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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第4話 翡翠の呼び声 第1章

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03 レンからの使者

 それは、突然の展開、だったろうか。

 驚いたことを隠すことができた者はいなかったが、隠そうとする者もいなかった。その単純な「驚き」の影に、戸惑いやら怖れやら嫌悪やらを隠すことの方が重要だったのだから。

「レンからの使者、ですって?」

 十八の誕生祭を迎えて一年の半分と、少し。

 可愛らしいとリャカラーダをして評された姫君は、その可憐さを保ったままで艶やかに咲き誇ろうとしていた。

 顔立ちが突然に大人びるというこそなかったが、すぐに怒りや癇癪をたたえがちだった碧い瞳は、近頃では滅多にその強い光を帯びず、穏やかだった。愁いを帯びている、と表現されることすらある。

 謁見に出る予定や急ぎの客人のないその朝、いつもならば結い上げている金の髪は丁寧にくしけずられただけで、下ろされたままだった。耳の辺りに黄玉をあしらった髪飾りをつけた程度の自然な出で立ちで窓際にたたずみ、ため息のひとつでもつけば、アーレイド中の若者がこの姫君を守らなくてはと騎士心を発揮しかねない。

 シュアラは我が儘だが可愛いところがある――或いは可愛いところがあるが我が儘だ――と考えていたエイル少年がいまの彼女を見れば、その考えを変えるだろうか。

 町の若者やエイル少年の心はどうあれ、しかしシュアラ王女の騎士(コーレス)と公式に呼べる男はただひとりであった。王女が夫を持てば、その騎士の地位や扱いはどうなるのであろうかというのは、いまや王女の夫候補と並ぶ、アーレイド城でのいささか下世話な噂のひとつだったが。

「それは、どういうことなの、ファドック」

「奇妙なことです。それだけではなく、波乱を含む、ということになるでしょう」

 護衛騎士はそんなふうに言った。王女はうなずく。

「かの都市が長年に渡り、周辺諸都市と関わりを持たなかったことは間違いないわ。それも五年十年というものではなく、五十年百年の長さで」

 シュアラは南東に視線を向けた。

「そのレンが、アーレイドに使者を寄越すなんて」

 何のつもりかしら、と王女は呟いた。ファドックは、自分が意見を求められているのかどうかしばし考えるように間をおき、おそらくは「判りきっていること」をシュアラが他者の口からも聞きたいのだと気づいた。

「使者が届けたのは、レンの代表者が冬至祭(フィロンド)にアーレイドを訪れる許可を求める書状にございました」

「何故、お前がそのようなことを知っているの?」

 シュアラは問うた。ファドックはシュアラ付きではあるからして、彼が知るべきは彼女に関わることだけである。政に関心などは寄せぬ――少なくともそう見える――し、もちろん、王や大臣たちが姫付きとは言え、ただの平民に意見を求めることも――キド伯爵を除いては――なかった。

「シュアラ様にお伝えするよう、陛下のご指示が」

 だがファドックはそう答え、シュアラはふっと息を吐く。驚きはしない。

「そう。それじゃやはり、そういうことだと考えていいのね?」

「陛下は、その可能性をお考えです」

「それじゃ」

 シュアラは言葉を切った。まっすぐに、ファドックを見る。

「誰がくるの」

「第一王子アスレン殿下」

「まさか!」

 シュアラは笑った。だがその笑みを途中で止める。これは――ファドックらしくない冗談だ。

「事実です、姫。レンの第一王位継承者、二十五歳の若き王子殿下が、冬至祭にこの街へいらっしゃるのです」

「だって……」

 シュアラの目が泳いだ。

「冬至祭のあとに未来のアーレイド王を――私の夫を決めるのだ、という話はただの噂じゃないのよ。お父様と大臣たちが言っていることだし……その地位を望むならこれが最後の機会とばかりに、諸都市から冬至祭に出席するという使者がきていることも確かだわ。けれど、有り得ないじゃないの、第一王子だなんて」

