっ、と音がして閃光が走った。

 すぐ近くまでやってきていたタルカスは、躊躇うことなく書類を投げ捨てると剣を抜き、扉が開いたままの主の部屋に飛び込んだ。

「閣下!?」

「――くるな、タルカス!」

 タルカス青年は呆然とした。

 室内は、まるで嵐にでも遭ったかのようだった。卓や棚の上に置かれていた陶器の花瓶やら燭台やらは床で無惨な姿となっており、燃えかすのようになった紙がまだ宙を舞っている。

 そのなかで、ゼレットは卓の後ろの壁に寄りかかるようにしながら右腕を押さえていた。その手前で占い師が目を怪しく輝かせて何かを見ており――そこでタルカスはようやく、自身と占い師の間に白猫がいることに気づいたが、その意味はもちろん、判らなかった。

「サズ! そこを動くな!」

 叫びながらタルカスは剣をサズに向け、再びゼレットの怒声を食らう。

「よせ、下がっていろ!」

「できますか!」

「主の忠告は、聞くとよい」

 サズは、タルカスもその剣も見ないままで言った。そこには、タルカスが知っていた物静かな占い師の影はない。タルカスは躊躇ったが、そのまま一歩を進め――サズが無造作に手を振るのを見たと思った瞬間、衝撃を感じて後方に跳ばされていた。

「やめろ! ほかの人間には手を出すな」

「私の邪魔をしなければ、よいだけのこと。無論――閣下も」

 後方からぶつけられる声に振り返らず、サズは言った。その目はカティーラを見続けている。猫は毛を逆立ててうなり声を上げながら、その場に立っていた。

「これ以上、俺の城で無体な真似はさせん!」

 言うとゼレットは痺れてろくに動かない右腕を諦め、左手で背後から魔術師に掴みかかった。だが届く前にまたもサズの手の一振りで、彼も彼の執務官と同じように後ろへ吹き飛ばされる。壁が近かった分、背にも強い衝撃を受け、ゼレットは咳き込んだ。

「閣下!」

 痛みに顔をしかめながらも立ち上がったタルカスが叫ぶ。サズは、うるさいというように片目をひそめた。

「死にたくなければ、そのままそうしていろ。死にたければ、手伝ってやる」

「――この野郎、本性を現しやがったな」

 タルカスは歯ぎしりをした。ゼレットはサズが〈魔術都市〉の人間であることをミレイン以外には話していなかったが、主や自身の身におかしなことが起きているのがサズがきてからであることは間違いない。

「やめろ、タルカス。そやつの言うことは脅しでは……ない」

「だっ、だからって黙ってられますか!」

 タルカスはいささかびくつきながらも、落とした剣を拾って再びかまえた。

「死にたいと、言うことか」

「やめろ、サズ!」

 ゼレットは痛んだ身体と激しくなった動悸を無視して、三度(みたび)サズに向かおうとした。

「あなたにも同じ警告をしなくてはなりませんか?」

 サズは、やはり振り返らないままで言った。

「おとなしくしていて下さい、私はなるべくならあなたを殺したくないのですよ、ゼレット・カーディル閣下」

「なるべく、か」

 ゼレットは皮肉を込めて繰り返した。

「ええ。せっかく深い仲になれたのですからね」

 そう言ったサズの顔に薄い笑みが浮かんでいるかどうか、背後にいるゼレットには見えなかった。

「もちろん、どうしても邪魔をすると言うのなら仕方ありませんが」

 伯爵はうなった。脅しではないと部下に言ったのは彼自身であり、それはタルカスを関わらせまいとして言った大げさな台詞ではなく、真実にそう感じたものだった。

「俺とて、死にたくはないが、な」

 呟くように言うとゼレットは、しかしその身を踊らせた。サズが舌打ちをして振り返るのと、ゼレットが床を蹴るのと、タルカスが心を決めて飛び出したのはほとんど同時だった。

 白猫は執務官の動きに驚いて飛びすさり、サズは一(リア)どれ(・・)を相手取ろうか迷うように降り上げかけた手をとめたが――確かに、それはわずか一瞬に過ぎなかった。

 魔術師は、何やら彼らの聞きなれない奇妙な言語を発しながら短く印を切ってゼレットに何かを投げる仕草をした。その瞬間、伯爵の身体は鉛になったように重くなり、彼は剣にかけた手もそのままにその場に沈み込んだ。

 振り返り様にサズは手を大上段から振り下ろすと、バリバリ――というような異音とともに鈍い光が走って執務官の青年を打った。青年はうめき声をあげてそのまま倒れた。

タルカス(・・・・)!」

 その姿は卓の影となり、しゃがみ込むような体勢になった主には見えなかった。だが魔術の力と人間が倒れたような音は耳に届く。

 サズは、しかし倒れた青年にも背後の伯爵にも視線をやらず、飛びすさって椅子の下に隠れたままの白猫を探そうと卓の裏から進み出た。ゼレットの目には、ぶつぶつと何か呟きながら複雑な動作をする魔術師の姿だけが目に入る。途端、ふぎゃあ!――というようなカティーラの悲鳴、それとも罵声が上がった。おそらくは隠れ場所から引きずり出されたのであろう。

