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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第3章

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05 我が姫

 凍るような空気のなかで、大きなため息をついた。

 王子殿下は久しぶりのやわらかい布団でぐっすりお休み中だろう。

 エイラはシーヴを起こさないようにしながら小さな露台へ出ると、雲の合間に見え隠れする、真円になろうとしている月の女神と見つめ合っていた。

 はじめて啓示(・・)を覚えたのもこんな月夜だったな、などと思い出す。あの日はもう遠い。

 いまの自分はエイラの名を持つ。城へ行けばリティアエラだ!

 彼女のなかの「エイル」――という考え方は「彼」の気には入らなかったが――は少し不安に思う。

 レンの出方がどうとかより、シュアラに、ファドックに気づかれたらどうしようと、だが全く気づかれずとも寂しいだろうなどと、意味のない思考を繰り返す。

 エイラにはそのような惑いはない。

 レンがここの翡翠に狙いをつけたことは憂慮すべきことだが、翡翠は微睡むまま。翡翠にレンの痕跡がない以上、事態はそう変わらないはず。即ち、するべきは彼女の翡翠を呼び起こすことのみ。

 そのふたつの思いが、リ・ガンとされる存在のなかで矛盾なく存在していた。不安だらけの黒い塊と、自信に満ちあふれた強い光。

 どちらが、自分か?

 どちらも――自分だ。

「また、眠れないのか」

 欠伸混じりの声に振り向くと、シーヴが目をこすりながら露台への玻璃戸を開けたところだ。

「ごめん、静かにしてたんだけど」

 よく眠っていると思ったのに、戸を開け閉めした気配で起こしてしまったのだろうか。そう思ったエイラは謝罪する。シーヴはかまわないと言うように手を振った。

「月見もいいが、そんな薄着じゃ寒いだろう。何か着るか、中に入るか、しろよ」

「そうだな」

 エイラは素直に言うと室内に戻ることにした。彼女はどうせ眠らないが、シーヴには睡眠が必要だ。つき合わせて寝不足のままで「王子殿下」をさせるのも気の毒だろう。そんなふうに思った。

 シーヴは従僕のように戸を支えたままで彼女を部屋へ迎え入れ、そっとそれを閉める。

「冷えただろう。もう一度、風呂にでも入れよ。風邪を引くぞ」

 そんなことを言われてエイラは笑みを洩らした。病の精霊(フォイル)が憑くのは――人間に対してだ。

「大丈夫だよ、いま出たばかりなんだから」

 そう言ってひらひらと手を振ると、その手をぱっと掴まれる。目を上げると、シーヴと視線が合った。

「嘘つけ。冷え切ってるじゃないか」

「放せよ」

 エイラは言うが、シーヴは何も強く捕まえている訳ではない。エイラが少し腕を引けば、言われずともすぐにその手を放すだろう。だが――彼女はそうしなかった。数(トーア)ののちに、シーヴがそっと手を放す。

 この()は、(まず)い――と、見つめ合う形になったままで、両者が、思った。

 もう一度シーヴが手を取って自身の方へ引けば、エイラは簡単にその腕に収まるだろう。たいていの男ならばそう考えてそうするはずだ。「エイル」だってそうする。そうなれば、あとのことは自明の理だ。

「……休めよ」

 だがシーヴはさっとエイラから視線を外すと、低くそう言った。

「あの騎士殿の仕事が早けりゃ、明日の太陽が天頂にこない内に使者でもくるだろう。そうなったら、忙しくなるんだからな」

「シーヴ」

 エイラはほっと息をついた。これが安堵であるのか――それとも失望(・・)であるのかなどとは、冗談にも考えたくはなかったが!

