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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第5話 薄闇の宮殿 第4章

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03 探らないという約束

 腰を据えて戦にかかるか、それともここは場所が悪いと街を変えるか、思案のしどころではあった。

 と言うのも、彼の目的地、即ちエイラの居所はおそらく〈翡翠の宮殿〉であり、その入り口はすぐ近くにあるが、同時にレン――ミオノールが求めているのもその入り口であり、エイラであるからだ。

 シーヴはエイラを救うためにここまで追ってきているが、一旦は引くことも戦術として重要だと判っている。にも関わらず彼の心は、再び近くなった〈翡翠の娘〉から遠ざかることを拒んだ。

 ならば――戦だ。

 魔術師は、ご丁寧に退出の許可まで「リャカラーダ」に求めてから術を解き、青年を魔術の残らない宿に残して、〈牛の尾〉亭を出て行った。

 シーヴは無言でそれを見送ったが、一(ティム)と経たないうちに席を立つとミオノールのあとを追うことにした。

 と言っても、魔術師のあとを気づかずに尾けられるなどとは冗談にも考えてはいない。彼が追う気でいたのは、別の人間である。

「そこまで、だ」

 ぐいっと首根っこをひっ捕まれた少年は、うひゃあ、と奇妙な悲鳴をあげた。

「何だ、旦那(セル)か。脅かさないでくれよ。いま旦那に売れるネタはまだないんだ、またあとでな」

「それをやめろと言ってるんだ」

 少年が言うのはもちろん「シーヴを見張る人間の情報を集めてきてやる」ということであり、シーヴがやめさせたいのももちろんそれだった。

「朝から下手くそな尾行をご苦労だがな、忠告が足りないと見える。それとも足りないのは理解する頭か?」

「その程度の脅しでびびる臆病さが、足りないんじゃないかな?」

 少年はにやりとし、シーヴは天を仰ぐ。ああ言えばこう言う第三王子に手を焼く侍従の気持ちが、少し判った気がした。

「脅しじゃない。忠告だ、と言ったろう」

「気持ちだけ受けておくよ、旦那」

 少年は平然としたものだ。

「〈魔術都市〉の怖さを知っているようなことを言ったくせに、自分は大丈夫だと思っているのか?」

「狙われてるのは旦那だろ。おいらじゃないもの」

「さっきも言っただろう」

 シーヴは、無駄だろうと考えながらも繰り返した。

「あいつがお前を邪魔だと思えば、お前が(ウィグ)を潰すよりも簡単にお前を殺す。判らないのか?」

「そんなへまはしないよ」

 先と同じように多少は顔色を変えたものの、案の定、降参する気はなさそうである。

情報屋(ラーター)のガキの身なんて心配してくれんのかい、いい旦那だね」

いい(・・)、と言うのは金払い(・・・)のいい(・・・)、だろう」

「あっは、当たりさ(レグル)

 少年は笑った。

「おいらはこれで生きてんだからね、ちょっとくらい脅されたって飯の種を逃す訳にいかないよ」

「よし、それじゃ気前のいいところを見せてやろう」

 シーヴは言った。

「お前がこれ以上、奴を探らないという約束にいくら払えばいい」

「……何だって?」

 意味が判らない、と言うように少年は目をぱちくりとさせた。

「あの魔術師を追って、情報を得て、それを売りつける先は俺しかないだろう。だがお前がどんな話を持ってきても俺は買わない。その代わり、お前があいつを追わないと誓えば、褒美をやろうと言うんだ」

「それはつまり……おいらは何もしなくても儲かるということ?」

そうなるな(アレイス)

 少年は、シーヴが本気でそんな馬鹿なことを言ったのか、それともこれは何かの冗談なのかと計るように青年を見た。

「じゃあ、さっきは五倍だったから、今度は、十倍」

「なかなかふっかけるな。いいだろう。商談成立だ」

 少年は、薄気味悪そうにシーヴを見た。もちろん彼は「ふっかけた」のであり、難色を示されるか値切られるかしなくてはおかしいと思っていたのだ。

「では、誓え」

「……判ったよ、旦那。おいらはもう、あの魔術師には近づかない」

 シーヴはうなずきかけたが、思いとどまって片手を上げた。

「『あの』魔術師だけじゃない。俺を見張る『どの』人間にも近寄るな」

 少年はちぇっ、と言った。シーヴはやれやれと息をついた。実際のところを言えば、確かに彼を見張る魔術師はひとりだが、少年の目にはそうは見えなかったことを思い出したのだ。

