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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第5話 薄闇の宮殿 第3章

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08 遅かったじゃないか

 親切心のつもりの忠告が、却って相手の好奇心を刺激し、突っ込まなくてもいい首を突っ込ませ、刃の前にさらさせる結果を招くこともある。

 これまでの数日間は、馬の世話のあとは宿でひと休みをしていたが、今日は朝市が立っている。バイアーサラの朝市にいい思い出はなかったが、ちょっとした買い物をするにはちょうどいい。そう考えた彼は人混みの中へ歩を進めていた。

 朝市は彼の記憶にあるものとほとんど同じで、違うところはと言えば前回よりも格段に暖かくなっている気候と、今日は盗賊(ガーラ)に狙われていない――だろう――というところくらいだった。

 冷たい(リィ)の切片が乗せられた米湯麺(ナザ=ラ・ウル)を朝飯にしたシーヴは、しかしそこで既視感を覚える。

 彼は嘆息すると、木椀を所定の場所に片付け、まだ活気に溢れる朝市の人込みを歩き出すことに決めた。

 この町の朝市と彼は余程に相性が悪いのだろうか。

 「見られている」と感じたのは米湯麺の屋台から椀を取り、適当な椅子に座ってすぐの頃だった。

 とは言え、レンの魔術師(リート)であろう存在が放つ冷たい気配ではなく、危険も感じなかったので、彼は気にせず米麺を平らげ、買い物でもしようというようにそのまま市の喧噪までで歩いていった。

 浮かんでいるのは、苦々しい思いだ。この件は忘れろなどと言ったことが、先の少年の気を却って引いてしまったのか。

 彼を尾けてきているのは、間違いなく情報売り(ラーター)の少年であった。

(情報を集めるのは得意でも、尾行は専門外ってとこらしいな)

 シーヴの感覚は鋭敏な方だったが、そうでなくても少年の尾行は素人丸出し過ぎて、よほど鈍感な者でない限り何かおかしいと気づいたことだろう。

 もう一度とっ捕まえて警告をしてやろうかとも考えたが、そう言って聞くのならば最初から聞いているだろう。先の警告がむしろ少年の好奇心を刺激してしまったことは想像に難くなかった。

 そうなると彼にできるのは、少年が売れるような情報を与えないこと、だろう。

 即ち、さっさと宿へ戻り、彼を「見張っている」相手をはっきりと見極め、自分が気づいていることを知らせてしまうことだ。

 気づいていないふりを続けるのが最上だと思った気持ちに代わりはないが、彼が演技を続けても少年は情報を売るだろう。もしかしたら少年は、彼の目論見通りにめでたく金を手にするだけで済むかもしれない。だがレンは、自分たちの情報が売られていたこともすぐに知るだろう。となれば、面白くないに決まっており、余計な情報を漏らさせぬためにレンが採る方法は、南の町で見せつけられている。

(……生意気なガキの安全のために俺が喧嘩を売って、返り討ちにされても馬鹿なんだが)

 そんなことを考えながらシーヴは市を抜けて宿への道を歩きだした。

 まさか彼が危機に遭えばあのときのように彼の〈翡翠の娘〉が救いにくるとは考えてはいない。それどころか彼女の方で彼の助けを必要としているかもしれないのだ。

(そうだな)

 砂漠の王子はひとりごちた。

(俺はひとりで馬鹿やって死ぬ訳にはいかん)

 そんなことはエイラのためにはならないし、必ずシャムレイへ帰るという約束もあるのだ。


 ――と、考えたところで、何か夢のような解決方法が青年の内に浮かんだということはなく、彼にできるのはせいぜい、できる限り用心深くなることくらいだ。

 〈牛の尾〉亭は宿泊客のためにだけ、朝のうちから食堂を開放していた。

 食事処としての営業はたいていの宿屋兼飯屋がそうであるように夕刻からであったが、早起きの旅人が隊商の出発まで時間をつぶしたり、誰かと待ち合わせをするというのはそう珍しい話でもなく、食堂にはいつも数組の客がいるようだった。