 当然だろう。シュアラは第一王女で、アーレイドの継承権を持つ。この街の伝統としてはシュアラは王位を継ぐこともできるが、現アーレイド王マザド三世はシュアラを女王ではなく王妃とすることを考えていた。それ故、家柄と地位、才気と野心のある若者――優れていれば、それほど若者でなくてもかまわなかった――はこれまでにも王女の心を射止めようという動きをしていた。

 ただ、シュアラ本人が滅多なことではアーレイド城で行われる正規の儀式以外に出席しないものだから、彼らには手紙を出すくらいのことしかできなかったのだ。気になる姫君のもとにこっそり忍んでいくことを得意としている貴族の息子も、近衛兵と護衛騎士に守られた部屋に入り込もうとは思わぬものである。

 ともあれ、近づいてくる冬至祭(フィロンド)は、シュアラ姫の婚約者選びの最終試験であるかのように言いはじめられていた。

 もちろん、候補とされる人物はとうに限定されていたし、実はもう二者に絞られているというのが多くの者の見方だ。ファイ=フーの第四王子かクライン侯爵の年若き甥か、どちらも甲乙つけがたいがアーレイドのためとなるのは余所との縁組か都市内のものなのか、まさしく選択は最終段階。

 そのはずだった。

 そこへ、〈魔術都市〉など不気味な異名をとるレンの王位継承者が名乗りをあげたと言うのだ。

 その辺りの話を知るものなら誰でも、まさか、と思うだろう。

 レンから使者があったというだけで「まさか」。いまアーレイドで噂の頂点にある冬至祭に代表がやってくるというので、次の「まさか」。それがまた年頃の王族であることに「まさか」。何よりそれが第一王子であるなど、「まさか」では済まない、「有り得ない」である。

「どうして、いまになってそんなことを? 急にこの街がほしくなったとでも言うのかしら?」

 この時期にレンが使者を立てるなど、その意図はシュアラ王女の品定めか、或いは婚約者内定の邪魔か。それ以外に何があると言うのか?

 もちろん――翡翠(ヴィエル)であるなどと考える者は、いない。

「でもそれだっておかしいわ、それなら王位継承者以外の年若い王族を寄越せばいいじゃないの」

 そうした話題はシュアラにこの話を伝えるように言われた際、散々聞かされているファドックは何も口を挟まなかった。口に出すことで、シュアラが自身の考えをまとめていることを知っているからでもある。

「お父様は、どうされるの? レンを客として迎えるのかしら?」

「レンの希望に添われる以外にはありませんでしょう」

 たとえレンにどのような評判があったとしても、レンがアーレイドに害を為したことがある訳ではないのだ。ここで大した理由もなくその希望を撥ね付ければ、もちろん機嫌を損ねることになる。

 レンが使者を送ると言うだけで尋常ではないのに、まして第一王子アスレンという重要な存在をくだらぬ挨拶の使者に立てるはずもない。

 となればレンの目的は目に見えている。見えすぎるほどだった。

 しかし、同時にどう考えても有り得ない話だ。どちらも、王位継承者なのだから!

「いったいレンはどういうつもりでそのようなことを」

「様子を見るしかありませんね」

 騎士は言った。

「このようなことは一度あれば充分だと言いたいところですが」

 その「冗談」に姫は笑った。東国の王子の唐突なる訪問――と退席――はいまや、一部をのぞいてはアーレイド内でちょっとした冗談のように言われていた。当の王子が聞けば、今度きたらつまみ出してやると言われないだけ有難い、とでも言うだろう。

「お前はどう思うの?」

 シュアラの問いは、これがもしカリアやレイジュのような侍女が相手だったなら、居丈高な響きを帯びたものとなる。そう言って悪ければ、女主人として恥ずかしくない凛としたものを持つ、と言ってもいい。

 しかしファドックの前では、王女は年齢相応に響いた。彼女は、意味の判らぬ出来事――それも自身の将来にこれ以上ないくらい関係の深い出来事に感じる不安を隠せなかった。

 シュアラが物心ついたころにはファドック――当時は少年(・・)である――は隣にいて、少女の意地も見栄も戸惑いも不安も、全て見てきたのだ。それが嫌であると王女が感じたことは一度もなく、それが当然と思っていた。

