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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第2章

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01 奇妙な男

 からりとよく晴れた空を見上げて、青年は満足そうにうなずいた。

 ひとり旅にも、誰かとの旅路にも、それぞれの楽しさがある。彼は人と過ごすことを楽しむ方だったが、それでもひとりの方が気楽だと思うこともあった。

 だが、いまの相棒に関してだけは、「ひとりが気楽だから離れよう」という気分にはならないようだ。

 当たり前のことを思って苦笑した。

 この相棒をほかの誰かと比較するなんて、冗談にしても馬鹿げている。

「さあ、オルエン! いい加減に起きたらどうだい。もう太陽(リィキア)はとっくに上がってるよ」

 寝台に向かってそう叫ぶと、不機嫌そうな声が返ってくる。

「昨夜は遅くまで書を読む必要があったんだ。お前のような、暇を持て余して寝ることしかできなかった若造と一緒にするな」

「はいはい、僕は暇人だよ」

 慣れたふうに青年は受け流した。

「健康で健全で暇な若者さ。君だって、言うことは年寄りじみているけれど、二十代の若者のくせに」

「そのように思うのであればそう思えばよい」

「いいから、さっさと起きた起きた!」

 茶色の髪をした青年は陽気に言うと、相棒の寝台から布団をはぎ取る。白に近い灰色の髪をした若い男は呪いの言葉を吐いた。

「やめてよ、そういうの」

 青年は顔をしかめる。

魔術師(リート)にそんな台詞を言われると、背筋がぞっとする」

 その言葉に、寝台の男は不満そうにうなった。

「ええい、忌々しい。私は魔力を失ったのだと言っているだろう」

「聞いてるけどね。僕からすると、どこからどう見ても魔術師だよ。簡単に怖いことを呟いてほしくないな」

「なら、布団を私に返せ、クラーナ」

「お断りだね」

 吟遊詩人(フィエテ)はにっこりと笑った。

「もう〈変異〉の年ははじまってるんだよ、オルエン。君も理解してるだろう、早く僕らの翡翠(ヴィエル)を助けにいかなけりゃ」

「私のではないな。お前のかもしれんが」

 オルエンは仕方なさそうに身体を起こすと、大きく伸びをした。

「翡翠の女王陛下はそれほどせっかちでもなかろう。時間は一年ある。私とて時間を無駄にするのは好まないが、半刻ばかり出発が遅れるくらいは問題は生じまいに」

「全く、呑気な〈鍵〉を持って僕は幸せさ」

 クラーナは大げさに両手を拡げた。

「ほら、いいから起きる! ただ起き上がったって『起きた』ってことにはならないんだよ。さっさと目を覚まして!」

 言いながら窓を思い切り開け放ち、うなり声を上げるオルエンを笑って振り返った。

「だいたい、君が一緒にきたがってることは承知なんだからね。何度も伝えただろう、君は帰りたいなら大好きな砂漠にいつだって帰っていいって」

 そう言われたオルエンはまた呪いの言葉を吐いた。

「こんな面白そうな話を放り出して、砂漠に帰れるものか」

「だろう? 百年だか二百年だかを生きたって、君は好奇心に勝てないんだから。ほら、君が探しているものだってこの旅で手に入るかもしれない、って喜んでたじゃないか」

「お前なんぞに言われずとも判っておる」

 クラーナに腕を引っ張られ、無理矢理に寝台から下ろされながら、オルエンは不満そうに言った。

「何をそんなに()く。翡翠は逃げんだろうに」

「二大不動玉(・・・)はね。でも動玉(・・)は逃げるんだよ。僕だってそれを常に追っかけられる訳じゃないんだから」

「なら、クラーナ嬢(セリ・クラーナ)になればよいではないか。あの姿の方が翡翠を見つけやすいのだろう」

 こともなげにオルエンは言った。

「そうさ、女の身体の方がこの一連の網の目を見やすいよ。でもそれは影響も受けやすいってことだ。殊に、お隣にいる〈鍵〉のね。君ののんびりした癖が伝染ったら困るもの、滅多なことではやらないつもり」

