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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第3章

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09 誓おう

「もちろん、何事もなかったのだが……その夜のうちに、城からお姿を消された。こんな事情があれば、私はリャカラーダ殿下に不審を抱いて当然だと思う。そうあるべきだろう。しかし」

「そうではない、のですか」

 エイラがおそるおそる口にすると、ファドックはうなずいた。

「それどころか、私は殿下をご信頼し申し上げているように思う。あの方はアーレイドに害をなさないと」

「それは……」

 俺も聞きました、と言う言葉は飲み込む。

「それは、その、当然なんです。だってあなたは〈守護者〉でリャカラーダ殿下は〈鍵〉……リ・ガンの舵。私につながる存在なんです。翡翠と私を通して、あなたは彼とつながっている」

 エイラは言うと、ファドックはじっと考え込んだ。

「貴女の言われることは、吟遊詩人(フィエテ)の物語のようだ。仮にも護衛騎士(コーレス)ならば、私は貴女がこうして私を引き止めている間にリャカラーダ殿下が――とは言わぬが、我が姫に何かが起きているのではないか、と警戒すべきなのだ。だが私は二度お目にかかっただけの殿下(カナン)を何故か信頼している。そして、セリ。貴女のことも信頼したいと思っている。いや」

 護衛騎士は困惑したように首を振った。エイルがそのようなファドックの様子を見たのは、一度だけだった。

「私は貴女を――信頼してしまっている。それが奇妙で仕方がない。何かの魔術なのだろうかと思う心もあるが、そうではないと、思う。そうではないと知っている(・・・・・)、と思うのだ。このような曖昧な感覚で動いては、護衛騎士(コーレス)失格だな」

「ばっ、馬鹿なこと言わないでください!」

 エイラはまた言った。

「あなたは翡翠の守り手なんだ。それは――血脈として受け継がれているもので、逆らえないものなんです。私が翡翠の呼び声に反応するのと同じ。自分を疑わないでください。あなたほど……」

 エイラは胸を詰まらせながら言った。

「あなたほど、シュアラ様を護れる人はいないんです」

 城にいたとき、エイル少年はファドックと違う形でシュアラを護れると――そう思った。エイル少年のままであれば、それはどんな形であれ、叶ったかもしれない。

 だがリ・ガンとして目覚めたいまでは、「エイル」がファドックのようにシュアラの隣にいることはできないのだ。

「エイル」

 どきっと心臓が跳ね上がった。まさか。

「貴女はエイルに――よく似ている。セリ」

 ふうっと力が抜けた。安堵か、それとも失望か。

「自分では、そうは思いませんけど」

 どうにかそんなことを言うと、護衛騎士は初めて――エイラの前で笑った。

「顔かたちが似ているというのではない。いや、少し似ているところもあるようだが……女性に対して少年に似ているなどとは失礼だな。だが、貴女の話し方、仕草、どこか彼を思い出す」

 仕草(・・)、までは思い至らなかった。そんなふうに思ったエイラはただ肩をすくめ、何も答えないでおいた。

「手を貸してほしいと言ったな。私に何を求める」

 まさか宝物庫へ案内しろなどとは言うまいな、とファドックはまた笑った。エイラも笑みを返す。

「そんなことを言ったら、本当は盗賊(ガーラ)なんじゃないかと疑うんでしょう。言いませんよ」

 エイラはすっと立ち上がると、両掌を上に向けてファドックに差し出した。「目隠し」が外れる思い。

「手を――出してください」

 一(リア)躊躇うようにしてから、ファドックは両手をエイラのそれに乗せる。エイラは小さな手でファドックの手を握るようにして、目を閉じた。

(レイジュに怒られるな)

 思わず浮かんだ笑いを抑える。

「誓って……もらえますか」

 いまならば判る。〈守護者〉と誓いの意味。

「あなたは翡翠の守り手。リ・ガンのために翡翠への道を開き、翡翠が目覚めたあともそれを――守ることを」

 ファドック・ソレスという個人に、その意味は判らないだろう。だが、その身体に流れる〈守護者〉の血は知っている。

「誓おう」

 ファドックは答えた。おそらく、何故自分がそのような返答を躊躇なくするのか、奇妙に思いながら。そして、何故このような言葉がするりと出てくるのかも。

「ならば――貴女も誓うか。〈時〉の月に再びこの翡翠を訪れることを」

「もちろん」

 エイラは満面の笑みをたたえてそう言うと目を閉じた。

「誓います」

 そう言うと、すうっと息を吸う。

(――ココダ!)

