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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第2章

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07 絵に描いたような

「う、嘘だっ! んな、馬鹿な話があるもんかっ」

「だから、ただの噂だって言ったろう」

 息子の全身から発するような叫びに思わずといった様子で耳をふさいだアニーナは、しかめ面で言った。

「とにかく、姫様のお相手がようやく決まろうって頃に、わさわざ合いの手を入れてきたことだけは本当さ」

 何とか「息子の運命の恋人」から話を逸らし、最近のアーレイドについて尋ねたエイルも同様に、その話を知らされていた。

「な、何だよそれっ、変じゃないかっ」

「だから変だって言ってるだろう、何をそんなに、血相変えてんだい。……あんたまさか、惚れた相手ってのは姫さんなんじゃないだろうね」

「ばっ……いましてるのはそんな話じゃないだろ!」

 エイルは一(リア)焦ったが、本当にそんな話をしている場合ではない、と思った。

「だって、だってさ、そんな、馬鹿な話が!」

「落ち着きな、馬鹿息子。そうさ、顔を出したのは王位継承権を持つお人だそうだよ。まさかうちの姫さんを余所に出せるはずなし、向こうさんだって同じだろう。だから」

「まさかその王子さんがシュアラ姫に求婚するとも思えないが、何か思惑はあるはずだ」

 店の主人は、したり顔で言った。もう、幾度となく――或いは毎晩ほどに、繰り返されている話題なのに間違いない。

「しかし」

 シーヴは言った。

「そりゃずいぶん、唐突なんじゃないか? 少なくとも俺はそんな話、聞いたことなかったぞ」

「誰だってそうさ」

 主人は肩をすくめた。

「〈魔術都市〉なんて名前を聞いたことがないもんだって珍しくなかった。それがいまじゃ、どうだい。レンの名前はこのひと月、アーレイドって名前より多く発せられてるだろうさ」

「ひと月」

 シーヴは繰り返した。

「具体的に、何があったんだ? まさか第一王子のご訪問でもあるまいし」

「そのまさか、さ」

 主人はにやりとして客人の反応を楽しむが、シーヴは期待された以上に驚かざるを得ない。王位継承権を持つ、未婚の年頃の第一王女のところに、たとえば彼の兄である第一王子ハムレイダンがまだ独身であったとしても、求婚する意図で訪問することなどあろうか? 考えるまでもなく、有り得ないことだ。それは第二王子パーシェケルか、彼リャカラーダの仕事である。

 レンに独特の仕組みがあって、第一王子だからといって継承位を持たぬというような可能性もある。だが、それは考えづらい。第三王子である彼が結婚するまで継承権を持たないのとは訳が違う。

 数いる王子たちが継承位の上昇を狙って蹴落とし合うような都市もあるだろう。兄弟姉妹を切り捨てて生存したものが王者だというような。

 だがそのような血なまぐさい話は戦乱時においてだ。平和時は、何事も決まり事に則って行われるものである。第一王子は通常、第一継承権を持つから第一王子というのだ。単に長子であるという意味合いにはならない。たとえ、〈魔術都市〉レンであろうとそれは同じはず――いや、もし違ったのだとしても、彼らの「外の世界」で第一王子という称号が何を意味するかは判っているはずだ。

 ならば、次に考えられるのはその王子は本物ではないということ。

 たとえば、第二王子でもいい。アーレイドやシュアラが王子の眼鏡に適わなかった場合、断るに角が立たない。まさか王位継承者が第一王女に婚礼を申し込むはずはありません、といく訳だ。

 しかし、第一王子の冠をかぶせることでアーレイド側に最高級のもてなしを要求しておきながら、実は嘘でしたが今後よろしくお願いします、というのも馬鹿にした話である。平穏に(えにし)を結びたいと言うのならば、そのような騙りは逆効果だろう。

 ならば、縁を結びたいのではない場合。

 密偵――と言うにはずいぶん華々しい冠だが、〈幻の街〉レンのことなど誰も知らぬ。何の位も持たぬものが第一王子としてアーレイドを探る、ということは有り得るだろうか。

 相手は〈魔術都市〉だ。何でも有り得る。

 しかし、数(トーア)で駆け抜けた思考の全てが熟考に値しないことは知っていた。

 〈魔術都市〉が欲するのは街でもシュアラ王女でもなく、翡翠ではないのか?

