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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第5話 薄闇の宮殿 第2章

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01 本当の姿

 正直に言って、初めは判らなかった。

 だいたい、どうしてこんなところで偶然の再会をする? それも、こんな朝早い時間帯に。

 だがその疑問――疑念はこのときには浮かばなかった。

「覚えていないのか?」

 男は複雑な顔をした。

「ほら、ラジー……ヒースリーの友人だ。アイメアで、会っただろう」

「……ああ!」

 ようやく、エイラは目前の戦士(キエス)が誰なのかが判った。

「確か、ガディ」

そうだ(アレイス)

 ハルガーディ・ボーンはそう言うと、おかしな笑顔をエイラに向けた。それは無理矢理に笑みを作ろうとしているかのように不自然で、彼女は少し奇妙に思ったが――特に気にはしなかった。

「ずいぶん、いろいろなところを歩いてるんだな? 確か、あのときは東まで行ったって。今度は南か」

「南? ああ……ああ、そうだ。ちょっと……用事があってな」

 その返答を聞いたエイラは、たいていの人間は用事があって出かけるだろうけどな、などと思った。

「あの、な、預かってるもんがあるんだ」

「預かってる? 私に?」

 ハルガーディの言葉にエイラは首をかしげた。

「ヒースリーからか?」

 エイラと彼の接点はあの薬草師しかなかったから、彼女はそう尋ねた。ハルガーディは不自然なくらいに大きくうなずいて、荷袋から小さな袋を取り出す。

「……これだ」

 城柵の隙間から差し出されたそれを不思議に思いながら受け取った。

 ヒースリーが彼女に何を渡したいとしても、何故ガディに託すのだろう? どこにいるのかも判らない相手に偶然出会う可能性はとても低い。

 彼女とヒースリーはフラスでそれを果たしたけれども、あんなことは二度とないだろう。それにしたって友人に託すというのもおかしくはないか? 自分の「偶然」を使い果たしたから他者に頼むというのも奇妙な話だ。

 だが、まさか――彼女は、不思議には思っても、疑ってはいなかったのだ。

 だから、ハルガーディが慌てるように手を城柵の向こうへ引っ込めたことも、そう不審には思わなかった。それが(・・・)魔術の品(・・・・)であるから(・・・・・)、だとか、彼女が(・・・)人間では(・・・・)ないから(・・・・)、だとか、彼がそんなことを怖れているとは微塵も思わない。

 ただ、彼女は首をかしげながら小袋を開け、いったい何だろうと素直にそれを取り出したのだ。――無防備に。

「……護符」

 みたいに見えるが――という言葉を続けて発することはできなかった。

 黒檀で作られたその符は何かの動物をかたどっているように見えたが、そうと判断する間もなかった。

 手にした瞬間、大きな石ででも後頭部を殴られたかのような衝撃が彼女を襲ったのだ。

(なん……っ)

 声を出すことも、できなかった。

 彼女は、本当にいきなり殴りつけられたかのように前のめりになり――。

 次の瞬間には、暗い世界にいた。

 驚いて周囲を見回す。だが何も見えない。自分の両の手すら見えぬ、ここは闇。

「何……だよ、これ……」

 声を出したつもりだったが、自身の耳にそれが届かないことに気づいてどきりとした。

「おい……ガディ」

 やはり、声は聞こえない。動悸が激しくなる。

 これは何だ(・・・・・)

 考えるまでもない。何かの――魔術。

 それも、冗談にも性質のいいものだとは思えない。

レン(・・)

 その都市の名ももちろん、考えるまでもなかった。

 となれば、彼女が手にした――いまも手にしているのか、よく判らなかった――あの「護符のようなもの」がヒースリーからの預かりものであるとは思えない。

 となれば――。

(ガディ)

(あいつが……レンの使いをしたとでも?)

 その考えはどうにも不吉だったが、当たりだ(レグル)と答える自分を否定することもできなかった。

(でも……どうして)

 どうして自分を騙したのか、とは思わない。一度会って話をしただけだし、彼女に会ってこれを渡せ、と言う簡単な仕事で金をもらえるのならば、ただの下町の少年だった自分を思えばぐらりとくるだろう。だから、あの戦士に憤りは覚えない。

 ただ、どうしてそんな馬鹿な真似を――とだけ、思った。どれだけ金を積まれても、〈魔術都市〉に関わるなど!

