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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第5話 薄闇の宮殿 第3章

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03 愚かなる騎士殿

 多くの人間が立ち働いていても、そこはいつも静かだった。

 それは彼らが無粋な音を立てずに動き回る方法を知っているからだが、それよりも、余計な音を立てて主人の思索や術の邪魔をすれば手酷い罰が待っていることをよく知っているからだ。

 その静寂さのなかで、声は確かに、笑っているようだった。

 薄明かりが灯る部屋で低く響く声は、聞く者の背筋をぞくりとさせた。

「では」

 笑いを含んだままで、言葉は発せられた。

「俺の伝言は届いたということだな」

 〈ライン〉の言葉にスケイズは黙って頭を下げた。内心では、驚いている。あの日以来、アスレンが笑ったことはなかったのだ。リ・ガンを取り逃がした――あの日以来。

「反応は、どうだ」

 アスレンの言葉にスケイズは顔を上げると肩をすくめた。

「表情の出にくい男ですので」

 終始無表情のスケイズはそんなことを口にし、アスレンをまた笑わせた。それは珍しくも小昏いところのない笑いだったが、却ってスケイズは寒気を覚えた。だが下僕はそのような様子は出さぬままで続ける。

「動じては、いるでしょう。怒りも覚えているやもしれませぬ。しかし、怖れてはおらぬかと」

「だろうな」

 アスレンは言った。

「愚か者というのは、怖れを知らぬ」

 長い指で卓の上に意味のない紋様を描きながら、王子は続ける。

「俺がどう出る気なのか、気になって気になって仕方がなかろうな。そろそろちょっかいをかけてやるか、それともこのまましばらく放っておこうか?」

 またも、笑う。こんなに楽しいことはないとでも言うように。

「怖れ知らずの愚かなる騎士殿(セル・コーレス)。シュアラ王女だけを守っておれば、こんな簡単に弱みを見せることにはならなかったろうに」

 ファドックを脅すのならばシュアラの身を脅かすのがいちばん効果的だろう。実際、アスレンはそれに近いことを護衛騎士に告げたが、実際のところ、いかにレンがアーレイドに興味を持っていないと言っても、王女を傷つけて騒ぎになれば面倒だ。それよりは、下町の名もなき女を「いつでも殺せるのだ」と教えてやった方が手早く――面白い。

「何者だ、あの女は。ソレスとの接点は」

「籠編みの女でございます。女の息子が城に仕え、ソレスと親しかった模様で」

「息子か。それはどうした」

「既に街にはおりません」

「ふん」

 アスレンは冷たい目をきらめかせた。

「命拾いというところだな」

 アスレンはそう言って、ぱちんと左手の指を弾いた。

「いや、その息子も(・・・・・)追っておけ(・・・・・)。役に立つかもしれん」

 そう言ってから〈魔術都市〉の次期支配者はつけ加えるように言った。

「あの騎士に、女はおらんのだな」

「そのようです。兵たちと娼館に行くこともあるようですが、特定の春女を呼ぶということもなく。もっとも、女たちの方では、取り合いになるそうですが」

「ふん」

 王子は笑った。

「ああ言った女どもは、顔だけでは男を選ばぬな。女を悦ばせることが得意そうにも思えぬが、見かけによらず巧みだとでも言うのか」

「巧よりは、優だと言うのでしょう」

 アスレンの言葉は特に問いではなかったが、スケイズは淡々と答えた。アスレンはまた笑う。

「家族も――おらぬな」

「賊に襲われて死んでおります」

「幼き内にと言うことだったか」

 アスレンが言うとスケイズはまた、そのようです、と答えた。

「成程。それが、あの男の庇護欲を増大させる要因か。かつて護れずに終わった故、今後は護ろうと言うのだな」

 〈ライン〉の解釈に、スケイズは口を挟まなかった。

「しかし、つまらぬ」

 王子は笑った顔のままで言った。

「家族や女を(おびや)かすのが、最も効くであろうに」

「シュアラ王女と籠編みの女で、ソレスには十二分かと」

「――そうだな」

 レンの第一王子は満足そうに言ってから、ふと思い出したように続けた。

「リ・ガンはどうしている」

「まだ眠っております」

「気の長いことだ」

 アスレンの顔から笑みが消え、彼は苛々と手を振った。

 彼自身は、リ・ガンを取り逃がした、とは考えていない向きがある。

 確かに、彼の術のわずかな隙間をついて、リ・ガンは彼から逃れた。あれは、リ・ガン自身の力ではない。背後に、もっと大きな力を持つ存在がある。

 彼はあのときまでそれを知らなかった。〈翡翠の宮殿〉のことや、〈鍵〉が「女王」や「女神」と表現する存在のことはどんな文献にも載っておらず、だから彼は隙をつかれた。腹立たしい気持ちはあるが、敗れたとは考えていなかった。

