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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第5話 薄闇の宮殿 第3章

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07 大事な女

 気まずい()が流れた。

 いや、それを気まずいと感じていたのは彼ひとりだったかもしれない。目前の女性はあくまでも穏やかに笑って、彼の言葉を待っているのだから。

 もちろん、その笑みが怖いということは、大いにあるのだが。

「それで、続きは?」

「ああ……いや、ええと……」

 冷や汗をかいている気分になって彼は額を拭ったが、理不尽なことに汗の一滴もそこにはついていなかった。

「俺の女神……いや、俺の春の女神、永遠に崇拝を……捧げん。我が……ええと」

「はい、もう一息」

 ぱん、と両手を叩かれれば、呪いの言葉を吐いている暇もない。

「我が愛しき、アレシアーナ姫」

「たいへんよくできました……と言ってあげたいけど、セイゲル」

 アレシアーナは可愛らしい口をとがらせた。

「いっつも結びがおんなじね。でも、ただの女神じゃなくて春の女神ってとこはよかったわ」

 そう評すると、アレシアーナはうんうんとうなずいた。どうやら奥方のお許しが出たようだ、と判るとセイゲル・ヒースリーは安堵の息をつく。

 予定よりも半月以上帰宅が遅れたら、詫びとして彼女を称える詩を謡うように、というのはいつ頃からはじまった遊び──と言うより、罰──だったか覚えていないが、冗談にも得意とは言えない。だからこそ、課され続けるのだろうが。

「それで今回はどこまで行ってきたって言うの?」

「アーレイドだ、西だよ」

「あら、珍し。あっちにはあんまり面白いものはないって言ってたのに」

「そうだなあ、残念ながらその通りだったよ。多少、海辺に目を引くものもあったが、全体的にはこの辺りとほとんど同じだった」

 ヒースリーは思い出すようにして言った。実際、薬草師(クラトリア)としては、アーレイドの訪問に何の意義も見出せていない。いや、薬草師ではなくヒースリー個人としても、何も見出せなかったのは同じだ。

「それなのにどうして、わざわざ?」

「人探しにね」

「あら、珍し」

 アレシアーナはまた言った。

「あなたが、植物じゃなくて人を探したの?」

「たまには、俺も真っ当なことをするさ」

「どうせ探し人には会えなかったんでしょう」

「……判るか」

 夫の言葉に妻は大きくうなずいた。

「慣れないことをしても駄目なのよ、セイゲル」

「じゃあ何か。俺は植物だけ追いかけていろと」

「それと、私をね。旦那様」

 軽やかに笑うとアレシアーナは、ヒースリーに抱きついて髪の毛にキスをした。それを捕まえて強く抱きしめれば、以前よりもまた妻が細くなったような気がして心配になった。

「ちゃんと食事は摂ってるか」

「もちろん、あなたの薬は欠かしてないわよ」

「薬より飯だって言ってるだろ、アレシア。俺の薬ってのは飯の補助なんだから」

「判ってるわよ」

 アレシアーナは夫の腕を叩いて、開放するように要求した。

「ほかの患者さんにもそう言ってる手前、私が疎かにする訳にいかないでしょ。ちゃんとご飯も食べてますよ」

 ヒースリーは妻の台詞が言い訳ではないかどうかとばかりにじっと彼女を見つめ、ひとつうなずくと腕を開いた。

「そうだな、そう言えば俺は腹が減ったよ、アレシアーナ。〈銀の船〉亭に飯を食いに行こう」

「あら素敵。じゃあ支度しなきゃ」

 アレシアーナは長い銀の髪をくるくると器用に巻き上げると、不意に夫をじっと見た。

「何だよ」

「……セイゲル、あなた、浮気してきたんじゃないでしょうね」

 その言葉にヒースリーは思わず吹き出す。

「なっ何を言い出すんだ?」

「慌てた! 怪しい!」

 アレシアーナはぴっと人指し指を夫に突きつけた。

「帰ってくるなり、いい店にご飯食べに行こうとか、そんなふうに旦那がいきなり優しくなるのは、やましいことがあるからよ!」

「……あー、えーと」

 ヒースリーは頭をかいた。

「最近の流行は何なんだ、アレシア?」

「ん? 旦那が軍に入ってね、休暇のたびに帰ってくるんだけど様子がおかしくて妻は心配するんだけど、どうやら旦那は街に愛人を作ったらしい……って展開のお芝居。この前、劇団がきたのよ」

