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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第5話 薄闇の宮殿 第2章

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05 災厄をもたらす

 瓏草(カァジ)の煙が室内を漂い、嫌な臭いを振りまいていた。

 初老の執務官はしかめ面をすると手にしていた書類で屋内を仰ぎ、まっすぐに窓のところへ行くとそれを全開にした。

「健康にお悪いですぞ、閣下」

「俺の健康など、知ったことか」

 ゼレットはそう言い捨てると、瓏草をくわえたままで卓の上の書類をめくった。

「今度は何だ、マルド」

「新しい(ケルク)が届きました。厩舎に入れてありますが、ご覧になりたいのではないかと思いまして」

「おお、そうか。一段落したら行くとしよう」

「その前に」

 執務官マルドは咳払いした。

「その臭いを落として行かれることですな。獣に好かれませぬぞ」

「これが俺の臭いだと言って喜ぶ女もいるがな」

「閣下」

 マルドはまた、咳払いをした。ゼレットは片眉を上げて片手を差し出し、渡された書類を卓の上に重ねた。

「それから、もうひとつ」

 マルドは卓から一歩下がると、両手を後ろに組んで口頭で続けた。

占い師(ルクリード)が閣下に面会を請うています」

「占い師だと?」

 ゼレットは胡散臭そうに片目を細くした。

「俺は、好かん。追い払え」

「存じております。そうしようとしましたが、なかなか強情で」

町憲兵(レドキア)に威嚇でもさせろ」

「いたしましたが、効きません」

 マルドは同じ姿勢のままで肩をすくめた。

「門の前で、朝から座り込んでおります」

 ゼレットは署名をしようと筆に伸ばしかけていた右手を止めた。

「もう夕刻だぞ」

「ですから、強情と」

 ふむ、とゼレットは瓏草を小皿に押しつけて火を消した。

「そやつの口上は何だ。天変地異を予知したとでも言うのか」

「そのようなことであれば魔術師協会(リート・ディル)に諮っておきますが、そうではなく」

 マルドは少し困った顔をした。

「あのような者の言うことですから、意味が判りませんが……」

「聞こう」

 ゼレットは続きを促す。

「何でも、隠された(・・・・)もの(・・)について、閣下とお話がしたいと」

「……何だと」

 失われた。隠されている。

 その言葉は、すぐに彼に思い出させた。カーディル家に伝わる伝承と、失われた――隠された翡翠。半月前に姿を「消した」娘と、彼女のためにそれを守ると誓ったことを。

「……会おう」

「何ですと?」

 マルドは驚いて目を見開いた。

「お会いになるのですか」

「ああ」

 言うと、手元の書類を揃え直して脇に置く。

「すぐにだ。一階の小応接室へ通せ。町憲兵について行かせて、俺が行くまで目を離すなと言え。それから」

 考えるようにして、ゼレットは言った。

魔術師協会(リート・ディル)に使いをやれ。ことの真偽が確かめられる術師をすぐに寄越せとな」

 ほかに緊急で済ませてしまわねばならない仕事だけを終わらせると、ゼレットはその足で自らの指示した部屋へと歩を進めた。

 カーディル城には、身分のある客とそうでない客を通す二種類の応接室がある。彼が占い師とやらを通したのは当然のことながら後者の部屋だったが、普段はそう言った客をもてなす――或いはあしらう――のは執務官であり、伯爵本人がそこで客と会うことは稀であった。

 戸の外で待機していた町憲兵は、ゼレットの姿を認めて敬礼をする。

「占い師とやらはここだな」

「はい、閣下。なかにもひとり、兵がついています」

「よし、ここはもういい。持ち場に戻れ」

 町憲兵は再び敬礼をすると指示に従ってその場を去った。ゼレットはそのまま扉を開け、なかの兵に同じように敬礼を受けると同じように指示をした。

「さて」

 ゼレットは、いささか行儀悪く後ろ手で扉を閉めると、簡素な長椅子に座って待っている「客人」を眺めた。

 春を迎えつつあるカーディルはそれでもまだ北方に比べれば寒いが、屋内は快適な温度を保っている。だが占い師は濃い灰色をしたローブをフードごとすっぽりかぶったままの姿をしており、ゼレットに片眉を上げさせた。

