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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第3話 白銀の宮殿 第3章

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06 南方の入り口

「それで、俺は……〈鍵〉は何をする」

 言いながら自身を嘲笑った。自分がこの奇妙な伝承のなかの一部であると、認めたような物言いだったからだ。内心では認めているような気もしていたが、口に出せば馬鹿げた感じがあった。

「リ・ガンの力を方向付け、リ・ガンを支える」

 クラーナは、ついと視線を逸らして言った。

「詳しくは知らないよ。僕は〈鍵〉じゃないもの。その道は君が見つけるんだ」

 その道。

 〈運命〉が導くのだろうと漠然と考えている彼の道はどこへ続くのか。

 この年の間に全てが終わると感じたその思いはいまも変わらない。だが、不安もあった。本当に〈変異〉の年が終わった頃、彼は彼の街に、砂漠に、戻れるのだろうか。

「シーヴ」

「何だ」

 物思いに沈みかけた青年をクラーナの声が呼び戻す。

「何が見えるの、君には――〈鍵〉には」

 その問いは好奇心から発せられるもののようだったが、声にどこか頼りないものを感じ取ったシーヴはしげしげとクラーナを眺めた。

「……何」

「いや、お前が知らないこともあるのかと思って」

「〈鍵〉についてはほとんど知らないんだ」

 微かに笑ってクラーナは「知らない」ことを認める。

「何を見るったってな。エイラに会ったあとから、こっちの方に……そうだな、引っ張られるみたいな感じがするのさ」

 シーヴ自身、何と表現したらいいのか判らずにおり、それは自分のなかでしばらく考えた末での表現だった。

「この先にエイラがいるのかは判らない。翡翠の宮殿とやらがあるのかも。お前は知ってるんだろう、クラーナ」

 青年の問いに吟遊詩人は肩をすくめる。それは応とも否とも取れるのだった。

 吟遊詩人は〈翡翠の宮殿(ヴィエル・エクス)〉の場所を知っていると言ったが、それが本当であるかは判らない。彼に嘘はつかぬと言う誓いも、詩人が「魔物」であるのなら信じられるはずもない。彼の敵がいれば警告をするという言葉も。

 旅をはじめてから、クラーナの言う〈魔術都市〉の気配を感じたことはなかった。一度だけ、動物の彫り物をした不気味な小集団を見たという話は聞いたが、それは酒場の酔っぱらいの話に過ぎなかったから、その男が本当にそれを見たのか、それこそ噂話の伝聞の伝聞くらいであるのかも判らない。

 シーヴがクラーナを信じる理由は、ミロンの長の言葉以外には何もない。

 いや、信じているかと問われれば首を横に振るだろう。

 ただ、青年の心は南方に向き、吟遊詩人はそれを認めずとも否定しないだけ。クラーナは「間違っていれば教える」という何ともいい加減な案内人であったが、少なくとも彼の確信に否と言うことだけはなかった。

 エイラと分かれたあの日以来、ずっとシーヴを「引っ張って」いる力は彼の心を南方に向けていた。それは確かだ。

 そうなれば、もちろん「寒いから嫌だ」というようなことは言わず、南下すればするほど酷くなっていく冷気に呪いの言葉ひとつ吐かず、ひたすらに歩を進めるのだ。はっきりとは何も示さぬ、道標とともに。

「冷えるな」

 シーヴは両手を重ね合わせた。

 砂漠育ちの身体は寒さに弱い。慣れていない上に寒さを遮断する脂肪もろくについていないシーヴが、南方の住民はもとより指先を大事にする弦楽器(フラット)弾きのクラーナよりも先に手袋を必要としても仕方がないと言うところだろう。

「凍えそうだ」

 暑さならばいくらでも――倒れる寸前まで戦えるが、こちらはきつかった。

「しっかりしろよ、人間はそれくらいじゃ死なないもんなんだから」

 白い息を吐きながら笑う詩人を苦々しく見る。

「お前にそんなことを言われたくないね」

「どうして。ああ、人ならぬ僕が人がましいことを言えば可笑しいっていうのか」

 クラーナは笑い、シーヴはそれにはかまわずに歩き続けた。分厚い長靴の底を通して雪の冷たさが伝わってくる。下手に歩みをとめれば、その場で凍りついてしまいそうだ。

「お前は平気なのか」

「まあ、寒くないとは言わないけれど、長いことうろついてるせいかな、たいていの気候には順応できるようになったさ」

 こともなげに詩人は言った。

「さ、あとひと頑張りだよ、砂漠の王子様」

 クラーナはこの「砂漠の王子」と言う呼称がいたく気に入ったようで、何度シーヴがやめろと言っても聞かなかった。シーヴの姿を見れば東国か北方、とにかく雪から遠い場所の出身であることは明らかだから、そのように呼ばれるのをほかの人間に聞かれても別段、奇妙には思われない。まさか本当に王子殿下がそうして歩いているなんて誰も思うはずはないのだから。

 もともと身分をことさらに秘密にするつもりはなく、面倒だからシーヴでいるだけだ。その方が都合がよいと思えばリャカラーダを名乗るだろう。しかし、クラーナが彼をからかう意味で王子と呼ぶのは間違いない。だから、気に入らないのだ。

