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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第6話 秘められしもの 第1章

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01 捻じ曲がった相手

 薄暗い部屋で、魔術師(リート)はじっと彼を見ていた。彼はその凝視を受けながらただ黙っており、目前の男が何かを言うのを忍耐強く待っていた。

「……そのような」

 ようやく、魔術師はゆっくりと声を出した。彼は魔術師から出される言葉をやはり黙って、聞いている。

「強いものを背負って、よくご無事でいられますね」

 それは皮肉の類ではなく、純粋に感心、賞賛だった。

「そこまでしっかりと押さえ込まれれば、少し力のある術師でも自己を保つのは難しいでしょうね。あなたが魔力を持たぬことが不思議に思えるほどですよ、ソレス殿(セル・ソレス)

 それは、おそらく魔術師(リート)たちからすればたいそうな褒め言葉なのだろう。ファドックはただ礼をした。

「簡潔に申し上げて、私にはそれを解くことは難しい。いえ、正直に言いましょう。不可能です。私だけではありません、この協会の誰でも同じ。禁忌を持たぬ術は強いもの。協会で慎ましく過ごす我々には太刀打ちできぬことも多い」

「いや」

 申し訳なさそうに言う術師にファドックは首を振った。

「迷惑をかけるつもりはない。ただ私は……いや」

 珍しくも彼は途中で言いやめた。術師は彼をほとんど知らなかったので、それが滅多にないことだとは判らなかったが。

「ここへは、私にかけられた術を解くためにきたのではないのだ」

 ファドックが言い直すと、彼より少し年上の術師は意外そうに目を瞠った。

「リック師にお願いできればよかったのだが」

 言いながら護衛騎士(コーレス)は、哀悼の印を切った。目前の術師も同調する。

「師の後継があなただと伺った、ダウ師」

「そういうことになっておりますね。まだまだ若輩ですが」

 ダウは眼鏡の奥の目を曇らせた。それは迷惑だと思っているのではなく、故リック導師を尊敬する故に、後継とされる自らが未熟であることを恥じてでもいるようだった。

「リック師の――最後の弟子について、あなたは何かご存知か」

「エイラ、ですか。彼女を知っているのですか」

 導師ダウは少し驚いた顔を見せ、だが一(トーア)と経たぬうちにその瞳に理解が浮かんだ。

「ああ、それではソレス殿が以前に連絡を求めたと言う術師は彼女なのですね」

 その節はお役に立てませんで、などとダウは言い、ファドックはまた首を振った。

「彼女に連絡が付かなかったのは、却ってよいことであったのかもしれない」

 ファドックの言葉にダウは首をかしげたが、何も問わなかった。

「私は、彼女のことはあまり知らないのです。一度、私を頼ってきてくれましたが……彼女はレンを警戒し、しかし協会はそれに対して何もしないと答えた私を信用してくれなかったようですね」

「――レン」

「ええ。アスレン殿下がアーレイドを訪れた頃のことでした」

 その名を耳にしたファドックの顔が一(リア)、苦痛のようなものに歪んだ。ダウはそれに気づき、もう一度ファドックをじっと見た。

「……成程。ソレス殿(セル・ソレス)を縛っているのはレン、それも……かの、第一王子という訳ですか」

 その言葉に、またも騎士の目が一(リア)、何かと戦うような色を帯びた。

名前(・・)でなくとも……影響を及ぼすのですか」

 ダウはファドックを「縛って」いる魔術の種類を素早く見て取ったが、それにしてもその反応は、ファドックにかけられている術が、導師とされるダウですら驚かされる高位のものであることを示していた。

 しかし、それがどれほど高度な術であうと簡単なものであろうと、ファドックの内に浮かぶものは変わらない。

 アスレンの名に限らず、かの王子を思い出さされれば、彼のなかに逆らい難い服従心が――浮かぶのだ。

 そして同時に、それに嫌悪をも覚える。

 これは彼が完全には支配されていないことを示したが、それはファドックの功績と言うよりは、アスレンの楽しみのためだったろう。

 もちろんアスレンは、ファドックを魔術で押さえつけ、言うなりにしようと思ったら――「翡翠」に関して以外は――簡単なはずなのだ。なのにそれをしないのは、「それでは面白くない」からと言うことになる。アスレンに怒りを覚えるファドックが自らの意思で跪いてこそ、悦びだと。