「成程」

 言うとヒースリーは降参とばかりに両手をあげた。

「やっぱりお前がいちばんだ、奥さん」

「……それってやっぱり、浮気したって意味なんじゃ……」

「馬鹿、違う、泣くな!」

 ヒースリーは慌てた。アレシアーナは滅多なことでは泣いたりしないが――泣き真似は達者で、夫をよく困らせた。

「今回の遅刻の理由はまだ話していなかったよな」

「まだよ。……それじゃ、女ね」

「まあ、そうだ。違う、泣くなっ」

 ヒースリーは天を仰ぐ。

「エイラのことを覚えているか?」

「……エイラ?」

「前にも、話したろう?」

 妻の目がふっと翳るのを不思議そうに見ながら、薬草師は言った。

「うん……覚えてるわ。それじゃまた、偶然の再会(・・・・・)でもしたの?」

「勘繰るなよ、あのときは本当に偶然だったんだから」

「じゃあ、今度は意図的?」

「……食い下がるな」

 アレシアーナが「浮気」云々を言うのはたまにあることで、もちろん半分以上が冗談であったが、今日はいささかしつこいようだ。

「何かあったのか?」

 ふと思いついてそんなことを尋ねると、妻は神妙な顔をした。

「……あのね、セイゲル。ひと月くらい前になるかな、ガディがきたのよ」

「ガディが、ひとりでわざわざここへ? 珍しいな」

「うん。どうしてもあなたに伝えたいことがあるんだって」

 何となく落ち着かないものを感じつつ、ヒースリーは先を促した。

「彼、言ったのよ。エイラって女にはもう絶対に関わらないよう、旦那に言っとけって」

「何だって?」

「ずいぶん、深刻そうな顔してたわ。そっちこそ何かあったの?」

「ん……何かというか……ありそうだったがなかったというか……」

 思えば、ガディのちょっかいが原因で、彼が例の輝石を手にすることになったのである。ヒースリーは、〈魔術都市〉云々のところを端折って、ガディが手に入れようとしていたものがエイラに関わりが深いものであったこと、それが彼の手に入ったので彼女に渡そうと考えて西へ行ったこと、を話した。

「まず会えないと判っててわざわざアーレイドなんてとこまで行ったの?」

 アレシアーナは首を振った。

「セイゲル、あなた、人が好いにもほどがあるわ」

「俺もそう思うよ」

 ヒースリーが肩をすくめると、アレシアーナは笑った。

「それで、渡せずに持ち帰ってきたものは何なの?」

「ああ」

 ヒースリーは翡翠玉を見せようとして。はたと思いとどまった。

 魔術都市の噂はこのヌーイのような小さな村には届いていなかったが――持っていれば危ないかもしれないそれを彼女に見せていいものだろうか?

 魔術師協会(リート・ディル)に鑑定を依頼するにはやはり彼の(ラル)は足りず、これが本当に「魔法の翡翠」なのかどうかは相変わらず不明のままだったが、時折感じるおかしな気配は気のせいにしても気持ちのいいものではない。魔法の品「かもしれない」ものを持っているせいだろう、と漠然と思うものの、妻に余計な心配はかけたくなかった。

「それは……内緒だ」

「何よ、ケチ」

 アレシアーナはぷうっと頬を膨らませ、ヒースリーはまたも妻を抱き締めて機嫌をなだめにかかった。

「でもガディは、どうしてその女性(ひと)に関わるな、なんて言ったのかしらね」

 夫の胸に頭を持たせながら、アレシアーナは不思議そうに言う。ヒースリーは顔をしかめた。

「後ろ暗いところがある話は忘れろと言ったのに、まだ何かやってるのか、あいつは」

 翡翠とエイラの関わりなどガディは知らないはずだったのに、などとヒースリーは考え、友人を案じた。彼が思う以上にかの戦士が〈魔術都市〉に近づいていたことなど――もはやその身を案じても遅いことなど、彼は知らなかったから。

「後ろ暗いって、何」

 当然のことながら、アレシアーナはそれを聞きとがめる。

「セイゲル、何を企んでるの」

「……いや、俺は何も……」

 ヒースリーはもごもごと否定した。

「じゃあ、何を危ないこと、しようとしてるの」

「あー……」

 ここでごまかしきれないところが、自他ともに「人が好い」と認める所以だろうか。

「いや、大丈夫。たぶん、な」

「たぶん?」

 アレシアーナはじいっと自身の夫を見た。

「あのねセイゲル。危ない真似だけはやめてね。私、二十代や三十代のうちにあなたのお葬式を出すのなんか嫌だからね」

「よく心に留めておく」

 薬草師は真顔で言うと、再び妻からの口づけを受けた。

「とにかく、飯に行こう。そのあとで、話がある」

「何?」

「……あとで、な」

 またすぐにヌーイを発つ、などと言ったらまた泣かれかねない。だが、「危ないかもしれないもの」を持ったままでアレシアーナの近くにいるのも躊躇われる。

(――大事な女がいるんなら、間違っても、余計なことに首を突っ込むなよ)

 浅黒い肌をした年下の青年の忠告が、不意にヒースリーの耳に蘇り――「これ」をどうにかするまで、大事な女からは遠ざかっていた方がいいのかもしれない、などと薬草師に思わせた。


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