「悪かった。その……起こして」

 そんなふうに言ったエイラの言葉を聞いて、シーヴは何か口の中で言ったが、それがエイラに対する、気にするな、というような言葉なのか、自身に対する叱責、或いは呪いの言葉ででもあったのかは、彼女には判らなかった。


 ふと、冷静になって考えてみれば――この件が持ち上がってからこっち、とても冷静にはなれなかったのだが――彼女はかなり危機的状況にいた。

 風呂場の鏡を覗き込みながら魔術の練習をしてはみたものの、ファドックを騙せる自信はない。と言うのも、エイラだろうとエイルだろうと、彼に嘘をつくことを拒む気持ちがあるからだ。

 ほかの親しい人間――厨房にいるトルスに会うことなどはないだろうが、イージェンやレイジュは判らない――にはその術も使えよう。だがファドックの前で、エイラは「エイル」でありたいと思う気持ちを抑えるのが精一杯ではないだろうか。

 しばらく悩んでから、エイラは方向性を変えることにした。自らの印象を変えるのではなく、相手の「気を逸らす」ちょっとした呪文を使うことにしたのだ。エイラを見た誰かが、厨房にいた少年を思い出しかけたとしても――それを「散らす」。それは基礎的な技で、何度か使ってみたこともあった。これならば緊張していてもできるだろう。

 それにしても、問題は差し迫っている。

 まず第一の心配は、「リャカラーダ王子殿下」への連絡を取る人間がファドック自身ではないだろうか、ということ。

 だがこれは嬉しいこと、それとも残念なことに、回避された。

 上品な若い女――こちらは幸いにして見覚えがなかったが、雰囲気からして制服を脱いだ侍女だろう――が「必ず『シーヴ様』に手渡しするようにと指示された」手紙を運んできたのだ。

 シーヴは雰囲気作りだとばかりに唯一持ってきている東国の服に身を包み、執務用と見える方の部屋で彼女を迎えた。封を切って招待状――に間違いない――に目を通すと、優雅に返書など書いてみせる。エイラは、文字はもちろんのこと、文章もすらすらと出てくるらしいシーヴに感心した。彼はそういった教育をしっかり受けているのだから、当たり前なのだが。

「明日の夜会に、ご招待だと」

 使者の帰った部屋で、シーヴは書状をぴんと指で弾いた。

「明日だって?」

「そう。内々に設ける夕餉の席ですが、ときたもんだ。妥当だろう。アーレイドとして正式に招くには、リャカラーダ殿下はちょっとおいたが過ぎたからな」

「よく言うもんだ」

 エイラが苦笑すると、シーヴは眉をひそめて彼女を睨んだ。

「誰のせいだと、思ってる」

「何で、私のせいなんだよ!」

「何でもクソもあるか」

 王子らしからぬ物言いで、シーヴは言った。

「探してきた〈翡翠の娘〉を見つけたと思ったら、すぐに消えちま……」

 ふと、言葉をとめたシーヴをエイラは不審そうに見た。

「どうした」

「――エイラ」

「な、何だよ」

 何となく不吉な声音に、エイラは思わず一歩を下がった。

「お前、これも言わなかったな」

「だから、何をだよっ」

 確かに言っていないことならいろいろあるが――シーヴが問えば答えるというのに、この〈鍵〉は判っているのかいないのか、それをしない。

ファドック(・・・・・)ソレスが(・・・・)守護者(・・・)だろう(・・・)