「困りましたね、アーレイドの人間としてはセルのお手伝いをしたいところですが、協会の人間としては動けません」

 ダウの言葉に、ファドックはかまわないと言うように手を振ったが、術師は首を振って続けた。

「協会は、魔力を持つ者には登録を義務づけています。どんなささやかな力でも――どんな大きな力でも」

「レンも同じか」

「表向きは、おそらく」

 ダウは顔をしかめた。

「レンの協会(ディル)の名簿にも魔術師たちの名が連なっているはずです。住民の大半が魔術師(リート)と言われるかの街で、ここや他都市の協会と同じ仕組みを持つとも思えませんから……レンの協会というのがどういう形を取っているのか、そもそも協会として機能しているのかさえ、我々にはさっぱり判りませんが」

「協会という形はある。だが実態はない、と?」

「そんなところでしょうね。通常ならば、都市が異なっても協会同士でやりとりと申しますか、取り引きのようなことはできます。他都市の協会に、そっちの術師がアーレイドにちょっかいを出しているが迷惑だ、と告げるようなことも。向こうが動くかどうかは別問題ですが、呼びかけることはできるのです。しかしレンにはその窓口がない」

 だから困ります、とダウは言い、ファドックはまた首を振った。

「よいのだ。言って聞く相手ならば、はじめからこの問題は起きていない」

「いえ」

 ダウは言った。

「何らかの取引は、できたかもしれませんよ。そうしてひとりで背負い込まれる前に」

 魔術師の言葉にファドックは片眉を上げた。

「セルがどんな強制の術をかけられておいでか、私には判りません。判るのは、相当の腕を持つ術師の手によるものだと言うことだけ。ただ、奇妙に思えることがあります」

 ダウは少し躊躇うようにしたが、続けた。

「確かに大きな力を持つ者がかけた技であるのに……隙だらけにも、見えます。セルがその気になれば、魔力をお持ちでなくとも破ることができる」

「奇妙ではない」

 ファドックは努めて表情を出すまいとしながら言ったが、苦々しい色は――隠し切れなかった。

「逃れたければ逃れよと、言うのだろう」

「……成程」

 ダウはまた言った。

「ずいぶんと、捻じ曲がった相手に見込まれましたね」

「そのようだ」

 ファドックはただそう答えた。

 レンの第一王子は、魔術でファドックを縛り、絶対の服従を強制することもできるはずであった。たとえ、彼がそれに抗ったとしても、薄暗い部屋で怒りに身を焼きながらアスレンに頭を垂れたとき――あの王子は、いくらでもこの騎士を好きにできたはずなのだ。

 「言葉」と言うのはいちばん簡単な魔術であり、魔力を持たぬ人間にも影響を与える。「誓い」などはその最たるものであることや、「名前」というものが魔力の網を投げるのに適した標的であることなどをたいていの人間は知らない。

 魔術師たちはそれらの仕組みをよく理解し、ただ人が目前の杯に触れるようにそれらの力に触れ、吟遊詩人(フィエテ)弦楽器(フラット)を爪弾くようにそれらを奏で、操る人種である。そのような「知識」は、教養のある者ならば知っていたが、知っていたからと言って理解する段には至るとは限らない。

 第一、魔力を持たないものが魔術について学ぶことは稀であった。シュアラのように第一王女級でもあればともかく、キドの計らいで教育を受けたとは言え、ファドックの内にそのような知識はない。もしあったとしても、何かの手助けになったとも、あのときに応と答えずに済ませることができたとも、彼は思わないだろう。

 ともあれ、彼は一度、礼儀としてではなく、恭順の意を示す意味であの男の前に跪いている。

 そのファドックを術で動けなくすることなどはアスレンには容易いはずであり、だがそれをせずにこの騎士に逃げ道を残していると言うのは――やはり、アスレンの遊戯だった。

「エイラの、ことだが」

 ファドックは話を戻した。彼がこの日、登城を控えてまでここにやってきたのは、そのためだ。

「また、連絡をお取りになりたいと?」

「いや」

 騎士は首を振った。

「ただ、伝言を送ってほしい。準備ができるまでは、決して帰ってくるなと」

「――かまいませんが」

 ダウは不思議そうにファドックを見た。

「何故、私に?」

 それくらいの用事ならば、入り口の術師に依頼をすれば済むことである。

協会(ディル)の結束を疑うのではないが……私のこの行動を知る人間は少ない方がよい」

「私をご信頼いただいたと言うことですね」

 ダウは感謝の仕草をした。

「しかし、彼女の方は私を信頼しておりません。以前にご依頼を受けたときと同じように声は届かないかもしれませんし、届いても、私の声では無視するかもしれませんが」

「そうか、では……」

 ファドックは考えるようにしてから言った。

旅立ちから(・・・・・)ずっと一緒(・・・・・)にいる少年(・・・・・)にも、同じことを伝えるよう、言ってくれ」

 ダウはまた不思議そうな顔をしたが、そう言えばエイラには通じるのだろうと考えたか、ただうなずいた。

「通じねば、繰り返し、試みてほしい。そして、この言葉が彼女を不安に思わせ、却って引き戻すことにならぬよう、くれぐれも気をつけてもらいたいのだ。そのような様子があれば、こちらのことには」