(落ち着け、落ち着くんだ)

 エイラは言い聞かせた。

(レンか?)

(当たり前だ、それ以外に誰がいる)

(いや、いるかもしれないけど、でもそう考えるのが自然だ)

(そうだ――俺は、『見られた』んだから)

 この闇は、あのときのものに似ていた。だがいまは、見られているという感じはしなかった。似ているのは、その黒さと「何もない」という感覚。

(どうする)

(どうするったって、どうしようも)

 それでもやはり、彼女は「魔術」というものに詳しくないのだ。多少の魔力を操ると言ったところで、これだけ大きなものをかぶせられてしまっては身動きが取れない。

 途方に暮れた、そのとき。

 世界に――光が戻ってきた。

 エイラは、目をしばたたいた。闇の世界は何も見えないが、いきなり引き戻されてもすぐには見えない。

 光は刺すように痛く感じたが、慣れてきてみればそこは眩しいどころか少し薄暗い場所で、小さなあかり取り用の窓から差し込む朝の陽射しだけが光源だった。

 だが、彼女がそれに気づくのはもう少しあとだ。

 床に倒れ込んだ状態にあるエイラの目に最初に飛び込んできたのは、黒いローブの裾。魔術師を表すそれにびくりとし、同時に当然だと思う。ほかにどんな類の人間が、こんなことをしてくれるというのか?

 彼女はゆっくりと目を上げた。

 黒いローブの裾から、視線をその――彼女をここへ連れてきた魔術師の顔へと、移す。

 痩せこけた陰気そうな顔には見覚えがなかった。ただ、はっきりと判るのは、彼女などでは太刀打ちできないほど高位の術師であるということ。

 灰色の細い目は冷たく、何の感情もそこには浮かんでいない。

 エイラは、相手の反応を伺いながらそっと身を起こした。男は何も言わず、エイラも何も言わない。沈黙が、流れた。

「――ルクス」

 何(ティム)にも渡るかと思われた静寂のあと――実際には、せいぜい一分だっただろう――男から出た声にエイラはまたもびくりとした。

「見張っておけ。術を絶やすな」

「はい、セラス」

 返ってきた声に驚いてそちらを見れば、魔術師がもうひとり。フードをかぶったままのその顔はよく見えなかったが、声からすれば目の前の男よりずっと若そうだった。男はすっと踵を返すと、エイラには何ひとつ言葉をかけないままでひとつだけの扉から外へ出ていった。エイラはほうっと息をつく。

 状況は何も変わらないが、何を考えているのかさっぱりと判らない目で、ああしてじっと見ていられれば落ち着かない。いまの男にもう一度、三(トーア)でも見つめられるくらいなら、ゼレットに五分見つめられる方が余程ましだ。

 エイラは改めて、その場所を見回した。

 白い部屋、という印象が浮かぶ。

 何も、真っ白に塗られているというのではなく、何の壁紙も壁塗りもしていなければ小さな棚や卓ひとつない、空っぽの部屋、と言うことだ。

 小さな窓から日が射しているところを見ると、少なくとも南向きではないようだ。まだ――おそらくは――朝なのだから、東か北を向いているのだろう。男が出ていった扉は窓の反対方向にある。これまた飾り気ひとつない簡素な扉で、その脇にじっと立っている若者の黒いローブは、扉と壁の色を一段と白く見せた。

(術を……絶やすな?)

 エイラは男の言葉を思い出した。

(何か魔術がかけられてる。部屋に? 俺に?)