「用件を聞こうか」

 伯爵は椅子に座ろうともしないままでそう、はじめた。

「閣下」

 若い男――のようだった――はぼそりと声を出した。

「閣下の翡翠は、何処にありますか」

「用件とは、それか」

 いずれその単語が発せられるだろうとは思っていたが、開口一番に言われたことをゼレットは少し意外に感じた。

「隠されている、と言ったのはお前ではないのか? 俺が高価な宝玉を隠し持っているとでも思ったのなら、お門違いだが」

「もちろん、それは隠されている。そして、閣下はその在処をご存知ではない。判っております」

「判っておるなら何故、そのようなことを問う」

「ご存知でなくても、閣下にはお判りになるはずだから」

「はっ」

 ゼレットは笑った。

「占い師などという輩はみな、それだ。訳の判らんご託を並べて、自分だけが何でも判っているふりをする」

「真実に力を持たぬ占い師は、口先を弄するもの」

 占い師は言った。

「荘厳美麗な言葉を並べ立てて人々を翻弄するのは容易うございます。しかし閣下はそれを厭われる。ですから、私は単刀直入に申し上げたまで」

「成程、正直者という訳だな」

 ゼレットはかつかつと床を響かせながら、訪問者の向かいに座ることをせず、距離を取るかのように長椅子の後ろに立った。

「私を警戒されておいでですね」

「当たり前だ」

「ご信頼いただけないのは無理からぬこと。閣下を害するつもりなどございませんと申し上げても、お信じいただけますまい」

「俺の身などどうでもいいのだ」

 ゼレットは、先ほど執務官に瓏草について言われたときと同じような台詞を吐いた。

「ならば、閣下が守ろうとされるのは――翡翠」

「……いちいち驚いてなど、やらんぞ」

 軽い調子でゼレットは言ったが、その目は鋭く占い師を睨みつけている。

「お前は何者だ、占い師。翡翠がほしいのか」

「まさか、そのような」

 男は大仰に首を振った。

「私はただの一占い師。閣下の御居城に眠る玉の波動を感じ取り、それはあなたとこの街に災厄をもたらすと申し上げに」

 男は、最後まで言うことができなかった。ゼレットが素早く目前の長椅子を飛び越え、卓を踏み越えると男の胸ぐらを掴んだからだ。

「ご託を言うな。災厄などと言えば俺が怖れをなすと思ったか。生憎だな。災厄など断るが、お前からは胡散臭さがぷんぷんしている。俺を脅して翡翠の在処を知ろうというのだろう」

「――勇気がおありですね、閣下」

「何」

「真の占い師というのは、魔術の力を持つものですよ」

 その瞬間、男を掴んでいたゼレットの両腕に痺れが走った。彼はうめき声を上げ、反射的にその手を放す。

「貴様」

「お心をお鎮め下さい。閣下を害するつもりはございませんと申しました。自分の身くらいは守らせていただきますが」

 ゼレットは、動悸と呼吸が荒くなるのを感じながら、そっと両手を握りしめて異常な感覚が残っていないことを確認する。

「魔術か」

 それは質問ではなく、男もそれに気づいたか、何も答えなかった。

「……それで、何を話す」

 ゼレットは卓を――今度は踏み越えずに――回ると、ようやく男の向かいに腰を下ろした。

「私が何を申し上げても、閣下は翡翠を狙ってのことと思われるのでしょう」

「そうだ」

 ゼレットはその言葉を否定するつもりはなかった。

「お前が何を言おうと、俺は疑う。それでも言いたいことがあるのなら言ってみろ」

「お言葉に甘えまして」

 占い師は会釈をした。

「星の動きが変わりました。翡翠は、目覚めようとしております。しかしそれは正しい方法ではない」

 ゼレットは、意味が判らん、と思ったが口にはせず、卓の引き出しを開けると瓏草(カァジ)と小皿を取り出した。占い師は少し嫌そうな顔をしたが、彼にそれを気にしてやる義理はない。

「翡翠は正しい(あるじ)によって目覚めさせられねばならぬもの。しかし主は姿を現さない。このまま翡翠が力を奮えば怖ろしいことになります、閣下」

 瓏草に火をつけて煙を吸い、ゆっくりとそれを吐き出して、ゼレットは男の言葉を考えた。

「……それで」

 予想以上に若い占い師(ルクリード)の顔を見ながら彼は声を出した。二十代前半か半ばか、年上に見ても三十にはなっていないだろう。

「俺にどうしろと?『怖ろしいこと』になる前に翡翠を渡せと言うのか?」

「手早く言うならば、そう言うことになります」

 占い師は答え、伯爵は笑った。

「下らん。どんな込み入った話を聞かせてくるのかと思えば、そんなことか。三流の詐欺師以下だな、占い師」

「私を信用されない。当然でしょう」

 占い師は首を振った。

「ですが、このまま捨て置けば後悔されましょう。あなたが守るのはカーディル領とその民のはず。よくお考え下さい。閣下は、訳の判らぬ『魔法の翡翠』などにうつつを抜かして、責任をおろそかにされる方とは思えませぬ」


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