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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第3章

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04 出過ぎた真似

 何をどう告げたらいいのか、帰り道で彼女はずっと迷っていたが、その心配は無用だった。

 夢のようなひと時のあと、その夢の余韻に浸っていたい気持ちもあったけれど、仕事をおろそかにする娘だと思われては一大事だ。

 だから、ファドックがそのままシュアラの部屋に行って報告に上がると言ったときも、レイジュはもちろんそうするべきだという顔をした。考えてみれば、もう少し長くファドックの隣で歩けると言うことではないか。こんな幸せなことはない。

 王女の侍女はいそいそと茶の支度などしながら、護衛騎士が魔術師協会(リート・ディル)からの封書を王女に渡す姿を盗み見る。シュアラの宝飾品を受け取りに城下へ行くなどと言うのはもちろん口実で、本来の目的はそれだ。

 レンの動向を不審に思っているのはもちろんシュアラやファドックだけではなく、レイジュをはじめとする侍女たちも同じだった。だが、「王女の遣いで街へ行く侍女を護衛する」との口実でファドックと一緒に歩けたのだから、彼女にしてみれば〈魔術都市〉の騒ぎも万々歳という辺りである。

「ええ、もちろん覚えているわ。リャカラーダ殿下」

 その話にさしかかると、レイジュも居住まいを正した。あのときは、薄汚れた船乗りの青年にファドックがひざまずくのを見ていったい何事かと思ったが、まさかかの王子殿下とは。

 しかし、リャカラーダが再びこのアーレイドにきていたという驚きよりも、「あんなお忍び用のお姿でもそうだと気づくなんてさすがファドック様ね」という辺りが娘の感想である。

「半年前くらいになるわね? あのときのご退出を考えれば、てっきり私が東国の殿下のお気に召さなかったのだと思ったのだけれど」

 侍女は澄ました顔をしながら内心で笑った。

 シュアラを目当てにやってきたのではないかと言われた第三王子の挨拶なき出立は、本来ならばもっとシュアラの怒りを買っていてもおかしくない。それがそうならなかったのは――。

(エイルが姿を消したことの方が、衝撃だったからだわ)

 厨房で元気よく働いていた少年を思い出すと懐かしい。彼が魔術師になったと言われてもぴんとこなかったが、どこかで元気にやっていることは疑わなかった。まさか、そのリャカラーダとともに城下に戻ってきているなどとは、知る由もなかったが。

「レンにシャムレイをぶつけようと言うの? 大臣たちが聞いたら嘆くわね」

 〈魔術都市〉であろうとなかろうと、他都市の王族に突然アーレイドとシュアラに興味を示されては、確かに厄介だろう。話はほとんど決まりかけていたところなのに。それも、一都市では飽きたらず、二都市となれば。

「望まれないよりは望まれる方が嬉しいけれど、そんなことを言っている場合じゃないわね」

 近ごろではシュアラもこんな冗談を言うようになってきた。少し前までなら、人を馬鹿にしていると怒っただろう。

「陛下方のお考えに口を挟むような真似はいたしません」

「判ってるわ、お前がそういうつもりではないことは。第一王子の真摯な求婚など考えられないが、第三王子の気紛れならばつき合える、というところでしょう」

「リャカラーダ殿下が本気で仰られたのか、それとも話の流れで口にされただけなのかは判りませんが」

「でもどうして? 奇妙な振る舞いをされると言うのならば、アスレン殿下よりもリャカラーダ殿下の方だわ」

 なのに何故、レンよりシャムレイの方がましだと考えるのか、と言うことだろう。

 ファドックがどう答えるのだろう、と思って騎士をじっと見ていたレイジュは、そこに信じられないものを見る。

 レイジュがついぞ見たことのない表情がそこにあった。シュアラももしかしたら同じだっただろうか。

 ファドック・ソレスの顔に浮かんでいるもの。それは、当惑であった。

「――判りません」

「何を言っているの?」

 王女は不思議そうに眉をひそめた。

 ファドックが判らないと答えることは珍しくない。判らないことを判ると言う人物ではないからだ。ただそうした場合には、判らないが自分はこう考える、という形の返答をすることが多かった。

 ましてや、いま、シュアラが問うたのはファドック自身の判断についてである。それを判らないなどと、この護衛騎士らしくなかった。

「何故お前がそう思うのか述べなさいと言っているのよ」

 シュアラが繰り返し言うと、ファドックは考えるようにしながら口を開いた。

「ひとつには、シュアラ様が仰るように、第一王子の求婚など有り得ぬということがございます。目的が何であれ、隠された企みがあると考えられるでしょう。本来、ああして来城なされるのが第一王子でなければならない理由は、何ひとつないのです。しかしアスレン殿下がその『企み』の中心人物であるならば、先のご訪問も理解できます」

「リャカラーダ様は?」

「殿下おひとりで動いていらっしゃるという印象がございます。シャムレイ王陛下の影が見えません。リャカラーダ殿下にアーレイドと姫を求める意志が真実おありだとしても、それがシャムレイの意志なのかは図りかねます」

「それは」

 シュアラは言った。

「私が先に言ったことだわ。アスレン様の意図は判らない。お優しい方だけれど、掴みがたいところがあるわ。掴みがたいのはリャカラーダ様も同じだけれど、あの方が私にまた会いたいというのは、ただの気紛れというのがいちばん納得いくわね。けれどお前が……」