 ファドックの手がぴくりとしたので、彼にもその声が聞こえたことが判った。

(我ハ、ココダ!)

(判ってるよ)

(遅れて、ごめん。でも必ずしも俺のせいじゃないんだからな)

 まるでそれは、シーヴが(ケルク)に話しかけでもするようだった。エイラは翡翠に語りかけ、その波動を感じた。

 世界が包まれる。

 翡翠の色に――それとも、純白に。

 リ・ガンはその波に呑まれる。いや、(いだ)かれる。言い様のない充足感にくるまれ、自分を含む全てが完璧であると感じる。

 リ・ガンは手を差し伸べた。

 正確なことを言えばそこには肉体はなかったから、手を差し伸べるような思いを向けた、とでもいうところだろうか。

 そこに、リ・ガンを呼ぶものが在る。

 それは、翡翠という「モノ」であるはずなのに、息づいているように思えるのは奇妙なことだった。

 本来の二倍に長い眠りから、微睡みから、それは目を覚まそうとしていた。

 リ・ガンは手をかざす――ような感覚を送る。

 「目」や視界という形では何ひとつ見えぬ。それでもそこにそれはあり、リ・ガンは迷わなかった。迷うはずなど、ないのだ。

 ここだ。

 誤るはずなど、ないのだ。

 リ・ガンは見えぬそれを見えぬ手で愛おしく拾い上げ、赤子を抱く母のように、それを抱いた。

 見えぬそれはリ・ガンの見えぬ体内にすうっと入り込み、リ・ガンの血の一滴までをも満たした。かと思う間もなくそれは全身から煙のように形なく出て行き――拡がった。白い世界の、隅々まで。

翡翠(ヴィエル)は――)

(目覚めた)

 次の瞬間には、闇の中にいた。

 闇とは言わぬだろうか――とにかく、墨で塗りつぶしたような何もない空間。〈翡翠の宮殿〉が何もなく真白いのに対し、それを逆さまにしたかのような。

 リ・ガンは戸惑った。

 これは――何だ?

 このようなことは、起こらない。

 このような場所は、一連の流れのなかにはない。

 翡翠は、何処へ行った?

 リ・ガンは見えぬ自分の身体を抱き締めた。

 ここでは、何ひとつ、完璧なものなどない。

 ここには何もない。

 いや、ひとつだけ――。

見ている(・・・・)!)

 全身を冷たい感覚が襲った。見られている。リ・ガンが何をしたのか、知ろうとしているものがある。

(駄目だ、これ以上……)

(これ以上、見られては)

(逃げなければ)

(でも、何処へ?)

 リ・ガンは逡巡した。どこへ行けばいいのか? 何もない、黒い世界。〈翡翠の宮殿〉ならば、どこへ一歩を踏み出すか躊躇うことなど、ないのに――。

(何処へ行けばいい)

(誰か……道を照らしてくれ)

(光をくれ!)

 聞こえぬ声で叫び声を上げかけた、その、とき。

(――エイラ!)

 声がした。

 声は、光だった。

 ぱあっと世界が明るくなった。

 世界は、白ではない。

 世界は、彼女のよく知るものだった。

 長く長く息を吐いて、彼女はゆっくりと――ファドックの手を放す。

「すみません……ファドック様、今度は本当に……」

 足の力ががくりと抜けた。

「気分が……悪……」

 視界がぐるりと回った。堪えきれなくなってその場にくずおれかけると、ファドックの力強い手がしっかりと彼女を支える。

 襲いくる目眩と戦いながら、こんなところを見られたらまたレイジュに謂われのない借りを作ることになるな、と思い――シーヴがまた機嫌を悪くするかもしれない、などとも思っている自身に、少し苦笑をした。


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