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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第3話 白銀の宮殿 第4章

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04 遅すぎはしない

 閃光が走った。

 少なくともそんなふうに感じられた。

 予期した衝撃は彼を訪れず、その代わりに――全く予期しない別の衝撃が、盗賊(ガーラ)を襲ったようだった。

 だがある意味、やはり予想もしない衝撃が彼を襲っていた、とも言える。

エイラ(・・・)!」

 それは確かに、彼の〈翡翠の娘〉だった。

 息を弾ませ、つきだした自身の片腕と、そこから飛びだした魔術――のようなもの――で路地の奥へと飛ばされたふたりのごろつきと、死を覚悟した青年とを代わる代わるに見つめるその顔は、シーヴの脳裏に蘇ったものと何も変わらなかった。違うのは、そこにあるのは怯えではなく戸惑いであるというだけ。

「いったい、どうして」

「何っ、何で」

 二人の声は合わさった。

「どうやって、ここへ……俺を救ってくれたのか」

「何で、何でこんな」

「エイラ」

 取り乱すように喋る〈翡翠の娘〉をしかしシーヴも戸惑って見ていた。視線が、合わさる。

「何で! 何で判らなかったんだ!」

「おい、どうした……」

それなら(・・・・)あんたが(・・・・)俺の(・・)()()、どうしてこんな簡単なことに気づかなかった!」

「エイラ」

 彼女が彼以上に取り乱しているらしいことが判ると、シーヴは落ち着かせるように両手を上げ、剣を持っていたことを思い出してそれをしまった。

「有難う。俺を救ってくれたんだな」

「ああ、殿下、じゃない、何だっけ、シーヴだ。あんたがお……私の〈鍵〉なら、じゃない、〈鍵〉なんだからこれは当然、なんだ」

 自身のなかの混乱した思いを整理するように言葉を発するエイラの目が少しずつ落ち着いていく。薄明るい茶色の瞳が、先程までほんのり緑がかっていたように見えたのは――気のせいだっただろうか。

「聞こえたんだ……いや、見えたんだ、この場所が。〈()が傷つけ(・・・・)られようと(・・・・・)している(・・・・)、と判ったんだ。そうしたらここにいて、あいつらを吹っ飛ばしてた」

「助かった、有難う」

 シーヴは繰り返した。エイラは首を振る。

「何であのときに判らなかったのか、何でいま突然判ったのか、それこそ判らねえけど」

 息を整えるようにしながら、エイラは言う。

「俺……私はリ・ガンで、あんたはその鍵。翡翠の宮殿も近い。遅くなったけど、遅すぎはしない。何でこんなことが判るのかは、やっぱり判らない」

「俺の道標殿が、何かしたのかもしれんな」

「道標、だって?」

「ああ、おい、吟遊詩人(フィエテ)、無事か――」

 呼びかけてシーヴは目をぱちくりとさせ、ぱっと路地の外へ出ると周囲を見回した。

「……いない」

「誰が」

「俺の連れだ。吟遊詩人(フィエテ)の、クラーナという」

「クラーナだって!?」

「知っているのか」

 エイラの叫びにまたも驚いて、シーヴは彼女を振り返る。エイラは曖昧にうなずいた。

「一度、会ったことがある。何者なのかは、よく知らないけど」

「あの野郎。何が俺には嘘をつかない、だ。エイラのことは知らないと言ったくせに」

 エイラはそれが嘘ではないと知っていたが、言うことはできなかった。クラーナに会ったのは、「エイル」である。

 そう考えて、エイラははっとなった。

 雪の中で彼女を貫いた大音響。

 あれは彼女を――彼をエイルと呼ばなかっただろうか?

「……どうした?」

 思わずエイラはじっとシーヴを見、何でもないと首を振る。

 あれは〈鍵〉の声だと思った。それくらいに、彼女に――リ・ガンに近いものの声だと。

 だがシーヴならば、彼女をエイラと呼ぶはずだ。

 ならばあれは誰だ? クラーナだと言うのか? ならば、彼は何者だ?