 リ・ガンは逃れた。

 だが、完全に逃してはいない。

 言うなれば――その足から彼の手元まで、紐が付いている。

「ずいぶん、遠い。層の深い場所のようだな。だが、動き出せば判る」

 ゆっくりと言ったその声には少しスケイズの聞き慣れぬものが混ざっていた。

 それは、何であったのだろう。

「リ・ガンはアーレイドの術師として協会に登録しているのであったか。奇妙なことよな」

 魔術師でもなければ人間でもないというのに、と第一王子は言った。

「あれはどこまで、人の『ふり』をするのであろうか」

「リ・ガンで『ある』のと同様に、人で『ない』自覚もないのやもしれません」

「運命の手駒たる自覚のないまま――いや、あれはモノであった」

 アスレンは肩をすくめた。

「あのような姿をしている故、つい、人の子のように考えてしまいそうだ。それが手なのだとしたら、大したものだが」

 リ・ガンの姿を思い起こしながらアスレンは呟いた。

 ただの娘に見えた。もちろん、そうではないことを彼はよく知っており、知らなかったとしても見間違いようがない。あれが、尋常ならざる存在であること。

「アーレイドにリ・ガンを伴った男は、東国の王子だとか?」

「は」

 スケイズはうなずいた。

「シャムレイの第三王子リャカラーダ・コム・シャムレイ。以前にもアーレイドを訪れております。ほぼ間違いなく、その男が〈鍵〉」

「よし」

 アスレンもうなずいた。

「異国の王子をもてなすには、誰を遣わすが相応しかろう。案はあるか」

「シルヴァラッセンに適した者がおります」

「見習いか?」

「いえ。――師で」

「ほう」

 アスレンは口の端を上げた。

「それも一興。よかろう、手腕を見せろと言っておけ」

仰せのままに(フロー・サイラン)

 スケイズが礼をするのを見るとアスレンは、話は終わりだとばかりに手を振ったが、中途半端なところでそれをとめた。

「スケイズ、ひとつ聞く。かつてラクトルが結んだ陣について、お前は何か関わったか」

 その名が主の口に上った瞬間、スケイズの瞳に珍しくも動揺が走った。

「……最後の〈要〉が結ばれたときには、わたくしはまだ見習いでございました」

「そうか。リ・ガンを縛る陣にもう一種類の鎖を使うことも考えたが、まあ、よいだろう。ラクトルの知識を使わずとも、ほかの方法はある」

「畏れながら、ライン」

 スケイズは最上級の礼をした。

「そのように……フェルンの御名を軽々しく口にされては」

「何」

 アスレンの眉がひそめられた。

「では、俺にもフェルン(・・・・)と言えと? 愚かな。あれはもはや、ただの老いぼれだ。為した偉業には敬意を払ってもよいが、それ以上は不要。あれに俺を罰することなどはできぬ」

 〈ライン〉が不敵にそう言えば、スケイズにそれ以上の言葉があるはずもなかった。

「俺が怖れを知らないとでも言いたいのか、スケイズ? ならば俺もまた、あのソレス並みに愚か者ということだな」

 そう言うとアスレンは再び笑いを取り戻した。下僕はそれには何も答えぬ。彼の〈ライン〉に媚びやへつらいなど無用であり、アスレンはいま、側近の解釈などは求めていない。

「――リ・ガンめ。二度は、逃さぬぞ」

 レンの第一王子は遠く彼方、目には映らぬ〈翡翠の宮殿〉で眠り続けるリ・ガンを見透かそうとするかのようにすっと目を細め、その下僕はまたも深々と礼をし、主の代わりに怖れを抱きながら、その部屋をあとにした。


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