「お前がこの誓いを破ったら、そうだな、金は倍にして返してもらおうか」

「んな無茶な!」

 少年は悲鳴をあげた。シーヴは厳しい顔を作ろうとするが、つい苦笑が出る。

「無茶なことがあるか、約束を守ればいいだけのことだぞ」

「……判ったよ」

 少年は渋々とうなずき、不意ににっと笑った。

「それじゃ、旦那のために違うネタを見つけてくるよ。それなら文句ないだろ」

「魔術師には」

「関わらない」

「よし」

 シーヴは言うと約束の(ラル)を取り出した。

「だが、俺がそれを買うかどうかは判らんぞ」

「絶対に旦那が欲しがるネタを見つけるさ」

 少年の言い様にシーヴは片眉を上げた。

「自信満々だな、坊ず」

「そりゃそうさ、情報売り(ラーター)チェ・ランを甘く見るなよな、旦那」

 少年はそう言うとシーヴに片手を出すよう促し、青年が応じると自身の右手を勢いよくそれに合わせた。

「おいらを手懐けたこと、後悔させないぜ!」

 そのまま元気よく走り去るチェ・ランの後姿を見ながらシーヴはまた苦笑した。

(手懐けたつもりはないんだがな)

(まあ、〈魔術都市〉からあいつの興味が離れたのならよしとするか)

 ミオノールは彼の前から去ったように見えるが、しかし青年を見張っていることに変わりはないはずだ。どうすればその目を逃れることができるだろうか。

 彼には魔術の心得はなく、知識もろくにない。

 魔術師の力に対抗できるとしたら神力くらいのものだろうと考え、以前に世話になったラ・ザイン神官を思い出しもしたが――訪れて何を尋ね、どんな助力を求めたらよいのはさっぱり判らなかった。

 魔術師協会(リート・ディル)で魔力に対抗する魔術を売っているという話を聞いたこともあったが、そうした魔術は「リャカラーダ」の感覚で考えても値の張るものばかりだ。効くかどうかも判らないこともあれば、乏しくなってきた財布事情では手が出ないこともある。

 馬と共にゼレットが彼に持たせたいくつかの宝玉には、手をつけずに済ませたかった。これは別に、彼がゼレットにおかしな対抗意識を抱いているせいではなく――エイラが、ゼレットに迷惑をかけたくないだろうと思うからだ。

(エイラ)

(どうしてる――俺の〈翡翠の娘〉)

 彼女を思えば、繋がるような気がした。だが、ミオノールに見張られているいまでは、エイラを近しく思わぬ方がよいようにも感じていた。

(考えることまで自重しなきゃならんとは、面倒なことだ)

 しかし、何もせずに座していると言うのも芸がない。

 ミオノールは彼をただ見ており、それ以上のことをするつもりはないように見える。しかし、じっとしていれば彼はついエイラを思う。エイラを思うことは彼と彼女を望まぬ方向に導くことになるかもしれない。

 青年は、考えるべきではないかもしれないことを考えるのを防ごうと、じっと座っていることをやめた。街を歩いて、ついでに日々のための金を稼ぐ方法などを探していれば、余計な――重要な――ことに思いをやらずとも、よいだろう。

 と言っても結局のところ、その日の太陽(リィキア)が西の(かた)に沈んだ頃になれば、彼はどうにも実らなかった仕事探しを諦めて〈牛の尾〉亭へと戻ってくることになる。

 彼は、「エイル少年」のようには、町で仕事を見つけることができないのだ。もちろんその必要はいままでなかったし、この日も急を要するという訳でもない。何もしないよりは何かをしようと思った程度であったから、特に焦る気持ちも残念な気持ちもなかった。

 シーヴはマントを脱ぐとそれを寝台の上に放り出し、ただ何となく息をつく。

「殿下は」

 そのとき声が突然聞こえ、彼はほとんど反射的に腰から刀子を引き抜いた。

「……面白い御方でいらっしゃいますね」

 それに驚いた顔ひとつ見せず、先からそこにいたかのように続けるのはもちろん、ミオノールである。

「こうして礼を失され続ければ、俺は面白くないがな」

 シーヴは不機嫌な顔をしてそう返しながら、刀子を戻した。

 魔術師(リート)相手にこれを投げてどうにかなるとは思わないし、これでどうこうしようとも思っていない。ミオノールは謝罪の仕草をするが、かけらたりとも恐縮などしているはずがなかった。

 彼を驚かす以外の目的で、こうしていきなり姿を現すはずもない。シーヴは女魔術師をじっと見た。

 今朝に姿を見せたときのような、薄手のマントは羽織っていない。

 身につけている衣服は派手な飾りなどはないが、ぴしっとして染みひとつない白い袖口や壊れやすそうな繊細な留め具を見れば、丁寧に扱いを必要とする上質のものであることが判る。

 いまは春先とは言ってももう一枚少し暖かいものを着たくなる程度の気候だったが、マントを外したミオノールの上衣も下衣も、暖かく整えられた室内でしか過ごさない上流階級の人間のような薄手のものである。余分なしわやたるみのない服は、きっちり採寸をして作られたもののように見えた。

 短い袖から出ている白い右腕の上部には、梟の印が刻まれている。近くで見れば、それがひとつ眼であることが判っただろう。

 こうして身体の線が見えれば、華奢な男だなどとは見間違いようのない、それはどこからどう見ても女の姿だった。


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