 しかし答えは出ない。エイラは息をついた。

 改めて、エイラはシーヴを見やる。

 浅黒い肌の青年。その黒髪は少し乱れ、彼女をじっと見つめる瞳は濃く暗い茶色だ。ほとんど、黒に近い。

 では彼が〈鍵〉だ。

 こうして相対して、見間違うことなどあろうか?――見間違っていたことが信じられない。

 こんなにもはっきりと当てはまる。はめ絵の最後のひとかけらのように。

 すっきりと、混乱が収まる。難解な謎々を解いたかのように。

 強く引きつけられる。夜闇に浮かぶ家庭の灯火のように。

 シーヴも同様に、エイラを見返していた。

 マントを羽織っていても判るほど華奢な身体。少し茶色がかった金の髪。肩まで流れるまっすぐなそれは、こちらも少し乱れがちだ。白い肌は寒さのためか魔力を使ったためか、はたまた〈鍵〉との出会いのためか、紅潮している。明るい茶の瞳にいまは怯えはなく、そこに見えるのは、理解(・・)のように感じられた。

 これが、彼の〈翡翠の娘〉だ。

 予言され、探し続けてきた存在。運命の――女。

「早速宮殿へ行こうと言いたいところだけれど、今日はもう遅いな」

 ふっと目をシーヴから逸らしてエイラは言った。男と見つめ合うというのはあまり嬉しいことではなかったし、こうしているよりも話すべきことがある。

「遅いだと?」

 シーヴもまたエイラから目を離して空を見やった。彼がこの戦闘に覚えた時間は実際にかかったものよりも長かったが、それにしたって数(ティム)もないはずだ。

「早朝、明け方前じゃないと駄目なのさ。道はもう、閉ざされてる」

 何故か、など判らない。だがエイラの内に明確に浮かび上がる、その道。

「どこかゆっくりできるところを知らないか? あんたには、聞きたいことが山ほどあるんだ」

「それはこちらも、同様だな。それに、奴らが目覚めるときまでここで待っていたいとも思わん」

 エイラの言葉にシーヴは路地裏をちらりと見てからうなずいた。朝市の賑わいが薄れ、いつもの朝がやってこようとするバイアーサラの街並みへと顔を向ける。

 朝早くからは食堂など開いていなかったから、彼らはしばらく街並みをうろついて――さすがにシーヴも懲り、なるべく人の多いところを歩いた――何となく互いに「観察」をし合う。

 リ・ガンだの〈鍵〉だのという話が歩きながら話すようなことには思えなかったので、天候や、この町や、通り過ぎた屋台や店などについて、何と言うこともない雑談をした。これではまるで初めての逢い引き(ラウン)のようだ、などと考えて苦笑したのはシーヴだったが、エイラには気に入らない考えであろう。

 ともあれ、そうして昼過ぎまで時間を過ごすと、互いの性格も何となく判ってくる。

 〈砂漠の塔〉で初めて言葉を交わしたときに感じた印象が大幅に変わると言うこともなかったが、あのような不可思議な場所と、バイアーサラのようなごく普通の町とでは、やはりこちらの方が現実であるというのが相応しい気がした。あの塔での出来事は夢などではなく、本当に起きたことだったのだと理解するにも、また。

 エイラは、実に「安定」を覚えていた。

 〈鍵〉が隣にいると言うことは、〈守護者〉の比ではない。ばらばらであった糸が、あっという間に縒り合わされたような気がする。いきなり何の前触れもなく「エイル」になってしまうのではないかという考えが脳裏をかすめたが、そんな不安など笑い飛ばすことができるほど、エイラの足はしっかりと地に着いていた。