 シュアラははたと気づいたように動作をとめた。

「そうよ。お前は、私がリャカラーダ様を招くといいと思っているのね。それが私を驚かせるのだわ。だってそれは……」

 聞きながら、レイジュも気づいていた。それは全く、ファドックらしくない。

「それは、お前がいちばん嫌う、『出過ぎた真似』でしょう」

 ファドックは黙って礼をした。それを見たレイジュは胸が痛くなるのを覚える。

 もちろんシュアラはファドックを叱責しているのではなかったが、ファドックの礼は謝罪のようであり、それは「出過ぎた真似をした」ことを認めてるということだ。

 そしてレイジュの胸が痛くなるのは、ファドックの忠義に感動した、と言うより――彼女がファドックのその仕草をたいそう好んでいる、という理由によった。

「では、お前はこう考えているのね? 同じ『意図が判らない』であっても、レンの方が問題を運んでくる。それならば、レンとシャムレイを秤にかけているように……レンに思わせよう(・・・・・・・・)、と」

 シュアラが念を押すように言うと、騎士はまたも珍しい表情を見せる。

「畏れながら、殿下(ラナン)

 何ともレイジュには意外なことばかりだ。ファドックは躊躇っているのである。

「わたくしがこのようなことを申し上げることをお許しいただきたく思います」

 シュアラは鷹揚に許可を与える仕草をした。内心では、やはり不思議に思っていたことだろう。

「リャカラーダ殿下をご信頼ください。殿下は決して、アーレイドと姫に害することはありません」

 レイジュはもちろん、ここで何かを言う立場にはないから、どんなに驚いても顔に出すことなく黙ったまま、王女の命令をひたすら待つ侍女の役――と言うよりも、彼女はそれ以外の何者でもないのだが――を続ける。シュアラはと言えば目を瞠り、王女らしくなく口を少し開けて呆然とした。

「何を言うの」

 ファドックが、シュアラに何々をするように、ということ自体は珍しいが、ないことではない。王女はたいていにおいてしたいようにしてきたが、父王と女中頭と護衛騎士の意見だけには耳を傾けていた。マザドが命令をし、ヴァリンが忠告をするのに対し、ファドックのそれは助言と言った形だったが、数えるほどであっても皆無ではなかった。

 だが、いまのこれは違う。

 明らかのその発言は、護衛騎士の分を――過ぎていた。

 ファドックはじっと立ったままだ。レイジュはそのまま、まるで何(ティム)も立ったような気がした。

「……変ね。まるでお前じゃないみたい。でも、嫌な感じはしないわ」

 王女は右手で、下ろしたままの髪を耳にかけた。

「そうね。お前の言葉にどのような根拠があるとしても」

 根拠などない(・・)にしても、とシュアラはつけ加えながら続けた。

「私はお前を信用するわ。レンがアーレイドのためになると思えないことは確かだし、同じように見知らぬ異国、異なる文化の持ち主ならば、魔術よりも東国の方がまだ安心できるものね。レイジュ」

 不意に声をかけられた侍女の心臓はどきりとしたが、そんな様子は見せずに、はい、と返事をする。

「お前はどう思うの」

「わたくしでございますか」

 軽く目を瞠った。

「そう。お前の目からは、アスレン殿下とリャカラーダ殿下はどう見えて?」

 率直に、と言われたレイジュの脳裏に浮かんだのは、「どちらも毛色の違ういい男ですが、ファドック様のほうが上です」――というような言葉だったが、さすがにそのようなことは口にしない。そういうのは、カリアたち侍女仲間と話す軽口――或いは本気――であり、王女殿下の気に入りの侍女として語るのものではないくらいは判っているのだ。

「わたくしは、両御方の宴のときには裏で仕事をしておりましたから」

 間近にお姿を見たのは、先ほどのリャカラーダ殿下が初めてです、などと言った。

「私などが、殿下方について何かを申し上げますのは、いささか……」

「主人である私がそうしろと言っているのよ」

 躊躇うレイジュにシュアラはきっぱりと言った。レイジュは戸惑いながら口を開く。

「どちらの殿下も……その、こう申し上げては失礼ですけれど」

 レイジュがまた躊躇うと、シュアラはまた続けるように言った。

「ロアド殿下よりは余程、才気に溢れてらっしゃるように見えますわ」

 花婿の最終候補とされているファイ=フーの第四王子をきっぱり切り捨てるかのように侍女は言った。発言を命じた王女はもちろんそれを咎めないどころか、面白そうな顔をした。

「アスレン殿下は遠目に拝見しましただけですけれど、ずいぶんお優しい方のようですね。リャカラーダ殿下は少し……」

 また言い淀む侍女をシュアラは促す。

「少し、斜にかまえた感じがございます」

 リャカラーダが聞けば、侍女の意外な観察眼に驚きながらも、やはり面白く思っただろう。

「どちらがよいことなのか、アーレイドに、シュアラ様にお相応しいかというような段については、申し控えさせていただきたいのですが」

 それは「これ以上、侍女の身にあるまじきことを言わせないでください」という懇願だった。シュアラはうなずき、香茶を――などと言って娘を普段の仕事に戻す。レイジュはほっとした。

「そうね。お父様にお話ししないといけないけれども、お父様の名においてではなく、私の名でリャカラーダ様を夜会にお招きするというのはどうかしら」

 考えるようにして言いながら、シュアラはふっと笑った。

「……そんなことをしたら、私が東国の王子殿下を選びたがっているように、見えるかしらね?」


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