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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第4章

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01 力の質

 気持ちのよい快晴であった。

 空には雲ひとつなく、見上げれば吸い込まれそうな青だけがどこまでも広がっている。崖から見下ろす水平線の彼方にも、この青はずっと続いているのだ。大陸を越え、果てなき山脈を越えても──?

 男は首を振ると、そんな夢想を断ち切った。彼にはあまりに、遠い。

「……本当に、行っちまうのか」

 それから傍らの女を見やって尋ねた。

「ああ」

 女は短く答えた。

「私の探しものは、ここにはなかったみたいだから」

「いったい何を探している?」

 はっきりとそれを問うてみたことはなかった。もしも彼が簡単に見つけられるものだとしたら、そこで彼女の用が済んでしまったら、あっさりと彼女が行ってしまうだろうと思っていたからだ。

 少し卑怯だとは思っていた。

 彼女を引き留めたくて、彼女の探しものを隠しているかもしれなかったのだ。

 だが女はそんな彼の心を見抜いたかのように笑いかけた。まるで彼を安心させる母親のように。

「私の探しているものは私にしか判らないんだ。誰にも手伝えないし、その代わりに邪魔もできない」

 女の言い方はいつも曖昧だが、彼はそれにはもう慣れていた。往々にして吟遊詩人(フィエテ)というのは、そうした傾向の強い者たちである。

「それは、俺が手伝いについていくっていっても無駄だってことだな?」

「ついてくるだって?」

 女は面白そうに笑った。

「馬鹿な考えは捨てた方がいい。私は君が思っているような女じゃない。ここには君に似合う娘がたくさんいるじゃないか。こんないい町で幸せに暮らせるんだから、そうするべきだ」

「だがお前は行ってしまうんだろう」

「そう。私はこの町が好きだし、できるなら留まりたいと思うよ。けれど駄目なんだ……判ってくれ」

「呪い、か」

 男は呟くように言った。船乗り(マックル)たちはそう言った迷信をよく担ぐ。島のほとんどが海に関わる暮らしをしているこの町では、呪いだの魔法だのと言った言葉も日常で、大陸の大都市のように鼻で笑われはしない。

「呪いと言うよりは……罰なんだ。私の犯した罪は、いつまでたっても消えやしない。失われたものを探す、実りのない旅を続けることは私の宿命となったんだ」

「その宿命を変えることはできないのか?」

「できないだろうね。それに……そんなことは私は望まないんだ」

「罪を償い続けていきたいのか」

「それが私にできる唯一のことだから」

 女の声に迷いはなく、男はそれ以上言葉を続けることができなかった。

「さよなら、ランドヴァルン。君の幸せを祈ってる。本当だよ。それから」

 今度は少し躊躇うようにして、だが女は続けた。

「君の宝玉に――気をつけて。あの翡翠はいつか、君を助けるだろうけれど、厄介ごとも引き起こす。手放すべきときを見誤らないで」

「何だって……?」

 突然の奇妙な言い様に男はきょとんとした。女は苦笑する。

「いいんだ。心に留めておいてくれれば」

 そう言うと、女は踵を返した。ランドヴァルンはそれをとどめようとし、だが何を言っていいか判らなかった。

「お前も、お前も幸せになってくれ!」

 無理矢理に思い浮かんだ言葉をその背中に向かって叫ぶ。女は背を向けたままで彼に手を振った。

「幸せに……なってくれ。──クラーナ」

 空は高く、痛いほどに青い。

 彼が吟遊詩人(フィエテ)を追うことを心に決めるまでは長くかからなかったが、その再会まではいま少しの時間を必要とした。


 多くの場合において、彼らはいつも超然としていた。

 表情はろくに変わらぬし、言葉も少なく、その場所はいつも静かだ。万一にも余所から誰かが迷い込めば――そんなことは有り得なかったが――冥界の〈裁きの間〉だとでも思うかもしれない。温度は決して低くないどころか、常に快適に保たれているにも関わらず、寒さ、それとも怖れに身が震えるのを覚えるだろう。