 何も判っていないことに関してはほんの数刻前と同じなのに、罠にかかった野兎のように怯えていた自身といまの自分が同じ人物であることが信じられないほどだ。

 彼女は得たのだ。

 〈鍵〉。リ・ガンの舵を。

 一方でシーヴもやはり、強い絆とでも言うべきものを覚えていた。

 彼の〈翡翠の娘〉はどうやら美人だが、絶世の美女と言うほどではなかった。

 だと言うのに、いままでシーヴが目にしてきたどんな女よりも彼の心を捕らえる。と言っても、これが砂漠の娘ミンが案じたような恋心だとも思わなかった。

 それどころかむしろ、砂漠の娘を思い出せばその肌が恋しくなる。

 シーヴであろうとリャカラーダであろうと、彼がいちばん肌を重ねた相手は、ミンである。戯れで召使いを抱いたとしても、街の女と遊んだとしても、彼が愛情を覚えるのはウーレの娘だけだったのだ。いまでもそれは変わらない。

 ミンがシーヴを待っていなくても仕方がないし、彼が正式に結ばれるのはもちろんミンではなく、見知らぬ貴族の姫であろう。ミンとの間にあるのは情熱や情欲であって愛ではないかもしれない。だが、それでもやはり、彼の心を掴んでいるのはかの娘だけだ。そう思っていた。

 だが、それでもこの絆は強い。

 リ・ガン、という言葉が浮かぶ。

 それが何なのか、〈塔〉は答えを寄越さなかったし、クラーナも同様だ。おそらくはエイラもまた答えないだろう。判らないと繰り返した彼女の言葉が嘘だとも思えない。彼女もまた、本当に知らないのだろう。

 〈翡翠の宮殿〉へ行くまでは。

「翡翠の――宮殿か」

 シーヴが呟くと、エイラはびくりとした。

「何だよ」

 仏頂面に見えるその顔は、シーヴの言葉に機嫌を悪くしたようにも見える。だがシーヴがそこに見て取ったのは、不安。どうと言うことのない話で快活に――少年のように――笑っても、シーヴには彼女がふとした拍子に怯えるように思えた。あの〈砂漠の塔〉で見たように。

「早朝だと言ったな? どうやって行く?」

「この辺りに、湖があるだろう?」

「リダエだな」

 シーヴは、酒場で聞いた話をエイラにした。

「まさか、幻のように浮かび上がる宮殿とやらがそれだって言うのか?」

 だからクラーナはそこを「指し示した」のだろうか、とシーヴは思う。

「そこが……っていうか、入り口、なんだ」

「どういう意味だ」

「判らないって言ってるだろ」

 女は不満そうに口を歪めた。

「私が恍けてると思ってるのか?」

「違うさ。ただ俺はお前を追ってきて、お前は俺から逃げたんだから、お前の方がより多くを知っていると思っても無理はないだろう」

「おかしな理屈だな」

 エイラは笑った。

「私にしてみれば、追いかけてくる者の方が事情に詳しいと思うよ」

 互いに何も知らぬままで追い、逃げていたというのか。その事実をどちらも可笑しく思って、苦笑をした。

「入り口なんだと判る。だけどそれ以上は何にも。あんたには見えないのか、シーヴ」

「俺は、そうだな。塔でお前と分かれたあとは、道が南の方へはっきり向かっているのが感じられた。『引っ張られている』ような気がしたんだ。だが……」

 進むに連れてそれは薄れていった、とシーヴは話した。正しい道を歩んでいたからこそ、引き寄せる力も弱まったと言うところだろうか、などと考えて首を振る。

「そんな話はあとにしよう。俺が心配してるのは、早朝に行かなけりゃならないのならものすごく寒いだろうってことだ。ここの住民と違って俺には耐性がないんでね」

 クラーナに寒がりだとからかわれれば腹が立ったが、自分で言う分にはかまわないものである。

「お前も、あんまり充分な防寒対策をしているようには見えないがね、エイラ?」

 (ラル)がないんだよ、と自身の古ぼけたフード付きのコートを見るエイラに、財布事情なら盗賊(ガーラ)に狙われるほど充分だ、とシーヴは言って適当な店に入り、防寒着を見繕った。

 ゼレットの「下心」を思い出した訳でもないが、エイラは必ず金は返すと主張し、ともに旅をしている間の財布は共有財産であると考えているシーヴを面白がらせた。


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