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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第1章

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10 来年の楽しみに

 シーヴは人に剣を教えたことなどなかったから、世辞にもよい師匠(キアン)とは言えなかった。

 だがそれでも短剣の握り方だのかまえ方だの、通常の長剣と全く違う基礎の基礎を学ぶことには問題なく、そう言った最低限のことが判れば、エイラもファドックに習ったことを応用できた。ときどきその応用は的はずれで、何度シーヴに「殺され」たか判らないが、不肖の師匠に対してエイラの方は上等な弟子だったと言えよう。

 周囲が「兄妹」の突然の稽古をどう思ったとしても誰も口を挟まなかった。ヒースリーは意外に思ったようだったが、エイラが自分とばかりいればシーヴが妬くと――青年は否定するだろう――考えていたので、こちらもまた何も言わなかった。第一、護身術を身につけるというのは、悪いことではない。

 隊商の荷馬車に寝台などはない。薄い布団を荷馬車にひくか、外に立てた天幕で眠るか、である。快適さはどちらも似たようなものだが、どちらかと言えば荷馬車の方が「上等」であろうか。

 旅の薬草師は厚遇されたが、便乗護衛の兄妹は天幕組だった。ヒースリーはエイラに荷馬車を提供しようとしたものの、エイラは礼を言って断った。どうせ、眠らないのだ。

 野営に慣れたシーヴはもちろん天幕を嫌がるどころか歓迎した。兄妹という触れ込みのふたりはやはり同じ天幕だったが、ほかにも隊商の人間がいたので、ヒースリーに対して妙な対抗意識を燃やすシーヴが彼女にどう出るか、というような怖ろしい心配はしないで済んでいた。

 怖ろしいのは、何も女として扱われることだけではない。

 こうして、シーヴの隣でエイラのままでいると、彼自身の本当の姿が薄れてくる気がする。それが怖ろしい。

 そして、フラスの街でふと浮かんだ思いがエイラの――いや、エイルの心を怖れさせていた。

 シーヴは〈鍵〉だ。

 リ・ガンはその感性に引きずられる。

 だから、もし、シーヴがエイラを女性として愛するようにでもなったら、やはりそれにも――引きずられるのではないのか。

 もし、シーヴが愛情から彼女を求めれば、エイラはそれに応じるかもしれない。

 引きずられるのだ。魔術的な強制や、〈鍵〉相手だから耐えるのではなく。

 〈鍵〉がリ・ガンを求めれば、リ・ガンはそれに応えるだろう。

 エイラにはそれが判っている。

 そして、それに嫌悪や恐怖を感じなくなっている。

 そのことが、怖ろしかった。

「エイラ、まだ寝てるのか」

 呼びかけられて、エイラは目を開けた。毎晩の眠りはもう、ほとんど彼女を訪れなくなっている。代わりにやってくるのは、西からの呼び声と不安ばかり。

「ああ……もう、起きるよ」

 しかし眠っている「ふり」をする。シーヴを心配させたくないこともあり、人の「ふり」を続けたいことも、あった。

「今日中にアイメアに着くだろう。ヒースリーは何か探ると言ってくれているが、どうする」

 シーヴが言うのを聞きながら、身を起こす。初めの頃ほどは、シーヴもヒースリーに反感を抱かなくなっているようだが、少なくとも協力してほしいという気持ちは浮かばないらしい。どうする、とエイラに問うのは、礼儀上のようなものだろう。ヒースリーはエイラの知人にして師匠であるのだし、シーヴがどうこう言えば「約束」を破ることにもなる。

「気持ちは有難いけれど、やっぱり彼は関わらない方がいいと思ってる」

 エイラは素直に言った。

「『ふたつの名を持つ者』については、気になるけれど、私たちの予言に彼を巻き込まなくてもいい」

 エイラの言葉にシーヴはうなずいた。ヒースリーを追い払えるとでも言うような、満足そうな様子はそこにはない。この件については彼も同じように考えているのだ。

 関わらずに済むのなら関わらない方がいい。

「そろそろ、フィロンドだな」

「ああ、冬の祭りか」

 アイメアの方向を眺めるようにして言ったエイラに、シーヴはいつぞやの会話を思い出してうなずく。

「祭りを……見ていくか?」

「馬鹿なこと言うなよ」

 エイラは顔をしかめた。

「知ってるだろう、時間はないんだ」

 アイメアで旅に疲れた身体を少しだけ休めて、すぐに西に発てば次に大きな街――アーレイド、になるだろう――に着く前に冬至祭(フィロンド)の時期は終わってしまうだろうか。アイメアに限らず、アーレイドと違う街の祭りを見る機会を逸するのは惜しい気もするが、のんびりする気にはなれない。

「そうだな、それじゃ」

 シーヴは言った。

「アイメアのフィロンドとやらは、来年の楽しみにしておこう。――いいな?」

 エイラは虚をつかれた気持ちになった。

 来年(・・)

 そんなものがくるのだろうか。

 翡翠を呼び起こし、穢れを払い、そして〈時〉の月に眠らせ、そうすれば〈変異〉の年は終わる。

 そのあと、自分には次の年があるのだろうか。

 考えたことはなかった。ない(・・)のかもしれない、などとは。

 役目を終えたリ・ガンがどうなるのか、などとは。

 ただのエイル少年にはもう戻れないと判っている。だが、リ・ガンとして――いまの形を持つエイラ、或いはエイルは、どうなのだ? いま歩んでいる道は、先へ続くのか?〈変異〉の年を越えても?

 シーヴもまた、自身の台詞に苦いものを覚える。来年になれば、彼はシャムレイに戻るのだ。

 どういう形でなのか、この奇妙な出来事が終わり、無事に彼の街へ帰ることができたならば、彼は二度と〈シーヴ〉には戻らない。そうなれば、エイラとともに旅をするなどできるはずもない。

 結婚をしようと、町を治めようと、やろうと思えば勝手に旅に出ることはできるだろう。だが彼はそれをしないと、誓ったのだ。

「来年、か」

 エイラはシーヴの言葉を繰り返した。

「そうだな。……アイメアの祭りを見てみたい、な」

「よし……決まりだ」

 シーヴは指を鳴らした。

「やることはさっさと、終わらせちまおう」

 エイラはうなずいた。

 道の先がどうなっていようと、もう足を止めることはできない。とめることができたとしても、止まる気はない。

 彼女はリ・ガンで、いまは〈変異〉の年なのだ。

 終わったあとのことは、そのときに考えればいい。

 「終わる」のが〈変異〉の年であろうと――リ・ガンという存在そのものであろうと。


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