 シーヴには――〈鍵〉にはその確信はないが、エイラならば力強くうなずくだろう。そうでなければ、いまこのときに「生ける伝説」が姿を現す理由があろうか。

(厄介なのは)

 店の主人と言葉を交わしながらシーヴは考えた。

(――それが真実、継承権と権力を持つ第一王子で、なおかつ密偵である場合、だな)

 翡翠とアーレイドとシュアラと、全てを手に入れ、その上でレンをも継ぐつもりでいるのならば。

(そこまで貪欲な王子サマじゃないといいがね)

 ビナレス北西部、アーレイドを含むこの辺りから北方はずっと平和だ。シーヴはこの付近の歴史は知らなかったが、(イネファ)や魔物の退治を別とすれば、兵はもう百年以上も戦というものを知らない。西南方では小競り合いも多いと言うし、シャムレイでも先々代の頃には大きな反乱があったのだから、この近辺の平和さは相当なものだ。

 もし〈魔術都市〉がその気になればアーレイドなどわずかな兵力で陥とせるのではないだろうか。いや、兵力ではなく魔力、やもしれぬが。

 いきなり魔法で攻撃を仕掛けるような真似はしなくとも、その代わりに王女の婚礼、婚約に目をつけたと言うことだろうか。

 征服、或いは侵略(・・)と言うことまで考えぬにしても、アーレイドとしては簡単にはねつけることはできまい。第一、これまでの求婚者のなかで最高級の位を持つ相手であることは否定できないのだ。

 レンがどのような「つもり」でいるのか。民たちは噂段階で「魔術師など王に戴きたくない」と難色を示すが、もし「どうしても」と押してきた場合、どうやって断ればいいのか、アーレイド城内は戦々兢々としているかもしれない。

「そ、それで……何でそんな噂になってるんだよ。根拠は。根も葉もないんじゃないのか」

 一縷の望みを託してエイルは尋ねる。〈魔術都市〉と〈翡翠〉。カーディルよりもアーレイドの方がレンに近いと不安に思って帰ってきたことは確かだが、こんな噂が出回っているとは思わなかった。

 これはただの偶然ではないのか?

 だがもちろんそんな偶然の一致などあるはずはなく、当然、アニーナの「馬鹿をお言い」の一言にその望みは打ち砕かれる。

「このお祭りのあとにね、姫様のお相手、つまりはアーレイドの次の王様が発表されるだろうって話だったよ。でもいまとなっちゃ判らないね。だって、その魔術師王子はこの冬至祭にここにやってきて」

「き、きたのか!?」

 エイルは叫び、アニーナはまた耳をふさいだ。

「そうさ。ローブ姿の魔術師たちを率いてね。なかなかいい男だったけど」

「み、見たのか!?」

「そうさ。うるさい子だね、少し静かに人の話を聞いたらどうなの」

 アニーナはぴしゃりとやった。エイルは反論をしかけ、だがどうにか口をつぐむ。ここで話が説教の方向に変わってはたまらない。説教をされること自体も嫌だったが、何より少しでも詳しい話を聞きたい。

「どんな奴だったんだ」

「まだ若くて……そうだねえ、二十代半ばくらいかしらね。あの馬鹿みたいなローブはつけていなかったよ。マントは黒かったけれど、不吉な感じはしなかったね。白いくらいの金髪で、細い身体をしてた。男に対してきれいって言葉を使うのもどうかと思うけど、あの王子様には似合うねえ」

「……それは、歓迎したいって訳か?」

「魔術師なのが玉に瑕ってとこだよ」

 アニーナは肩をすくめ、「魔術師」らしい息子を軽く睨んだ。

「レンなんてとこの王子様じゃなけりゃ、街の女はみんな歓迎すると思うね」

 まるで絵に描いたような王子様さ、とアニーナは言った。エイルは少し意外に思う。魔術都市の第一王子なんて、どちらかというと絵に描いたような魔術師だと思っていたのに。

「それで、いつきたのさ」

「祭りの、半ばさ。いたのは本祭の間だけだけど、噂だけはまだ街じゅうがその話で持ちきりだね」

 アーレイドでは〈月の女神の眠る日〉を挟む三日から五日間が本祭とされ、大きな企画はそこで催される。エイルが城に上がったのは春先だから城内で行われる冬至祭については知らないが、おそらく似たようなものなのだろう。

「そうか……それじゃもう、ここにはいないんだ」

 安堵を覚えた。と同時に心配も湧く。

 レンの王子がここへきた。城へ行った。浮かんだ心配は翡翠へのものか、〈守護者〉へのものか、それとも王女への――?

「あんたは別に、王子様を見れなくたってがっかりしないだろう。旅の間にクジナの趣味を覚えたんじゃなけりゃね」

 アニーナの台詞に、母が考えるのとは違う意味で――それともその意味で――咳き込みかけるが、どうにか抑えた。

「馬鹿言うなよ」

 そう返したエイルはふと思いついて、にやりと笑った。

「だいたい、王子殿下なんて、別に珍しくないさ」


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