「なっ」

 何で判ったんだ、という言葉を彼女が続けなかったのは隠そうとしたのではなく、咳き込んでしまったためである。

「ああ、そうか、やっぱりな。だから、あいつはお前を――隠したんだ。この、俺の目から」

「何だって? 何の話だよ」

 今度はシーヴが、虚をつかれた顔をした。そう言えば、エイラにその話はしていない。

「アーレイド城でお前の気配を感じた話をしたのを覚えているか」

「忘れるもんか」

 この城にいたことを見抜かれて仰天したのである、忘れるはずがない。

「あのとき、お前を探そうと部屋を飛び出して、あの男に止められたんだ」

「おいっ、そっちこそそんな話はしなかったじゃないか!」

 エイラは驚いて叫ぶが、またもシーヴに睨まれる。

「そりゃあ、お前がファドック様(・・・・・・)のお知り合いだなんて知らなかったからな」

 今度のこれは、明らかに皮肉であった。エイラは怯む。

「シーヴ。頼むから……ヒースリーに取ったみたいな態度をあの人には取らないでくれよ」

あの人(・・・)、ね」

 シーヴの、ふん、というばかりの繰り返しにエイラはしまったと思った。〈油をかぶって火に飛び込む〉ような言葉だったろうか。

「馬鹿にするなよ、俺はリャカラーダでいるときは冷静沈着なんだ」

 彼の第一侍従が聞けば失笑しそうなことを言って、シーヴはエイラの不安を一蹴した。

「お前こそ、そんな俺を見て笑うんじゃないぞ。立派にリティアエラ嬢を()れよ」

 つまり、第一の問題が、ファドックが使者になるのではないか、という心配だったとしたら、次の問題はそれであった。

 かつて心に誓った約束を破らなくてはならないのではないか、ということである。

「幸か不幸か、(ラル)なら手に入ったけどな」

 その話になったとき、エイラは渋々、自身の財布をシーヴに見せた。シーヴは驚くが、絶対に後ろ暗い金ではないというエイラの言葉を信じることにしたようだ。

 仮に、後ろ暗い手段で稼いだものだとしても、生存競争の厳しさを知る下町の少年と、あまり清廉潔白とは言えない砂漠の王子殿下は、目の前にある金は金だ、とあまり気にはしなかっただろうが。

「なかなか、いい稼ぎだったんだな」

「使わなかっただけさ」

「使っていいのか?……目的があって貯めてたんじゃないのか?」

「目的なんかなかったよ。生きるだけで――」

 言いかけて、やめた。

 いかに「庶民の暮らし」を知る王子であっても、街で働いていた少年の苦労を本当の意味で知ることはないだろうし、だいたい「城で働いていた」と思われているのである。その前は食うや食わずの生活をしていたなど、また話をややこしくしても仕方ない。

「これまではあんたに使わせてきたんだから、私の分を使ってくれないと帳尻が合わない」

 エイラは、そうとだけ言った。

「ただ、その、使う内容についてはちょっと気に入らないけど」

 王女殿下御用達の〈砂原の煌めき〉の並びにある、やはり高級服飾店〈仕立屋ルカ〉に連れていかれたエイラは、宿での会話を思い出して嘆息した。

 ちょっと気に入らない、どころではない。

 女装などをさせられた夜、こんなものは二度と着ない、とドレスを投げ捨てた瞬間は、本当に、本気で、神に誓ってもいいくらいの気持ちだった。

 だがどうやら状況は、そんな誓いを守ることなど許してくれそうにない。

 上等とは言い難いがきれいに洗われた服を着て店に入れば、彼らも早々につまみ出されることはなく、シーヴが尊大な態度で――エイラは、成程、笑うなと言うも道理だ、と思った――店の人間に何やら指示をすれば、街に遊びに来た貴族の息子が気に入った娘に服を買ってやろうとでも言うのだろう、と勝手に理解――誤解――される。

「生憎と仕立てる時間はないから既成のものになるが、お前は細いから着られないものはないだろう」

「あまり着たくは、ないけどな」

 仏頂面で言うエイラにシーヴは笑う。

「こちらの赤は如何でしょう」

 店主らしい男がにっこりと優美なドレスを差し出した。

「お嬢様の明るい髪によく映えますよ」

「ふむ、悪くないな」

「冗談っ、やめてくれっ、そんな派手な色っ」

 エイラは顔色をなくして叫んだ。シーヴはにやにやしながらドレスとエイラを見比べる。

「似合うと思うが」

「からかってるのかっ」

「まさか。本気だ。……主人(セラス)、もう少し落ち着いた色合いのものを出せ。我が姫はこういうものを着慣れていないのでな」

 かしこまりました、と言って奥の倉庫らしいところに引っ込む店主を見送りつつ、エイラは抗議をする。

「誰がっ、姫だっ」

「お前のほかにいないだろうが。慣れておけよ、明日はお前をこう呼ぶからな」

 シーヴのにやにや笑いは治まらず、エイラはこっそり呪いの言葉など吐いた。


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