違う(デレス)

ここに(・・・)、だ)

 足元を見て、ようやく気づいた。

 見慣れぬ大きな紋様。彼女のような新米術師には何を意味しているのかさっぱり判らなかったが、このような陣を描いて術を行うことがあるのだと言うことだけは知っていた。

 不意に右手に違和感を感じて見てみると、例の護符を握りしめたままだった。彼女は小さく呪いの言葉を吐くと、熊のような形をしたそれを投げ捨てる。それは若者の方に転がっていったが、彼は気にも留めないようだった。

「……ちょっと」

 しばらくそのまま黙っていたが、息が詰まるように感じて声を出した。

「ここは、どこなんだよ」

 訊いても無駄だろうとは思っていたが、訊かずにはいられない。案の定、魔術師は何も答えなかった。

「私をどうする気だ」

 返答はない。

「目的は何なんだ」

 エイラの声だけが虚しく響く。

「……おい、何とか言ったらどうなんだよ。答える気がないならないで、教えてやらん、くらい言ったって罰は当たらないだろ」

 それでもやはり、応えはなかった。まるで人形を相手に喋っているような気になって、エイラは天を仰ぐ。

 いっそそれを人形だと思いこんでしまうことにしたエイラは、もう魔術師のことは気にせず、判らないながらも足元の陣を眺めてみた。どんな魔術が働いているのかは相変わらずさっぱりであったが、この外には出られないだろうと思った。

 やってみようとは、しなかった。そこには強力な「禁止」とでも言うものがあるのだ。

 「出よう」と思う前に、「出られない」と思う。とてもではないが試みる気にすらなれない、それは強い術。

 内部でささやかな魔力を行使してみようとしたが、どんな小さな力も使えないことはすぐに判った。そんなことだろうとも、思っていたが。

(参ったな)

(こんな簡単に、捕まるとはね)

(それにしても……突然じゃないか?)

 もう少し、「前置き」とでも言うものがあってもいいのではないか――などと考えて笑った。だが笑っている場合ではない。

 彼らは、レンの人間なのだろう。

 レンに暮らすものは身体に奇妙な彫り物をしていると言うが、先の男も残っている若者もローブに身を包んでいるから、そのようなものは目に入らない。しかし、レンではないということもないだろう。

(……まあ、どこの誰だろうと、同じだけどな)

 そんなふうにも思った。

(こうして俺を捕らえて……何のつもり、も何もないよなあ)

(翡翠が目的じゃなかったら、俺は驚くね)

 それ以外にこうやって彼女を捕らえる意味があるだろうか?

 彼女を攫っても、身代金など取れない。いや、実際にはシーヴもゼレットも庶民から見れば相当な金持ちだが、まさか「リャカラーダ王子の恋人」だの「ゼレット伯爵の愛人」だのという理由で――どちらだろうが、嫌な考えだ――(ラル)を目的に攫われたとは思えない。

 ガディがエイラを見知っているという理由で雇われたと考えれば、目的は明らかに彼女自身だ。

 もし、彼女が見目麗しい女性ならば――どちらかというと美女だったが、本人はそうは思っていない――よからぬことを企む馬鹿な男もいるかもしれない。だが、そう言った馬鹿者は力ずくでどうこうしようとするもので、魔術などは使わない。

 どう考えても、目的は、エイラではなく、リ・ガンだ。

 そう、もちろんエイル少年でもない――と考えたエイラは、はっとした。

 この陣のなかでは、あらゆる術が使えない。ならば〈調整〉もできないのではないだろうか。いまはそれをする必要はないが――術が打ち(・・・・)消される(・・・・)状態にあり(・・・・・)ながら(・・・)エイラが(・・・・)打ち消され(・・・・・)ていない(・・・・)ことに気づき、愕然としたのだ。

(……今更、だな)

 だが、その衝撃の数秒あとにはこっそり自嘲をする。

(いくら、俺はエイルだと思っていても……どちらも同じ、なんだから)

(どちらが本当の姿だってことは、ないんだ)

 「エイラ」はエイルが魔術で変身した姿だと思い込んでいた――思い込もうとしていたのだと、こんな形で思い知らされた。

 判っていたのに、気づかないふりをしていただけ。

 人間のふりをしていたのと、同様に。

 エイラは深く息をつくと、陣のなかを歩き回るのをやめてどっかりと床に腰を下ろした。

(何ができる?)

(何かできるか、いまの状態の俺に?)

 後ろ向きの思考をしたところではじまらない。悩むことなら、眠りの訪れない夜に飽きるほどやってきた。いまはそのときではない。エイラはできること、やるべきことを探し始めた。


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