 これまでシーヴは、見られているような気配を覚えても決してそちらを見ることなく、警戒などしていないというふりを続けてきた。だがそれは昨日までの話で、今日ははっきりと喧嘩を売ってやる――いや、数日前から売られているそれを買ってやろうと考えていた。

 室内の全体が見渡せる場所に席を取ると、砂漠の青年は、その意図を隠そうともしないで客人たちを見回した。

 一組はどう見ても戦士(キエス)の二人連れで、間違っても魔術師(リート)には見えない。もう一組はごく普通の町びとのような見た目で、ローブを脱いだ術師でないと言い切ることはできなかったが、馬鹿笑いをしながら喋り合っているのがごまかすための演技ならば大したものだと言えた。

(どうやら本日の当番(・・)はまだ到着していないというところか)

 シーヴはそんなふうに思いながら、「当番」が現れたらどう接してやろうかなどと考え出す。

 しかし、幸か不幸か、彼の行動指針が定まりきらない内に、外への出口――向こうから見れば、もちろん入り口――が開くことになる。

 青年は、すっと目を細めた。

 何も、判りやすい黒いローブなどは着ていない。少しでもごまかそうというつもりがあるのならば当然だろう。

 だがそれでも、本当に隠す気があるとは、思えなかった。

 まっすぐにシーヴを射抜いた暗い瞳は、「獲物を見つけた」とばかりに小さな炎を燃え上がらせたのだから。

 シーヴがじっと視線を送ることにも、相手は戸惑う様子は見られなかった。

 気づかれていることに、互いに気づいていた。

 同時にシーヴは、情報売りの少年が間違っていたことにも気づく。

 観察者は「ころころと入れ替わって」などいない。たとえ、魔術でその外見をどう変えていたとして――数日間、彼に向けられていた視線は間違いなく、目の前のこの魔術師(リート)のものだ。

 それを確信しながらも、少し違和感を覚えた。相手が小柄で華奢な身体をし、ずいぶんと優しい顔をしていたせいだろうか。

「遅かったじゃないか?」

 何かを考える前に、青年の口からはそんな台詞が出ていた。

「もう、お見限りかと思ったがね」

「……これは」

 鋭い視線とは裏腹に、ゆっくりとした声が発せられた。シーヴは片眉を上げる。意外なものを聞いたように思った。その足は視線と同じように、まっすぐとシーヴの方へ向かってくる。

「お待たせしたとは、申し訳ありませんでした。――王子殿下」

 きゅっとシーヴの眉根が寄せられた。

 驚いたのは、彼が何者であるかなどとっくに調べがつけられていたということだけではない。

 違和感の理由が判った。

 その声は高かった。明らかに、女のものだ。

 もちろん、世の中には女の魔術師だっている。当然、レンにもいるだろう。だが彼は、現れるのは男だろうとばかり思いこんでいた。もし女であったならば、情報売りの少年はそう言ったはずだ。

 だが――見た目など、いくらでも変えられるのだろう。女の姿をしているのも、本当かどうか判らない。

「何、俺は誰かさんとは違って寛容なんだ」

 彼は手を振った。

「自分の都合にちょっとばかり合わなかったからと言って、手討ちにするような趣味は持っちゃいない」

 女は彼の目の前までやってくると、その台詞に笑ったようだった。シーヴが女の主――であろう――について評した台詞を聞いても、怖れたり憤ったりする様子はない。或いは完璧に隠している。

「ご一緒させていただいてもよろしいですか、殿下(カナン)

 その魔術師(リート)――であることには間違いないだろう――は、見たところ、三十を少し越えたくらいに見えた。だが、少年が言っていたように日々外見が異なるなら、その判断に意味があるとは思えない。暗い金色の短髪も暗い青をした瞳も女の姿も、、今日だけのものであるかもしれないのだ。

「その呼び方をやめたら、許してやる」

 シーヴは女の外見について考えるのはやめると、そう答えた。


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