 ファドックだけは、何があっても彼女の隣にいる。

 彼女が結婚をすればその状態が変わるかもしれない、とは考えていなかった。

 ファドックはずっと近くにいる。「城」に雇われている侍女たちが去っても――エイルが去っても。

「私ごときの考えなど」

 だがファドックはその()をわきまえすぎるほどわきまえている。シュアラの寵愛をかさに着ればアーレイドでできないことは何もないであろうに、ファドック・ソレスは一度たりと「姫の護衛騎士」以上の権力を振るったことはなかった。そしてその誠実さによって、彼は王をも含む城の人間全ての信頼を受け、彼自身とその保護者であるキドの地位を確固たるものにしている。

「いいから、言って頂戴」

 騎士として「出過ぎたこと」をシュアラが望めば、一度は必ずファドックが引くことを彼女は知っている。だがそれでもとシュアラが押せば、彼女の望みに応じることも。

「レンについては判らないことばかりですが、どのような不思議な法と理屈を持っていたとしても、王位継承者が王位継承者に結婚を申し込むとは通常、考えられません」

「そうよね。当然だわ」

「それでもアスレン殿下はシュアラ様とアーレイドをご覧になるためにいらっしゃるのです。冬至祭のことをご存知でないと言う見方もできなくはありませんが、レンが長年閉ざしていた扉を開く時期がシュアラ殿下の大切な祭事と偶然一致するというのもまた考え難く。また、祭の前に儀礼的な訪問という形を取ることもできますのにそうしないのは、アーレイドに混乱をもたらすためであるかのように思えます」

「混乱?」

「はい。レンがアーレイドに門を開いた、それも第一王女の婚約を控えたこの時期に、いかにもその(えにし)を求めるかのように。実際、書状ひとつで噂と憶測が乱れ飛び、〈魔術都市〉との縁組などするべきではないという強い声も早々に聞かれます」

「それは……あまりよくないわね」

 シュアラは綺麗な眉をひそめた。

「でもレンがアーレイドを混乱させてどうするの? 何の得があって?」

「それは判りません」

 ファドックが〈守護者〉であるとリ・ガンが確信していたところで、護衛騎士が宝物庫に眠る翡翠に思いを馳せることはなかった。少なくとも、いまはまだ。

「実際的なことを申し上げるならば、アスレン殿下は第一王子であると同時に、レン最高級の目利きでいらっしゃるのではないかと考えられます。アーレイドと姫が、レンにどんな好影響をもたらすと考えておられるのかは判りませんが、縁組を予定している王子なり貴族の息子は別にいて、王子殿下はあくまでも見定めにいらっしゃると」

「見定めに」

 シュアラはゆっくりと繰り返した。

「……私と、アーレイドの価値を」

 その言葉にファドックはうなずき、シュアラも数(トーア)考えてから、うなずいた。

「そうね。そうかもしれないわ」

 一年前なら「ファドックがそう言うのならそうなのだろう」と考えた少女は、いつの間にか少しずつ成長していた。

「ファドック、レンのことを調べて頂戴。魔術師協会(リート・ディル)に依頼をしたらどうかしら。詳しい術師がいるようなら、私のところに寄越して」

「御意」

 ファドックは正式な礼をすると、それをシュアラの命として受け取ったことを表す。

「……お父様ももちろん、お調べになっているはずね。どうかしら、ファドック。私が私の意思で何か探ろうと思うのは」

 それは、やってもいいだろうか、という質問ではなかった。動くことはもう、王女の心に決まっているのだ。

「快く思わぬ者もいるでしょう」

 騎士は姫の質問の意図を理解して、答える。

「そう。それならなるべく気づかれないようにしなさい。お前は私の用でばかり動く訳にもいかないのだから、誰か数名、信頼できる者を使うようにね。お前がそう判断した相手ならば、私の許可は要らないわ」

 ファドックが望むときに隣にいないと言ってシュアラが不機嫌になっていたのは過去のことになりつつあった。現実に隣にいなくとも、騎士が彼女を守っていることがシュアラには判り出していた。

 それでもやはり、一年後、伴侶が傍らにいることになればファドックの立ち位置が変わるやもしれぬとは――思わずにいたが。


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