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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第2章

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02 故郷

 考える時間なら、たくさんあった。

 いくら考えても答えが出ないことは判っている。

 眠れぬ――眠らぬ夜に、思考はぐるぐると頭に渦を巻き、ため息の数ばかりが増えた。

 第一は、不安。そして次には、怖れ。微かな喜びは常に不安の影につきまとわれた。

 アイメアを離れておよそひと月になろうとしている。

 ヒースリーには、もう一度礼を言って協力を断った。急がなければならないから、何か判るかもしれないという曖昧な理由でアイメアにとどまることはできないと。薬草師(クラトリア)はどうにも不満そうだったが、どうしても行くと言うものをとめることもできず、くれぐれも気をつけるようにと言った。

「翡翠草でもあれば、持たせてやりたいけどな」

 そう言って薬草師は唇を歪め、旅の無事を祈ってくれた。

「――おい、シーヴ」

 そうして挨拶をし、背を向けた彼らの後ろから、薬草師は青年をこっそり呼んだ。

「何だ」

 馬に乗ったままでシーヴは返した。

「どんなごたごたに巻き込まれてるのか知らんが、彼女に何かあったらただじゃすまさんからな」

「言われるまでもないね」

 黒髪の青年はふん、とばかりに答えたが、すぐににやりとした。

「弟子の心配もいいが、あんたは奥さんを大事にしろよ」

 言われたヒースリーは痛いところを突かれたというように少ししかめ面をして、言われるまでもない、とシーヴの言葉を踏襲した。

「ヒースリー」

 そのあとは逆に、シーヴの方が去ろうとする薬草師を呼び止めた。

「大事な女がいるんなら、間違っても、余計なことに首を突っ込むなよ」

「……お前は、俺を嫌ってると思ったが」

 ヒースリーの身を案じるようなシーヴの発言に、ヒースリーは少し皮肉っぽく言った。

「まあ、好いちゃいないさ。お互い様だろ」

「――おい、何やってんだ、馬鹿なこと言い合ってんじゃないだろうな!?」

 前方から飛んできたエイラの声に片手をあげて答えると、シーヴはそれ以上は薬草師に何も言わず〈翡翠の娘〉の隣に戻った。

 西に行く隊商(トラティア)を見つける手間はかけなかった。エイラは何となく気が急いていたし、これだけ北にくれば簡易な天幕だけでも寒さを防げる。

 またエイラは、隊商とともに旅をしているとついさぼりがちになった乗馬の訓練もできた。ミエットからクラーナとともにバイアーサラまで南下した馬をそのまま譲り受け、はじめのうちはおっかなびっくりだったものの、もともとが機敏な性質(たち)である。すぐにコツを掴み、長距離の疾走は無理であっても、隊商の荷馬車の比べればずっと速く旅ができるようになった。

 そうして――時期は、冬至祭(フィロンド)の終盤の頃になろうか。

 半年ほど前にエイラがたどった道を戻るようにして、彼らはそこにたどり着いた。

 かつてエイラとして出てきた門を外から眺めてみれば、そこは何とも見知らぬ場所――冷たい場所にすら、思えた。

 出立したそのときには敢えて街を振り返ろうとはしなかったから、初めて見る光景だという意味ならば確かにその通りだ。

 だがここは、故郷なのだ。

 十八年間をエイル少年が過ごした、懐かしいアーレイド。

 なのに、まるで知らぬ街のようだ。

 もちろん、この半年と少しの間にアーレイドが様変わりしてしまったのではない。変わったのは、こちらだ。

「どうした、エイラ」

 ようやく扱い慣れてきた(ケルク)をエイラは不意に止めた。シーヴはそれを不審に見やる。

「もう、すぐそこじゃないか」

「ああ……そうだな」

 翡翠の呼び声は近い。それはいまや、昼夜を問わずリ・ガンを刺激する。

 だがそれにはもう慣れた。この街にいたとき――城にいたときに何故気づかなかったのか、いまでは不思議なくらいだ。

 エイラの躊躇いは、翡翠の声には起因しない。

 あるのは、この姿でかの地に帰るという不安。

 少年エイルと娘エイラはどれくらい、似ているのだろうか。エイルを知るものがエイラを見て、すぐ判るくらいに似通っているのだろうか。

 これまでそんなことを考えたことはなかった。両者を知るものは、アーレイドの師リックと〈塔〉以外にはいないのだから。

 〈塔〉に尋ねておけばよかったなどと考えても〈予知者だけが先に悔やめる〉という言葉の通りだ。

 自分では判らなかった。

 初めてエイラの顔を鏡で見たときは、自分ではないと思った。だが、それは初めて化粧をした娘が鏡を見たときに違和感を感じる程度のものであるのかもしれない。知人が見れば、他人とは間違いようのない程度の。

 いまではエイラの顔にもすっかり慣れてしまったし、もう何月も「エイル」の姿を取っていない。「エイル」の顔に自分が違和感を覚えることはないと思う――思いたい――が、エイラの顔を見ても自分だと思うようになってしまっている。

 だから、判らないのだ。「ふたつの身体」はどれだけ似ている?

