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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第3話 白銀の宮殿 第4章

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03 疑いようもないもの

 目を覚ますと、太陽(リィキア)が薄黄色く昇っていた。

 粗末な木小屋の重く湿った布団のなかでもぞもぞと動きながら、温まっている布団のなかから出ていくことを身体は拒否していた。だがずっとこうしている訳にはもちろんいかない。

 小屋の仮の主はえいやとばかりに身を起こした。暖を取る足しになればと布団の上に掛けていたマントのことを思い出すと、寝ぼけて動きの遅いなりに可能なだけ素早く、それをまとう。姿を隠したい意味もあれば、単純に寒いということもあった。

(どうやら)

 少年は考える。

(寝てる間に変わっちまったってことはないみたいだな)

(まあ、二回(・・)変わったとしたら、判んねえけどさ)

 街道の外れにあったこの小屋を見つけたときは、砂漠で泉を見つけたのと同じくらい感動的だった。ここは狩人(コルダ)が使う休憩所のようなものだったが、エイルにそのような知識はなく、何だか知らないが助かった、と思っただけである。

 たどり着いたときはエイラのままだったが、エイルの姿の方が寒さに強いだろうと思って〈調整〉をしたのだ。女の身体が冷えやすいのだなどとは知らず──だいたい、厳密に言うならば女の身体ではないのだ──少しでも大きい方が体力が保つだろうと言う判断だったが、〈調整〉自体には何の影響もないことが判って少しだけ安心した。

 あのまま永遠に「エイラ」のままだったとしたら、アーレイドにはもう戻れない。城どころか、母の前にも行けないではないか。

 雪上を行くにも、体力のことを考えるなら本当は娘より少年の身体の方がいい。

 カーディル城と伯爵のもとを飛び出した昨夜に何故そうしなかったのかと言えば、動転していたことももちろんだが、いちばんの理由はこの方が隠れやすいから、である。

 魔力を行使するのならこの姿が向くし、昨夜は使用人たちはみなささやかな宴で城内にこもっていたとは言え、町には顔見知りになったレドキアもいる。エイルを町で、或いは町の外で見かけてほしくは、あまりなかった。

(よし)

 仕方ない、とばかりに彼はその考えを続行する。

 すう、と大きく息を吸って数(トーア)と経たぬうちに〈調整〉は済むが、何とも不安だ。どこか「化け」損なってはいないだろうか?

 まるで新米の化け狐(アナローダ)のように、彼は自分に尻尾でも生えてはいまいかと、全身を点検した。もちろんそんなものが突然生える謂われはなかったから、彼女には角も尻尾も牙も見当たらない。

 息をつくと服を整え、小屋を見回した。

 エイル少年がいままでに利用したどんな部屋よりも狭いその場所にあったのは、少年を凍死から救った汚い布団といくばくかの保存食だった。エイラはまたも持ち主に伝わらぬ謝罪をすると、その食料を少しだけ勝手に分けてもらう。エイラならば多少食べなくてもどうにかなったが、「外に()すもんがなければ中から燃せばいい」というではないか。これは下町の少年の知識ではなく――母アニーナの冬時の口癖だった。

(母さん)

(元気かなあ)

(……まあ、元気なことは、間違いないだろうな)

 魔術師になったこともアーレイドを出ることも、アニーナに伝えるのは相当の苦労した。どこから何を話せばいいのやら、見当がつかなかった。

 シュアラとファドックに会うことは魔術的に最終試験だったかもしれないが、実際としてはこちらの方が難関だったかもしれない。

 息子が城に行くようになったと知ったときはそれを笑って受け入れたアニーナも、魔術師(リート)という言葉にはこれ以上ないくらい顔をしかめて、胡散くさそうな顔をした。

 それは魔術師を疎むと言うよりは、とうとう息子の頭がおかしくなったのではないかと疑うかのようであり、エイルが簡単な術を使ってみせても――簡単なものでも、時間がかかった――息子が手品師(トラント)の小技でも覚えて自分をからかっているのだろうと考えたようだった。