「もったいないことだな。クラーナ嬢はなかなかいい女であるのに」

「厭らしい爺さんだ、僕は君の目を楽しませてやるつもりはないよ」

「そうだろうな、惜しいことだ」

 オルエンがそんなふうに言えば、クラーナは嘆息する。

「翡翠の女神様は退屈なんだね。こんな相手を選んでさ。非協力的な〈鍵〉に引きずられて僕が翡翠(ヴィエル)探しをやめたらどうするつもりだろう」

「非協力的だと? 充分なほど手を貸してやっているではないか」

 心外だとばかりにオルエンは鼻を鳴らした。

「つい昨夜のことだったのではないかな、酔漢に絡まれた詩人殿を窮地から救ってやったのは」

「礼なら言ったじゃないか」

「苦情を言われたことしか覚えておらんが」

「やりすぎだって言っただけだよ」

 クラーナは嘆息した。

「何もあんなに脅さなくたって」

「ああいう手合いは何度でも同じことを繰り返すものだ。痛い目に遭わせてやれば、少しは覚える。獣と同じだな」

「本当、大した〈鍵〉殿だよね」

 呆れ顔でクラーナは言った。

「女王様にはこれだけは言いたいよ。もっと穏やかな性格の〈鍵〉候補はいなかったのかって」

「交代希望を届け出るなら早くしてくれ。私にも予定がある」

「全く、君は。そんなことはできないと知ってて言うんだから」

「それはお互い様だろう。第一、お前の軽口に乗ってやったと言うのに、文句を言われる筋合いはない」

「はいはい、判ったよ。僕の軽口が余計でした」

 降参するようにクラーナは両手を挙げた。

「さあ、いい加減、出発するよ。君は他人との約束なんてどうでもいいかもしれないけど、僕は約束通り、朝食をもらいに行きたいからね」

 言いながらクラーナは、再びオルエンの腕を引っ張った。

「ほらほら、ものぐさ(・・・・)もその程度にして! 若者らしく機敏に行動する!」

「ええい離さんか。……仕方ない、今日のところはつき合ってやる」

 渋々という調子で寝台から下りるオルエンに、クラーナはまた笑うのだった。


 彼らが出会ったのは、〈変異〉の年がはじまるひと月ほど前のことだった。

 歯車に何の(・・・・・)狂いも(・・・)生じな(・・・)ければ(・・・)、それが正しいのだ。そうあれば、リ・ガンと〈鍵〉は白の月の初頭から彼らの翡翠(ヴィエル)を探しにいける。多少の遅れはあるとしても、一の月が過ぎる前には両者は出会い、そして互いを認める、はずだ。

 出会ったのにそれと気づかずにすれ違うなど――当時の彼ならば、何の冗談だと言うだろう。この完全で完璧な関係が、どうすれば見誤れると言うのか? その狂いを生じさせるのが自身(・・)であることなど、その頃の彼はまだ知る由もない。

 オルエンは、奇妙な男だった。魔術師(リート)のような格好をし、そのような術を行うのに、魔力を失ったと言うのだ。

 クラーナが持つ力は魔力とは違うが、面と向かえば相手が魔術師であるかどうかくらいは判った。だがオルエンは奇妙だ。

 判らない(・・・・)のである。

 魔力を持つのか持たぬのか、判らないのだ。これは相当におかしなことだった。術師と言うのは、たとえその力の強さをごまかしたとしても、隠すことだけは決してできないのだから。

 だがクラーナも、言うなれば偽魔術師であったから、それがどれほど奇妙なことかは知らない。ただ、かつては魔力を持っていたが失った、というオルエンの話に、そういうこともあるのだろうとうなずくだけだ。

 実際、リ・ガンとして目覚めるまでのクラーナが単なる吟遊詩人(フィエテ)だったのに対して、この〈鍵〉殿ときたら正体不明なこと限りなしである。

 彼とそう変わらぬ年齢の外見であるくせに、自分は百年以上を生きたと主張してはばからない。普通ならばただのほら吹きか狂人かと思うところだが、いや、たとえそうであってもオルエンがクラーナの〈鍵〉であることは明白で、どんな運命の悪戯――或いは、翡翠の女神だか女王だかの気紛れ――によるものかは判らないが、この期のリ・ガンは、魔力を失ったと自称する魔術師と旅をすることになっているのだ。

「それで、どこへ行くのだ?」

 ぶつぶつと文句を言いながら支度を終えたオルエンは、吟遊詩人に問うた。

「まずはお隣。近いね、助かるよ。ハサードスに力を感じるんだ。行っちゃわない内に捕まえよう。不動のふたつは居場所が判ってるんだから、あと回しで充分さ」

「ハサードスか。ごたごたの多い都市だ。気をつけるんだな」

 魔術師がそんなふうに言うのを聞いて、クラーナは少し驚いた。彼が、リ・ガンの身を案じるようなことを言ったことはなかったからだ。

「何か見える(・・・)のかい、魔術師殿(セル・リート)

「馬鹿な」

 魔術師はうなった。

「見えるならば、何も言ったりはせん」

 オルエンの答えの意味は、このときのクラーナには判らなかった。

 変えられぬ定めを先に見てしまう力の忌まわしさなど。

 彼がそれを知るのは、〈鍵〉を失ったあと。

 〈鍵〉を護れなかったその罰。

 彼が乱した歯車を次の〈変異〉の年には元通りにする使命と、オルエン自身が抱えていた様々な定めとを彼の身に受け取るように――なってからのことだ。


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