 エイラを見た誰かが、間違って声をかけたりしたら? その知人には、人違いだと言うことができるだろう。どれだけ似ていたところで、娘の姿をしているエイラがまさかエイル当人だとは思わないはずだ。だが「エイル」との人違いが繰り返されれば、不審に思うだろう。――シーヴは。

 せめて、もっと響きの違う名前にすればよかったと思っても、やはり彼は予知者ではなかったのだ。

「ちょっと、考えがあるんだ」

 エイラは馬を下りると荷を探った。

「アーレイドでは、魔術師(リート)の姿でいようと思う」

「ふん?」

 シーヴは意外そうに言った。彼女がそのローブを着るのは、魔術師とその護衛という「ふり」をしたときを除けば、どうしても協会(ディル)に行かねばならないときだけだった。

「見つかりたくない相手でもいるのか?」

「……まあ、そのようなもん、だ」

 いる、どころではない。見つかりたくない相手だらけである。エイル少年は顔が広いのだ。

 西区には近寄るまい、と心に決めた。たいていの知人は魔術師を避ける迷信深い――いまは、良識ある、と呼びたい――人間だが、町憲兵(レドキア)のザック青年ならば、魔術師への不信感よりも友人によく似た姿の方に反応しかねない。

「それと、頼みがあるんだが」

「何だ」

「その、何か名前を考えてくれないか」

 エイラの台詞にシーヴは片眉を上げた。

「名前まで隠したいのか? お前、何かやばいことやらかしてここから逃げてきたんじゃないだろうな」

「違うよっ。ただ……帰ってきたことをなるべくなら知られたくない、んだ」

 言葉を濁すエイラを問いつめることはシーヴはしなかった。問いつめれば〈鍵〉の要望にリ・ガンは応えるだろうが、彼はそのようなことは知らぬし、知っていればなおさら、しないだろう。

「俺は、アーレイドふうの名前はシュアラ王女しか知らんなあ……」

「さすがに、それは名乗れないよ」

 エイラは苦笑した。

「誰か、友だちの名前でも使ったらどうだ」

「友だち、か」

 街の娘たちのことを考えた。懐かしくて胸が痛んだが、どうにかそれは見せないようにする。

「――リター」

 元気な酒場の娘を思い出した。どうしているだろう。何も深い仲ではなかったが、仲良くはあった。だが、顔を見に立ち寄ることもできない。するまい。

「リター、か。そのまんまってのも、何だろう。そうだな……リティなんてのはどうだ」

 シーヴの言葉にうなずいた。そう珍しい名前ではないとは言え、実際にリターがいるかもしれない近くでその名を使い、本人の注意を引くような真似はしたくないものである。

「リティ。よし。それじゃお前をそう呼べばいいんだな?」

 エイラはうなずいて、また苦笑した。偽の名であるエイラにまた偽の名をかぶせるとは、何とも面倒なことだ。別な理由で、シーヴも笑った。

「これでお前も、ふたつの名を持つことになったんじゃないか?」

 言われて目をぱちくりとさせ――曖昧にうなずいた。それを言うのなら、三つ目になる訳だ。

「魔術師リティ、と。ほかに注意事項は?」

 面白そうな顔をしてシーヴは言った。エイラが厄介ごとを抱えているかもしれないと言うのに、それが楽しいというのだろうか。きっと、楽しいのだろう、とエイラは内心で苦々しく思った。

「いや。私が気をつけることだから」

 宿を東区にとり、中心街区(クェントル)から西や南に近づかなければ大丈夫だろうとそんなふうに考えた。

「西区は、避けておくかな」

 そう考えた途端にシーヴが同じようなことを言ったので、エイラは驚いて振り返った。

「何で……そんな」

 まるで自分の心を読まれたかと思ったがもちろんそんなはずはなく、シーヴは肩をすくめる。

「俺も一度、酒場で騒ぎを起こしたことがあるんでね。東国の衣装を着ていたから、そっちの方が印象に残っていて、俺の顔なんて覚えてる奴はいないかもしれんが」

 その話は知っている気がした。考え、ふと思い出したエイラはおかしくなる。

「じゃあ、あれはあんただったのか!」

「何だって? 知ってるのか?」

「ああ。東国のふたり組が喧嘩騒ぎを起こしたと聞いて……てっきり、あんたの臣下だと思ってたのに、王子殿下本人だったとはね!」

 急に楽しくなって、エイラは声を上げて笑った。そうすると、元気が出た。シーヴがそんな彼女を見て安心していることなどは気づかない。エイラが楽しそうにするのは――久しぶりだった。

「よし、準備はもういいや。それじゃ行こう。ここまできて尻尾巻くなんて馬鹿げてる」

 自らに言い聞かせるようにそう言うと、魔術師のローブを羽織ったエイラは再び馬に乗った。


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