 協会(ディル)の用事でアーレイドをしばらく離れなければならないと言ったときは呆然とし、しばらく黙ったあとで、「家出は黙ってやるもんだよ」などと言った。

「家出じゃないよ」

 少年は、母の顔がむっつりするのを見ながら言ったのだ。

「俺だって、この街に嫌気が差してとか、そんな理由だったら何も言わずに出ていくさ。でも俺は……帰ってくるよ。必ず」

「エイル、危ない仕事なんじゃないだろうね?」

 息子の口調に何を感じ取ったか、アニーナは厳しく言った。

「ん? ど、どうかな」

 エイルは口ごもった。危険はないとは言いきれないどころか、おそらくは危険だろう。

「まあ、街道を行けば、街なかよりは危ないだろうけど」

 そんなふうにごまかした。アニーナはじっと少年を見て、それからついと目を逸らした。

「行くならどこにでも行っといで。帰るなんて約束も要らないよ。あたしはお前の母親だけど、そういう約束は恋人にするんだね。いないんなら、旅先で作っといで。それでどこかに居付くなら、あたしとの約束なんてどうせ忘れちまうんだから、余計なことは言わない方が賢いってもんだね」

「何だよ、家出じゃないって言ってるだろ。仕事なんだから、アーレイドに戻ってくるまでが仕事のうちさ。いい()ができたら一緒に連れてくるよ」

 軽口を叩いて分かれの挨拶を済ませたが、もちろん「エイラ」としての旅路で恋人など見つかるはずもない。

 このとき、母があっさりと彼を追い出すようなことを言ったのは、怒ったり泣いたりしたくなかったのだろう――などとは少年は気づかないものの、彼女が本当に息子に出ていけと言っているとは思わなかった。

 うまくすれば、一年せずに戻ってこられる。

 〈変異〉の年のうちに、全てが終われば。

 そうすれば「エイル」には日常が帰ってくる。

 ――本当に、そうだろうか?

 そのことを考えるのはやめていた。

 ただのエイルであった日にはもう戻れないかもしれないなどと、あまり考えたくなかったから。

 ざくざく、と雪を踏みしめる。

 幸いにして好天だが、吐く息は白い。

 凍える手足に息を吐きかけながら道を行けば、彼女を呼んでいるものの姿が見えるような気がした。

 それは宮殿なのか、鍵なのか、翡翠なのか。

 それは聖なる導きなのか、邪なる(いざな)いなのか。

(我ハココダ)

 静かな雪原のなかでは、脳裏に蘇る声すら雷のような大音響に思えた。

 エイラは、自身の記憶のうちにあるその声が一体どこから出たものかと探すように足をとめ、ゆるりと周辺を見回した。

 白い世界。

 静寂に満ちた。

 何とも、穏やかな。

 それはまるで、嵐の前の静けさであるかのように。

 娘がそのように感じた訳ではなかった。

 いくら、それが見事なまでに当てはまる表現であったとしても。

 キイン――と耳鳴りがした。

「なっ」

 そのようなものを経験したことがなかった彼女は、泡を食って周囲を見回した。

「何っ、これっ、何だっ」

(ここだ!)

 突如、何の前触れもなくその声は何もない雪原に、いや、彼女の頭のなかに響き渡ったのだ。

(――エイル(・・・)!)

 ばっと意識が一点に集中した。

 どこだと言うのか? 判らなかった。

 だが、問い返すことはしなかった。どこだと言うことはできなかった。

 しかし脳裏に閃くその一点は、刃が心臓を貫くかのように強く鋭く、疑いようもないものだった。

 旅人を見ていた雪狐でもいれば、首をひねっただろうか。それとも動物にそのような知能はないだろうか。

 雪道を歩いていた女の姿は、その次の瞬間、何の前触れもなくかき消えていた。


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