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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第5話 薄闇の宮殿 第3章

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02 さぞいい女なんだろう

 心のどこかでは、馬鹿な真似をしている、と言う考えがあった。

 だが、いまさらそんな理性の声に耳を傾ける方が、馬鹿げていると思っていた。

 どこにいるとも、本当にいるとも判らない「運命の女」を探して旅をし、出会った途端に彼から逃げた〈翡翠の娘〉を追いかけ、今度は──連れ去られたエイラを取り戻しに行く。

 彼女がどこにいるとも判らない、という状況ならば、慣れたものだ。当てのない旅路に躊躇って一歩を踏み出せないということはなかった。

 いや、当てならあるではないか。

 彼ひとりで訪れることができるのかどうか判らない〈翡翠の宮殿〉と、のこのこと訪れればあの戦士と同じ目に簡単に遭うことができそうな〈魔術都市〉。

(有難い話だ)

 シーヴは(ケルク)を駆りながら皮肉げに頬を歪めたが、可笑しいと言う気持ちが湧き上がった訳ではない。一刻も、一(トーア)も早くエイラの無事を確かめたい。彼女を救いたい。彼の内にあるのはそれだけだ。

 何故だろう?

 女としてエイラを愛しているとでも言うのならばともかく、予言で告げられただけの〈翡翠の娘〉のために、何故彼はこんなに必死になるのだろう?

 それが「運命」というものなのだろうか。

 それとも、やはり彼は彼女を愛しているとでも──?

 判らなかった。

 少し前までは、否と即答できた。

 だが、いまは判らなかった。ただ、それが「予言」や「運命」のせいであっても、シーヴの道、そして心までがエイラという存在に強く結びついていることだけは、判っていた。

(だから)

 耳に蘇る声。

(言ったでしょう、シーヴ様。シーヴ様はあたしから、離れる)

(ミン)

 彼は、しかしそれでも首を横に振った。

(確かに、俺はエイラに強く惹かれている。それは否定すまい。だがな、ミン。彼女に覚えるものはお前に覚えるものとは違うんだ)

 彼女のミ=サスの台詞に砂漠の娘は艶やかに笑った。

(そうよ。あたしとは遊びで、その女には本気なのよ。シーヴ様、だから、違って当然)

(馬鹿を言うな。お前は俺のラッチィだろう。遊びなどでお前を抱いたことは一度だってない)

(知ってる。でもそれはその女とシーヴ様が出会う前のことだもの)

 娘は、今度は少し寂しそうに笑うのだった。

(ミン)

 たどり着いた小さな町の小さな宿屋で、シーヴは目を覚ました。

 砂漠の娘の夢を見たのは久しぶりだった。自分はミンを愛していると、彼はそう思っていた。街に帰ればシャムレイの第三王子として見知らぬ婚約者と式をあげ、砂漠を訪れることもままならなくなるだろうが、そんなことは初めから判っている。それでも、リャカラーダの妻が誰であれ、シーヴが情熱を向ける相手はただひとり。

(もし)

 だが、不意に妖しい思いが頭をよぎった。

(ミンとエイラとどちらかを選べと言われたら……俺は、どうするのだろう)

 意味のない仮定だ、と思う。〈ヒュラクスの紐〉――池に落ちたふたりを救いたくても投げる紐は一本しかなく、迷う内にふたりともを失い、哀しみのあまりその紐で自らを吊ったヒュラクスの伝承――のような出来事は、現実には起こらないものだ。

 考えてみたところで仕方のない疑問を首を振って投げ捨てると、彼は簡易な寝台から降りた。バイアーサラまではあと少しである。

 カーディル伯爵が青年に貸し与えた馬は賢く丈夫で、新しい主人の無茶な疾駆にも逆らうことなくついてきた。これだけの馬は、もしや伯爵自身の愛馬だったのではないかとシーヴは思い、ゼレットに感謝すると同時に、伯爵がそこまでエイラを案じているのかと驚きも覚えた。

(あの閣下なら)

(躊躇わずに彼女を愛していると言うやも、しれんな)

 浮かぶ思いは何なのか。どこか「気に入らない」、それとも「羨ましい」だっただろうか?