 ゼレットは呪いの文句を盛大に吐くと、重い身体を懸命に起こそうとした。サズはカティーラを見続け、彼には気を払っていない。

 割れた花瓶のかけらが散らばる床に手をついたゼレットは小さくうめき声をあげると、思いきりよくそこに力を入れた。

 全身は変わらず、悪夢のなかにいるように重い。だが全く動けないと言うこともない。

 ゼレットは深く呼吸をする。掌の鋭い痛みを無視して両手と両足を全力で踏ん張ると、勢いよく――本人はそのつもりだったが、実際にはのろのろとした動きしかできなかった――立ち上がった。

「無茶ですよ、閣下」

 それを目の端にとめたらしいサズが声を出す。

「おやめなさい。あなたには何も(・・)できません」

 サズが言い終える前に、伯爵は振り絞った力が魔力の重石の下に儚く崩れ落ちるのを感じた。

「――させんぞ、サズ」

 物騒な響きを持つ声は、魔術師の失笑を買うだけだ。

「黙っていてください、私は……忙しいのですから」

「俺が喋れば、お前の気が逸れるか。それは結構なことだ」

「黙れと、言っている」

 ゼレットの笑いを含んだ台詞に対したサズの声は、ついに最後の仮面を脱ぎ捨てたものだった。そして振られた手はゼレットの目には入らなかったが、石で突然に後ろから殴られたような衝撃と痛みが彼を襲う。

 ゼレットは目の前が暗くなるのを覚え、それに負けまいと必死で頭を振った。破片が刺さった掌の痛みは、いまは却って意識を保つ助けとなる。

 このままではいけない。ゼレットは自身でも根拠の薄い、しかしはっきりとした焦燥感を覚えた。

 翡翠を(・・・)――渡すな(・・・)

 それは〈守護者〉の内に湧き上がる「本能」なのだろうか?

サズ(・・)!」

 その力強い声に、魔術師は驚いて振り向いた。ゼレットはいまやはっきりと両の足で立ち上がり、剣を抜くとそれを振るうには広いとは言えぬ室内を大股に駆けるようにして魔術師へと飛び掛った。

「――力を借り受けた、か」

 サズは吐き捨てるように言うとその目に初めて、はっきりとした怒りを浮かべた。

 そうすると、これまでの様子とは比べものにならぬほど彼と彼の従弟はよく似ていたが、ここにはその二人を知る者はいなかった。

 アスレンを知らぬゼレットは、無論そのようなことに思いを馳せることはなく、あっという間にサズを攻撃範囲に収めると左斜め下方から躊躇いなく細剣を振るった。確実に切っ先が届く距離にいた魔術師に、しかしその刃は届かない。上質の作りをした剣は空を切るに留まり、確実に肉を断つつもりで力を配分したゼレットは均衡を崩す。

 魔術師が逃げたのかと思った。だがそうではなく、彼が押し戻されていた。

「くそっ」

 ゼレットは口汚く罵りの言葉を連呼してまたも剣を握り直した。破片が掌に食い込む痛みは無視しようと集中をする。

「そのあたりにしておけ。私は人命を簡単に奪うことは好まない。だが、伯爵」

 サズはしばらくぶりに――ゼレットの目を見た。

「抵抗がある訳では、ないのだ」

「これは、驚いた」

 ゼレットは負けじとその目を見返して、笑った。

「初めて、お前と意見が合ったと見える」

 言うなりゼレット・カーディルは、彼の力で可能な限りの速度で再びサズに間近く踏み込んだ。サズの目が、飛び回る(オド)を鬱陶しく思うかのように細められてその手が上がった、とき。

 魔術師の不意をついたのは、まずは白猫だった。

 サズを敵だと思ったのか、恋敵だと思ったのかは判らなかったが、ともあれカティーラはサズの意識が自分から離れたと知るとその隙をうかがっていたのだ。

 彼女は軽やかに魔術師の足元に突進し、牙を剥き出しにして青年の足首に噛みついた。思いがけぬところからの攻撃はレンの王甥に叫び声を上げさせたが、彼は魔術を(ふる)って小さな動物を殺してしまうことを警戒したのか、彼女を蹴り飛ばすにとどめた。カティーラはぶぎゃあ!――と鳴いて宙に舞ったが、まさしく「本能」で身をひねっては上手に着地をする。だが余裕綽々とは行かず、その目は真っ黒に見開かれ、尻尾はぶんぶんと振られていた。

 しかしゼレットはそうして白猫を観察してはいない。彼は、カティーラが作ったサズの大きな隙を逃さず、そのまま魔術師の上げられた腕に向けて鋭く突きを放った。今度は剣は空を切らず、ゼレットの手に肉を断つ感触が伝わった。と思う間もなく、サズの手が血飛沫とともに振り下ろされる。

 咄嗟に横っ飛びに避けたゼレットは、目に見えぬ刃に真っ二つにされるのを逃れたが、逃れきらなかった左肩から二の腕にかけた衣服と皮膚が斜めに三十ファインほどのきれいな直線を作って裂けるのを見た。鮮血が飛ぶ。

 苦痛の声など上げてなるものか、とばかりに伯爵は歯を食いしばり、激痛に揺らぐ意識を懸命に支えた。見ればサズの方も痛みを堪えるように顔を歪めていたが、無事な片手を傷口にかざして呪文を唱え、自身の流血をとめた。

「この、ふたつの傷の報いは、主にまとめて受けてもらおう」

 サズは暗い声で言った。

「ではこれで本当にお別れだ、ゼレット殿」


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