 中心部(クェンナル)をひと月ほどほぼ縦断するように下っていった彼らは、バイアーサラと呼ばれる街にたどり着いた。

 実を言えばここはまた南方の入り口程度であるのだが、氷の湖の異名を取るリダエから吹き込む風が同緯度の街町より厳しい寒さを作り出していた。雪の気配はなかったが、晴れ渡る真冬の空気は静かな雪の日よりもきんとして冷たい。だがシーヴの浅黒い肌は冷気のために火照っても目立つことはなく、一見したところでは、鼻の頭まで赤くしているクラーナの方が寒さに負けているように見えた。

「これくらい冷え込んでくると、弦が切れないか注意してやらないといけないな」

 詩人は言う。

弦楽器(フラット)管楽器(カラガル)に比べたら温度の影響を受けづらいけど、もっと穏やかな地方で作られた楽器だからね。この子(・・・)は何も言わないで耐えてるけど、本当は君よりずっと痛い思いをしてるはずだよ」

 クラーナは自身の楽器の箱を軽く叩いてそんなふうに言う。シーヴは何も言わない代わりに、ただじろりと睨むような視線を送った。

 確かに彼は寒いとこそ言ったが、つらいだの早く暖まりたいだのと泣き言を言ったことはない。吟遊詩人はその無言の抗議に気づいて謝罪の仕草をしたが、本気ですまなく思っているようにはとても見えなかった。

「さっさと宿を見つけよう」

 シーヴはそう言うと先に立って――いつも先に歩くのは彼だが、これはクラーナには「案内ができない」からだ――適当な店に入った。

 〈聖なる槍〉亭はあまり繁盛しているとは言い難かったが、冷たい風から逃れ、温かい料理が食えるというだけでシーヴは満足であり、歌を求められてクラーナも久しぶりに満足したようだった。と言うのも、この詩人の道連れは、彼が侘びしい旅路の慰めにと弦をつま弾いても、何か裏があるのではないかとばかりに疑わしい目で見やって、素直に感心してやらなかったからである。

 しかしクラーナの腕前は吟遊詩人として一流、一級品であると言ってよい。シーヴもそれは認めざるを得なかった。

 彼の評判を高めるお得意の「神秘的な」もの――シーヴはその評判については知らなかったが――はもちろん、人口に膾炙した大衆向けの、言うなれば「品のない」歌であっても、クラーナが歌えば人はそれに聴き惚れ、或いは一緒に歌い踊りたくなり、どちらの形であっても店は盛りあがった。

 この寒い季節、湿りがちになる街の住民たちにもそれは同じ作用を施し、もしクラーナが一旬もとどまれば〈聖なる槍〉亭は大繁盛となっただろう。

「大したもんだな」

 これに関してだけはシーヴもクラーナを褒めたが、手放しとはいかなかった。

「何か、魔術でも使ってるんじゃないか」

 そんな冗談――もちろん、冗談だ――を口にすると、クラーナは笑った。

「僕が魔術師(リート)に見える? そりゃまた、ずいぶん鋭い眼光をお持ちだね」

 見破られたことなんかないのにさ、と続く言葉にシーヴも笑うが、ふと、気になった。この台詞は冗談の続きなのか、それとも――?

「お見事だね、吟遊詩人さん(セル・フィエテ)

 だがシーヴのぼんやりとした疑問は続かなかった。宿の主人がクラーナに礼を言いにきたからだ。

「温かいモアルはどうだい?」

「モアルだって?」

山羊(メクー)の乳にオルルの実のジャムを落とした飲み物さ。暖まるし、のどにもいい」

「いいね、いただくよ」

「あんたは、どっからきたんだい?」

 シーヴは主に目をやった。どうやら、話しかけられたのは彼である。

「東だ。砂漠の方から」

「へえっ、この辺りじゃ見ない肌の色だと思ったが、砂漠とはね! 大砂漠(ロン・ディバルン)てのは本当にあるのかい!」

 〈東国〉と呼ばれる地域をある程度以上離れると、こういう反応は珍しくない。シーヴは笑ってうなずいた。

「暑いところさ。ご主人(セラス)が砂漠に驚くみたいに、俺は寒さに驚いてるってとこだ」

「そうかそうか、それじゃああんたにはモアルにキイリア酒をたっぷり足してやろう。もっと温まるからな」

 そう言う主人に礼の仕草をして、シーヴは「砂漠の話」をいくつか心の中で用意した。この手の親切のあとは「異郷の話をしてくれ」と続くことがほとんどで、何度もその希望に答えるうち、彼は「奇妙な東国と神秘的な砂漠」についての物語師(トラント)になれるのではないかと思うくらい、上手な話し手になっていた。

 その「物語」には必ずしも真実ばかりが含まれてはいなかったが、不思議な話を聞きたがる相手に「東も西も実は大して変わらない」などと言っては気の毒というものだ。

 案の定この酒場でも彼は同じように要求され、彼は同じように「興味深い」話を語って聞かせる。実際に東方を旅したクラーナがシーヴの脚色をどう思ったとしても、詩人が面白がっていたことだけは明らかであった。あとで「君だって、大したもんだよ」などと言ったくらいだ。

 東の不思議な話を聞こうと、シーヴの周囲には自然と客たちが集まっていた。ひと通り「定番」を語り終えた青年は、投げかけられる質問にやはり適当な、そこそこ真実味のある答えを投げ返し、この遊戯にはクラーナも加わったものだから、シーヴは期せずして、彼の知らぬ――正確には、考えつかぬ――東方の神秘に出会うことができた。


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