 だが当然のことながらそこには誰も迷い込んではおらず、その場所はいつもと同じ日々を送っていた。

 いや、同じではない。

 彼らは怖れていた。

 声に出さず、顔にも出さずとも、そこにいる彼らはみな怖れていた。

 ――主の怒りが、彼らに伝わるのだ。

「どういうことだ」

 白皙の美青年は、しかし頬を紅潮させるようなことはなかった。

「何があった」

 淡々と、いつもと変わらぬ冷たい声で問う。だが彼には答えは判っている。

「消えました」

「消えたと言うのか?」

 面白くもないように笑う。その薄灰色の瞳にだけ、微かな苛立ちを表していた。

「愚かなことを言うな、スケイズ。消えたのではない」

 アスレンは、すっと左手を振った。白い手首に刻まれた紋様が目立つ。双頭の蛇が絡まり合うその印は、レン王家の者だけに刻まれる証のひとつだった。

「動いたのだ」

 側近のスケイズにだけ見て取れる、その怒り。もちろん、アスレンが怒りに身を震わせていることはその目などを見なくとも、館中のものが理解していたが。

「スケイズ」

「は」

「お前の考えを話せ」

「畏れながら、ライン」

 スケイズは、近くにいても聞き取りづらいほどのぼそぼそした低い声で言った。

「情報が、少なすぎます」

「そのようなことは判っている」

 〈ライン〉の声にも、苛立ちが浮かび出した。

「この状況で、お前はどう見るのかと尋ねている!」

「は」

 スケイズは頭を垂れた。推測をべらべらと語ることはこの男の好みではなかったが、〈ライン〉の不興を買うことを考えれば自らの好悪など大砂漠(ロン・ディバルン)に投げ捨ててしまっても構わない。

「ひとつには――盗賊(ガーラ)でしょう。夜の内にアーレイド城から玉が奪われた」

「愚かなことを言うな」

 アスレンは先と同じ台詞を言ったが、今度は少し面白がる響きを帯びた。スケイズが本気で言ったのではないことくらいは彼には判っている。

「ラインの目的が先を越された可能性。盗賊でないにしても、(ぎょく)を奪ったものがいると言うことです」

「そうではない」

 アスレンは首を振った。

「動いたと言っても、移動したという意味ではない。次は」

「もうひとつには」

 スケイズは続けた。

「玉が破壊された可能性」

「破壊だと」

 アスレンは目を細めた。

「何故そう思う」

「は」

 相変わらず感情の伝わらない声でスケイズは続けた。

「先日のアーレイドを見れば、翡翠の持つ穢れについて、かけらたりとも気を払っていないことは一目瞭然。ラインの狙いは翡翠ではなく、当然アーレイド、王女だと考えています。ただひとりの男をのぞいては」

「ソレス」

 アスレンは呟き、スケイズは同意を表す仕草をした。

「奴が、翡翠を壊したとでも?」

「そこまで大胆な男でもないでしょう。あの男は何者かを手引きした、とでも言ったところかと」

「ではそれは誰だ」

「ソレスが味方と認めた者。決してアーレイドに、王女に害をなさない者。ラインがかの街を訪れられたときには、そこにいなかった者」

「そうだな」

 アスレンは言った。

「奴に仲間がいたのなら、もっと早く何かが起きていてもおかしくない。だが、どちらにせよ、破壊されたとは思わん。消えたのではないのだ」

「では」

 やはりぼそぼそとスケイズは言う。

「抑制されたというのは」

「――抑制」

 アスレンは繰り返した。

「はい。翡翠の力が何者かのものになったとして、しかしそれでもその眠りを隠し果せるとも思えません。力の質が変わった、と見るが妥当かと。翡翠の発する波動が変わり、追うことが難しいのです」

「……考えられるな」

 アスレンは薄い唇を一文字に結んだ。

「だが、そうではない。逆だ。抑制ではない。――目覚めさせられた」

 はっきりというアスレンにスケイズは少し驚いたが、そのような態度は見せない。

俺は見ていたのだ(・・・・・・・・)、スケイズ。翡翠を見張っていた。そうだ、翡翠の力が動いた、力の質が変わったと考えるのが、あの出来事にいちばん相応しい」

 暗い――何もない世界を思い出すように、アスレンは目を細めた。

翡翠(ヴィエル)の力を制するもの……かの力を操る存在が、アーレイドに在る。あれは」

 レンの第一王子の目が、きらりと光った。

()ガン(・・)


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