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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第3章

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06 何だかすごく

 中心街区(クェントル)にある大通りは、祭列などにも使われるほどの広さがあるから、もちろん馬車なども行き交う。

 上等の旅籠の前に上等の馬車が着いても、だから誰も不思議には思わない。

 宿の主は、迎えの人間が城の制服を着ていることに気づいたが、それは彼自身の目利き――上客を逃さなかった――を満足させるだけに終わり、噂が出回るようなことはなかった。上質の旅籠屋は、客の情報や素性を探るようなことはしないのだ。

 迎えがきたその瞬間から、シーヴはすっかりリャカラーダになっている。これはもう、彼の性癖とでも言うもので、そうしようと思わなくても自然にできてしまうのだ。だがエイラとしては、よくやるものだ、という思いがある。

 やってきた従僕がエイラをどう思うのかは判らないが、「第三王子」の連れである以上は礼儀を尽くすのが当然だ。さっと馬車の戸を開けられ、礼などされれば戸惑うが、シーヴに促されてそこに乗り込む。ある程度の礼儀は「エイル」にはたたき込まれているが、それは使用人として王女に仕えるためのもので、姫君としてのものでは――当然――ない。

 シュアラのしていたことを真似すればいいのだろうと思いながらも、当のシュアラを目の前にしてそれができるだろうか。

 そう考えて、どきりとした。

 ファドックのことばかり気にしていたが、今日はシュアラ王女殿下の招待なのだ。

 シュアラに会う。

 この姿で。

 エイラは唇をかんだ。何が――悔しいのだろう。

「エイ――リティ?」

 隣に座った「リャカラーダ」が声をかけるのに、にっこり笑ってみせた。「エイル」のことは忘れよう。いまは、翡翠だ。

 拵えのいい馬車が石畳を走れば、古びた街道を隊商の荷馬車で行くのとは全く違う。揺れもほとんど感じられなければ、座り心地も最高だ。すきま風などももちろんなく、(ケルク)の臭いもしない。

 エイラ――エイルがこういった馬車に乗ったのは、初めて城へ連れていかれたあのときだけである。あのときはセラー侯爵とファドックが隣にいた。

(エイル)

 護衛騎士の呼び声が耳に蘇るようで、エイラは首を振ると深呼吸をした。城はすぐそこだ。今日の自分はリティアエラで――リ・ガンなのだ。

 窓の掛け布をそっと持ち上げてのぞいた夕刻のアーレイド城は、記憶にあるものと変わらなかった。庭園の花は冬枯れており、花盛りのころを思えばずっと寂しかったが、少年は花になど興味はなかったし、いまでも同じだ。見目の麗しさで整えられた庭園の草木に、薬効などほとんどないのだから。

 馬車がとまると従僕によって戸が開けられ、颯爽と降りたシーヴがエイラに手を差し出す。それを可能な限り優雅に取ってみせ、慣れぬドレスで転ばぬように気を使いながら降り立った。

 アーレイド城。

 もう一度、深呼吸をする。

 すっとシーヴの手が添えられた。彼の腕に、こうして手をかけろと言うのだろう。エイラは小さくうなずくと、青年に従って歩き出す。一度は少年エイルとして、二度目は魔術師エイルとしてくぐったその入り口をシャムレイの第三王子リャカラーダの連れとして進む。以前の二度と同じように歓迎の喇叭(らっぱ)などはないが、警護の兵士や仕事中の使用人が敬礼やお辞儀を――リャカラーダのみならず、彼女にもするというのは初体験である。

 侍女が何やらリャカラーダに言葉をかけ、王子はそれに返していたが、エイラの耳には入らなかった。兵のなかに見覚えのある顔を見つけて心臓が大きく鳴っていたのである。

(イージェン)

 エイルの剣の師匠(キアン)である陽気な近衛兵は、真面目くさった顔で敬礼をしていた。王子とその連れをじろじろ見やるようなことはしない――できない――が、ほんの一(リア)目が合ったようにも思えた。

(気づかれなかっただろうか)

(何を馬鹿なことを考えてるんだ。気づかれるはずなんてない)

 美しく飾り立て、またもしっかり化粧などして、東国の王子の隣をしずしずと歩く美女――だとは、本人は思っていないが――が、あのエイル当人だなどと気づかれるはずがないではないか。万一、そんなことがイージェンの頭をよぎったとしても、そんな馬鹿な、で片づけるだろう。――当たり前だ。

 少し低い目線で、半年前まで動き回った城内を行く。案内されたのは、エイルの知らなかった部屋であった。

 リャカラーダをもてなした大広間でないことはもちろんだが、クラーナが歌い、エイルが給仕をした場所とも異なる。シュアラの自室のある棟であったことを考えれば、彼の訪れたことのない王女の「自室の内のひとつ」になるのかもしれない。