 こんな感情を抱くことは、やはりエイラに惚れているようでそれまた「気に入らない」。そんなふうに思っていたが、ゼレットに妬くかと言うと、そうした感情は生じていないようにも思う。

 だが、自分よりも〈翡翠の娘〉に近い存在がいれば気に入らないというのは――やはり嫉妬、独占欲の類としか思えず、シーヴはすっかり癖になった自嘲をした。

「兄さん、ずいぶん急いでるようだね?」

 旅の支度を整えて厩舎を訪れたシーヴは、驚いたような声に迎えられる。年の行った馬丁は、夜遅くに馬を預け、こうして早くからまたやってきた若者に目を丸くしていた。

「まあな」

 シーヴは軽く肩をすくめる。

「大事な女が攫われたんで、追ってるんだ」

「そりゃ一大事だ」

 シーヴの台詞を本気と取ったのか冗談と見たのか判らないが、馬丁は面白そうに笑うと馬の準備を進める手を早めた。

「そこまでして追うなら、さぞいい女なんだろうな」

「まあな」

 シーヴはうなずく。エイラが聞けば苦い顔をすることは間違いない。

「さしずめ、攫ったのはどこかの助平貴族か」

 手早く物語を作り上げる馬丁にシーヴはにやりと笑った。

「惜しいな、悪い魔法使いさ」

 貴族も魔術師も、庶民向けの歌物語や芝居の類では悪役になりやすい。シーヴは茶化すように事実を言って、手早く馬具を着けられた馬の手綱を受け取り、料金を少し大目に弾んだ。

「毎度。兄さん、幸運を!」

 そう言うと男は、旅人の神にして幸運を司るヘルサラクと、恋の女神ピルア・ルーの印をごちゃ混ぜにした印を切って青年を見送った。

 バイアーサラまではあと一息だ。

 いい時間帯にたどり着くことができれば、そのまま早朝の「入り口」へ――。

(だが)

(俺ひとりでも、あの場所を訪れられるものか?)

 それは、かの宮殿へ行こうと思った瞬間から湧いている疑問ではあった。

 彼は、エイラに導かれてあの場所へ行った。彼に扉が開くだろうか、開いたとして、例の〈女王陛下〉は彼に力を貸してくれるのだろうか。

 もちろん、リ・ガンには貸すだろう。それは確信していた。そのせいか、彼は彼女が姿を「消して」半月近く音沙汰がなくても、彼女の無事を疑いはしなかった。

 〈鍵〉の危機にかつてリ・ガンはあれだけ強く反応をした。そこまでの力は彼にはないかもしれないが、エイラに何かあって〈鍵〉に判らないことなどあるまい、とも考えていた。心は変わらず彼の〈翡翠の娘〉を呼び、足は砂漠へとは、向かわないのだ。

 エイラは無事だ。

 どういう形で、どこにいるとしても――たとえ、〈魔術都市〉に囚われているとしても――必ず、生きている。

 疑わなかった。

 こうして〈宮殿〉へ向かうのは、〈翡翠の女王〉ならばエイラの居所を知っているだろう、彼女を助けるだろうと考えるからである。

 だが、彼は「翡翠の子」ではない。ただの〈鍵〉が女王の興味を引くことはないのではないだろうか?

(迷ってみたところで)

(ぶつかってみなきゃ、判らんな)

 〈翡翠の宮殿〉の入り口が開かれないとしても、悪くて、早朝の湖で寒中水泳をするだけであろう。女王様のご機嫌が麗しくなければ、仕方がない。そうなれば、何にもならない、それとも「死」にしか通じないと楽しい予想をしながら〈魔術都市〉に向かうしかない。

 ほかに、敵も味方も、心当たりがないのだから。


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