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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第2章

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06 情報収集

 風呂からあがったシーヴは、汚れものをぽいと籠に放り込んだ。

 こうしておけば、翌日にはきれいに洗われて返ってくるという訳だ。こういった仕組みは料金分(・・・)なのだから、利用しなくては損というものである。

 比較的ましな服を荷から引っ張り出すと身に付けた。リャカラーダとしては貧相だが、シーヴとしては充分だ。久しぶりにさっぱりした気持ちになる。実際、清潔になった。

 本当を言えばいちばん汚れていない衣服は「東国風」のものだったが、今日はわざわざ揉めごとに巻き込まれるつもりもない。少し街を歩いて気分を落ち着け、はじめての冬の祭り(フィロンド)とやらを楽しんでみよう、などと考えた。

 エイラの話によれば、翡翠があるのは城の宝物庫である。何も宝物庫に忍び込まなくても近寄ればどうにかなる、と思う――とエイラは言っていたが、彼女はいったいどうやって「近寄る」気なのか? 顔を見られたくない相手というのは、城下町よりもむしろ城内にいるのではないか?

 何となくそんなふうに思ったが、とにかく早く「翡翠」に――「翡翠の街」に近寄りたいのだというエイラの望みに応じてアーレイドまでやってきた。

 だがどうやって城に入る?

 まさか、またリャカラーダ第三王子を城に招かせる訳にもいかぬだろう。半年ほど前の彼の退出は、何とも礼を失していた。

 あのときは〈翡翠の娘〉が消えたことに動じて、もはやここに用はないと思ったのだったが、いまにして思えば、シャムレイからリャカラーダの名で書状のひとつも送っておくのであった。遠国とはいえ、それが外交だ。父王が最低限の挨拶くらいは送っているものとは考えたが、いまにして思えばほかでもない、彼が、やっておくべきであった。謝罪をして少しでも好感を得ておけば、城へ招かせることもたやすかったろうに。

 だが無論、いまさら言っても仕方がないことだ。彼は首を振るとそんな思考を捨て、街へと繰り出した。

 祭りの時期ともなると、普段には日の光のもとで見られないものも見ることができる。いつもならば薄闇の奥で艶やかに男を誘惑する街の春女たちの姿などがそれだ。

 アーレイドのように港のある街では、シーヴのような肌を持つ男は船乗り(マックル)と思われることが多い。船を下りてはぱっと稼ぎを使って海へ戻っていく船員たちというのは、商売女には人気があった。金をケチらないし、後腐れもないからである。

 そんな訳で、少し小路を歩けば、シーヴはその手の女にやたらと声をかけられる羽目になった。

 この青年の外見を「十人並みの少し上程度」と評したのは一人の吟遊詩人(フィエテ)だったが、隠しきれぬ王族の気品と砂漠の民のしなやかさを併せ持つ所作は、女たちの目にはずいぶんと魅惑的に映る。艶っぽい声で色のある言葉を次から次へと投げかけられれば、その気のなかった男でもひとりくらい買ってみようかという気分になるだろう。

 それに、何しろ彼は若いのだ。砂漠の恋人は情熱的だし、城では綺麗な召使い女とたわむれることもしばしばあった。こうして旅に出てからは、気の合った酒場の娘と一夜の恋を語らったこともあれば、エイラと再会してからも、芸人(トラント)一座の女占い師と関係を持ったこともある。

 だが、薬草師ヒースリーに奇妙な敵愾心を覚えて以来、彼の遊び心はすっと鎮まっていた。早い話、それからずっと女を抱いていないのだ。ミンといれば毎晩のように愛を交わしていたシーヴにしてみれば、ご無沙汰(・・・・)というやつである。

 先ほどエイラにおかしな気持ちを覚えたのはそのせいではないかと、女を買って気分を晴らせば奇妙な気分もなくなるのではないかと――言い訳だか本音だか判らないような思いも浮かんだ。卑猥なことを言いながら青年にしなだれかかろうとする春女の身体を引き寄せかけ、だが、馬鹿らしくなってやめた。

 エイラは、彼が女を買っても別に何も気にしないだろう。だがこんな気持ちで女を抱けば、それはまるでエイラの身代わりにするようではないか。

 予言の娘を聖女と考えている訳ではなかったが、そんなことをすれば彼女を汚すことになるように思った。彼女にそのような思いを抱くことは、間違っているような気持ちもあったのだろうか。

 シーヴは女たちを避けるように、適当な酒場に腰を落ち着けることにする。女の代わりに酒くらいならいいだろう思った、と言うところだ。

 〈人魚の涙〉亭という美しい名前のその店は、しかしどこでもよく見られる普通の、少々汚らしい酒場で、シーヴとしては好みの場所だ。

 軽めのライファム酒を頼んだシーヴは、海から帰ってきたばかりのふりをする。余計なことを言わなくても、彼はそう見えるのだから簡単だ。

「最近のアーレイドはどうだ? 何か変わった話はあったか」

 酒を運んできた店の主人に、何気ない様子で話しかけた。船乗りならば、昨今の事情に詳しくないも道理だし、陸の様子を聞きたがるのも不自然ではない。シーヴはこのような街で情報収集をするにはうってつけの外見だ。

「遠くまで航海したのかい?」

 店の主人が杯を渡しながら応じる。

「まあな」

 シーヴはうなずいて見せる。

「北方陸線まで荷を運んだのさ。〈ビナレスの突端〉だよ」

 北西の端にある崖をそんなふうに言うらしい、という聞きかじりでシーヴは言った。実際には、行ったことはない。

「へえ、それじゃ長かったんだね。アーレイドは久しぶりだろう」

「半年振りってとこかね」

 言って笑った。これは嘘ではない。

「そうか、それじゃ、あの話は知らないな?」

「どの話だ」

 言いながらシーヴは笑い、彼の知る「半年前」の噂を思い出す。

「姫さんの旦那でも、ついに決まったか」

当たりさ(・・・・)

 主人はにやりとして言った。

「正確なところを言えば『決まった』っていうんじゃないが、とんでもない相手が上がってる。半年前にゃ考えられてもいない意外な相手だぞ」

 彼の反応を楽しむように主人は言う。

「思わせぶりだな、意外な人物というと……」

 アーレイドの少ない知識を総動員すれば、浮かぶのはエイルが複雑な顔をしそうな軽口である。

「姫様付きの騎士(コーレス)か」

 だが常に影にいる身の護衛が一般の民の記憶に華々しく残っていることはあらず、青年の台詞は軽く受け流されるだけだ。

「そんなんじゃないぜ、誰だってまさかと思う」

「お手上げだ、判らんよ、ご主人(セラス)

 シーヴがそう言って両の手をあげ、降参というような動作を少し大げさにやると、店の主人は満足そうに笑った。

魔術都市(・・・・)だよ」

「……何だって?」

 シーヴは、耳を疑った。

「いま、何と言った?」

「レン、だよ、船乗りの兄ちゃん。あの、伝説みたいな街の魔術師の王子が姫さんと結婚することで、このアーレイドの支配を企んでるんだと!」


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