「王子殿下、姫君」

 扉の前に立つ兵と侍女がふたりに礼をする。

(カリア)

 「エイル」の女装を目論んだ真犯人も、しかしまさか少年がここまで「化けて」戻ってくるとは微塵も思わない。当たり前だ。

 彼らの来訪は既に告げられている。磨き込まれた大きな扉が音もなく開かれると、白い光がエイラの目に飛び込んできた。

 それは、魔術の灯であったかもしれない。

 蝋燭の灯火が作る揺らめきはそこにはなく、まるで昼間の太陽(リィキア)に照らされているかのように明るく。

 だが、エイラの目に飛び込んできたのは、半年前よりもずっと大人びて、少女から娘へと変身を遂げようとしているシュアラの姿であった。見違えるようになったのならこの「リティアエラ」も同じであったが、そんな皮肉は浮かばない。

 金の髪を綺麗に結い上げた頭は覚えているのと同じだ。細い銀の冠は、冠と言うよりもただの飾り輪のように見えたが、正式な宴でないのだから簡素なものを身につけているのだろう。やわらかな形を作るドレスは彼女の好きな薄い緑。肘までしかない袖から見える細い腕は、磁器のように白い。

(――シュアラ)

(シュアラだ)

(何だかすごく……)

 きれいになった、などと考えれば不自然に口でも開けてしまいそうで、エイラは懸命に呪文を唱えた。魔術の呪文ではなく、自分はリティアエラなのだ、という。

 そんなエイラの思いなど――当然――つゆ知らず、シュアラはにっこりと微笑みかける。もちろん、その相手はリャカラーダだ。エイラの胸がちくりと痛んだ。

「お招きいただきまして光栄に存じます、シュアラ王女殿下」

 シーヴが深々と礼をした。それは彼の身分に必要とされる以上のものだったが、今回の招待は、言うなればリャカラーダの無礼をシュアラが寛大にも許した、という類のものになる。彼としては、自分がいかに感謝しているかを示さなくてはならないのだろう。エイラはその横で少し膝を曲げ、ドレスに気をつけながら、同じように頭を下げた。これくらいの儀礼ならば、男女の差異があっても問題ない。

「リャカラーダ様。ようこそお越し下さいました。突然のご招待に応じていただけて、たいへん嬉しく思っておりますわ。どうぞこちらへ」

 記憶にあるままの声でシュアラが優雅に手を差し出せば、シーヴはエイラが雰囲気に呑まれていないかとでも言うように一度だけ彼女に視線をやり――厳しいことを言えば、これはシュアラへの「無礼」に値する――王女の元へと進んだ。

「シュアラ王女殿下」

 再び名を呼んでひざまずくと、「リャカラーダ」はその手に口づける。

「あのような愚かな真似をした王子に寛大なお手紙をいただきまして」

「まあ」

 シュアラは笑った。

「リャカラーダ様はアーレイドをお気に召して再訪してくださったのでしょう。そうなりますと先日のご退出は、もしやアーレイドではなく私がお気に召さなかったのかと、心配いたしましたのよ」

 王女は最高級の笑みのままで言って、それが不満ではなく冗談であることを示した。

「こうして足をお運びいただけて、安心しておりますわ」

 シュアラの言葉にリャカラーダは再び礼をした。王女の視線が王子の隣に向く。エイラは、身を固くした。

「お連れがいらっしゃるとは伺っておりましたけれど、ご紹介いただけますの? お美しい方ですのね」

 エイラはむせそうになるのも抗議の言葉を述べそうになるのも懸命に耐えた。

「こちらはリティアエラ姫。南方の男爵令嬢ですが、男爵の使いでケミスを訪れねばならぬということで、こうしてご一緒しているのですよ」

 にこやかなままでリャカラーダはアーレイドの北にある町の名を告げ、その設定はどこから湧いて出たんだ、とエイラの抗議の叫び――もちろん、心の――などには知らぬ顔である。

「どうぞよろしく、リティアエラ様」

 シュアラは内心でどう思ったとしても、それを見せることはせずににっこりと言った。――リャカラーダがシュアラを望むのならば、女性を連れてくるというのは奇妙である。

「はい、その……シュアラ殿下(ラナン・シュアラ)。私の方こそ」

 どうにか、エイラはそれだけ言った。顔が赤くなりそうだ。これではまるで、初めて王女殿下を目にする「田舎の姫」である。まさしくシーヴが作り上げたのはそう言う状況であったが、半年前にリャカラーダの前で同じようなものを演じたことを思い出すと頭が混乱しそうだった。


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