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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第5話 薄闇の宮殿 第4章

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01 誰かが呼んでいる

 夢は時に心を痛いほど揺すって、言いようのない焦燥感と行き場のない怒りをもたらした。だがそれは稀な出来事であって、夢の多くはとろけそうなほどの幸福感と絶対の安堵を伴った。

 そこに時間はなく、惑いはあっても寂寥はなかった。

 早く目覚めなければと思う一方で、何故このまま永遠の楽土に甘えてはならないのか不思議にも思った。

 ここから出て行って、いまは忘れている恐怖と対峙しなければならないことを知っていたが、そのことについては考えたくなかった。

 ――こうして夢のなかにいて、何がいけないと言うのか。

 誰かが呼んでいる。

 誰が、どの名を呼んでいるのだろう。

(放っておいてくれ)

(まだ、こうしてこのまま)

 眠りの淵に沈み込んで行きかけたとき、声がした。

「本当にそれでいいのかい?」

「――どういう、意味だよ」

 ゆったりと微睡んでいたかったけれど、咎めるような声に思わず返答をしていた。

「どうもこうもないよ、エイル。エイラでもリ・ガンでも何でもいいさ。僕は君の名前をみんな知ってるからね」

「俺はあんたのことをろくに知らないよ、クラーナ」

 少年は少しむっとして言った。

「それは、不公平だ、とでも言うのかい? 僕のことを知りたいなら、こんなところでのんびり夢に浸るのはもうやめるんだね」

 吟遊詩人(フィエテ)はぴしゃりと言った。

「ここが君にとってどんなに居心地がいいかは知ってるよ。僕だって、ここにいたことはあるんだから」

 残念なことに、僕に許されたのはほんのわずかの時間だったけれど――などとクラーナは続けた。

「でも、ここを出て……どうするんだ?」

 少年は戸惑ったように言った。

「まさか、自分の使命を忘れてしまった?」

 クラーナは皮肉そうに頬を歪めた。

「女王陛下のお膝元で、それはないんじゃないの?」

「忘れてはいないさ。でももうひとつの翡翠は隠されているし……急ぐことなんて、ない」

「本気で言っているのかい?」

 クラーナは両手を腰に当てた。

「どこぞの第一王子の毒気に当てられた君に回復が必要だったのは確かだけど、女神様は君を甘やかしすぎじゃないかな。それとも、これも僕への罰なんだろうか?」

「罰なんかであるもんか、俺はただもう少し――眠りたいだけだよ」

「ほら! 君がそうしている間に、君の〈鍵〉がどんな危険な目に遭うかもしれないんだよ、判ってるの!?」

「――〈鍵〉だって?」

 少年の反応は鈍く、それはクラーナを愕然とさせた。

「……ちょっと待ってよ。……そうか、エイル少年には〈鍵〉って言葉もシーヴって名前も強く働きかけないって訳。そんなことがあっちゃいけないと思うけど、まさかファドック・ソレスって名前の方が」

「ファドック様がどうかしたのか?」

 少年は顔を上げ、詩人は天を仰いだ。

「そうだね、君に最初の衝撃をもたらしたのはあちらの守り手殿だ。それに君はいまだに、何も知らなかった頃の少年のままでいたいと思っている」

「それが、悪いのかよ」

 またも、少年はむっとした顔で言った。

「悪くないよ。言っただろう、悪いのは全部僕だって」

 クラーナは肩をすくめた。

「もう一度、よく考えてみてくれエイル。――いや、この場合、君にはエイラと呼びかけた方が、いいのかな」

「俺は」

「ただのエイルだ、と言い張るのはもう止すんだね」

 クラーナははっきりと言った。

「しっかりしてくれよ、エイル!」

 クラーナは少年の両肩を掴んで揺さぶった。

「君にはちゃんとリ・ガンの自覚があっただろう。見えないものがたくさんあっても、翡翠を呼び起こさなければならないことはちゃんと理解していた。少しばかり身の危険を覚えたくらいで、こうして安全地帯から離れられなくなっちゃったって言うのかい? ここに閉じこもっていたって、レンは君を見つける。いいや、もう見つけているよ。君が隠れたがっていても、どうにかして引っ張り出す。そのために犠牲になるのが、エイラ、君の王子様だって判ってる?」

「……あんまり楽しい表現じゃないな、それは」

 娘は不満そうな顔で言った。

「シーヴは私の〈鍵〉で東国の王子だけど、それをまとめて言うのはやめてくれよ」

「君がもう少し、目を覚ます気になったらね」

 クラーナはそう言いながら、シーヴの名と〈鍵〉と言う語を自ら用いた娘に明らかに安堵していた。

「いいかい、エイラ。レンは君が出てくるのをただ悠長に待っててくれやしないよ。君が安穏と眠り続けていれば、君の大事な人たちがレンの――アスレンの餌食になる。既になりつつ」

させない(・・・・)

 クラーナの言葉を遮って、娘は言った。

「ああ――そうだ。アスレン。俺は……あいつの思う通りにはさせない。そう誓った」

「起きる気に、なったかい」

「そう……みたいだ」

 娘は髪をかき上げた。

「俺は……あいつの力に焼き尽くされかけて、ちょっと、びびってたんだ。いや、いまでも正直言って、あの力は怖い。でも、隠れてたってどうにもならないんだな」

 クラーナがうなずくのが見えた。

 そうなのだ。やるべきことは決まっているし、判っている。ただ、ここはあまりに気持ちがよすぎて、永遠にこうしていられるのではないかという錯覚に陥りかけていたのだ。

「ごめん、クラーナ。有難う」

 少年が言うと、詩人は肩をすくめた。

「君は僕に礼を言う必要なんてない。君に君の使命と運命があるように、僕にも課されたものがある。僕はそれを果たすだけだよ」

「クラーナ」

 手を振って後ろを向いた吟遊詩人に、少年は声をかけた。

「あんたの使命は……もうすぐ、終わるよ」

 クラーナは意外そうに眉を上げた。

「どうして、君にそんなことが判る?」

「判るっていうか、見えるってのかな。翡翠の母上は意地が悪いって言ったろ。あんたに見えなくて俺に見えるものもあるんだ」

 少年は見えにくいものを見るように目を細めた。

「女神様は意地が悪いかもしれないけど、底意地が悪いってほどじゃないみたいだ」

 彼の台詞にクラーナは笑った。

「有難いね。でも少なくとも、彼女はまだ僕にいくつかは仕事をさせる気だよ。そのあとで――ここで眠らせてくれるって言うなら最高だけど、そんな親切心はないだろうな」

「さあね。全てが終わったときにどうなるかは、彼女次第だ」

「違うよ、エイル」

 クラーナは言った。

「君次第さ」

「……俺?」

「そうだよ。君の運命は君次第。僕のそれも、たぶん僕次第なんだろう。……それじゃ、しっかりね」

「――お互いにな」

 少年がにやりと笑うと、クラーナもまた笑った。

 微睡みの時間は終わろうとしている。


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