 彼は皮肉な笑みを浮かべかけたが、堪えた。

「全く心配など要らぬから、と言ってほしい」

「嘘をつけ、と言われるのですね」

 ダウは困ったような顔をした。

「生憎ですが、心を伝える術で偽りを述べることはできないのですよ、セル」

 非魔術師である相手に、導師は諭すように言った。

「偽りではない」

 ファドックは首を振る。

「戻れば危険に遭うかもしれぬのは彼女であり――いまのここには、彼女が心配することは何もないのだから」

 ダウはじっとファドックを見た。騎士の表情は厳しかったが悲壮な感じはなく、ダウはうなずいた。

 ファドックが見せたのは戦い手(キエス)の目だった。彼は自らを犠牲にしようとしているのではない。ダウはそうした判断を下した。

「それは偽りではない、と信じることができそうです。ご依頼に応じましょう。お任せ下さい、リック師の名誉にかけて、彼女に伝えます」

「――有難う」

 ファドックはゆっくりと頭を下げると、立ち上がった。

「お待ち下さい、ソレス殿」

 ダウは、退室しようとするファドックを引き止めた。

「お渡ししたいものがあります」

「私に?」

 ファドックは意外そうに言った。

「ええ。先に言いました通り、私の力ではセルをお助けすることはできません。けれど」

 ダウは言いながら卓の引き出しを開け、何かを取り出した。

「ささやかな手助けには、なるかもしれません」

 そう言ってダウが取り出したのは、銀の枠で固定された小さな長四角い赤い石をやはり銀の細鎖に通した飾りものだった。

「これは我が師が、これを必要とする人間に渡すように、と遺したものです」

「リック師が」

「ええ、エイラに対して託されたものとも思いましたが、先日はとても渡すことができず」

 彼女は、自分で思っている以上に、ダウに対して刺々しい応対をしたのだ。

「第一、こうなってみれば、あなたに渡す方がよいように思えます」

 ダウは鎖の片端を持った。赤い石が魔術師の手の二十ファインほど先で揺れる。

「何も首にかけなくてもよろしいのですよ。普段そうせぬ者がそのようなことをすれば目立つでしょうから」

 隠しにでも入れていただければ効果を持ちます、とダウは説明した。

「守護符、というところですね」

「どのような役割をするものなのだ?」

 ファドックは不思議そうな顔をしながらそれを見た。魔術師が見れば魔力を持つと見えるであろうそれは、しかし彼にはただの装飾品に見える。

「守護符と言っても様々です。全般的に『魔除け』となるもの、特定の魔術から身を守るもの、特定の相手から身を隠すもの、場合によっては魔力を持たぬ人間に特定の術を使えるようにするものもあります。ただ、リック師が力を込められたそれにどのような効用があるのかは」

 ダウは首を振った。

「鑑定をすれば判ることもありますが、高位の術師が編んだものを読み解くには時間がかかりますし、危険であることもあります。出所の知れぬものは調べるべきでしょうが、師が害をなすものを作ったとも思えません。鑑定のために私の手におくよりも、ソレス殿のもとにあった方がよろしいかと」

 ダウはファドックにそれを差し出した。

「お傍にお持ちください。きっと何かの役に立ちます」

「……礼を言う、ダウ殿」

 果たして守護符などというものが本当に彼の役に立つものかは判らなかったが、彼は感謝の仕草とともにそれを受け取った。

 ここを訪れた理由は彼自身の身のためではなかった。守りたいものを守るために我と我が身を投げ出すことは、その場限りの効用しか持たないことは判っている。シュアラ、アニーナ、彼と関わる者たち、彼が大切に思う全てを守りたいのならば、アスレンの言うままになることは逆の結果を生むに決まっていた。

 〈魔術都市〉の王子が気紛れで誰かを傷つけることを防ぐためにその前に跪いたとしても、彼はアスレンに仕える気などないのだし、第一王子の方でも、本当にこの騎士の忠誠を手に入れたとはかけらも思っておるまい。

 これはアスレンの遊戯なのだ。

 彼は、彼の敵が作る決まりごとの綻びを探さなくてはならない。


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