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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第3話 白銀の宮殿 第3章

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05 穢れ

 クラーナと名乗る吟遊詩人(フィエテ)は、旅の連れとしては理想的な存在だった。

 大陸を巡ってきて体験した、或いは聞きかじった話や詩を面白おかしく語り、歌い、だがこちらが静かにしてほしいと思うときはそれをすぐに感じ取ってじっと黙っている。町に行けばその技で自身の食い扶持は稼ぐし、宿の部屋と代金は共有したが、どちらかが一晩戻らなかったところで、余計な詮索や言い訳はせず――多少のからかいや話題の種にはなったが――食事も時間が合えばともにするが、互いに待つようなことはなく、要するに、つかず離れず、という状態を上手に保ったのだ。

 これは、ふたりきりのような長旅には重要なことだった。どんなに気心の知れた相手であっても、常に同じ相手が隣にいると言うのは、苛々のもとになるものだ。

 シーヴのこれまでの旅路はウーレたちとのものであったから、初めのうちは気にならなかった相棒の言動や仕草にまで腹が立ってくる、というような状況には幸いにして陥ったことがなく、ランドとの道行きは波乱に満ちていたし短かったから、そのような暇もなかった。

 しかしクラーナは「こんなこと」でもなければシーヴが共に歩くような相手ではない。彼の相方になるとしたら、それはやはりランドやソーレインのような戦士か、ミンのような女か、と言ったところだったはずだ。吟遊詩人と旅をするなど、あまり考えたことはない。

 人々は魔術師に対して「忌まわしい」だの「近寄りたくない」だのと偏見を持つが、偏見の多さに関しては吟遊詩人に対しても似たようなものだ。

 「ひとつところに居つかぬ流れ者」という憧れと蔑みの入り混じったものから「(ラル)のために身体を売るような真似もする」と、これは明らかに侮蔑の対象とされることもある。クラーナ程度に顔立ちのよい――優男、と言えるような――詩人と旅をしていればシーヴ自身がクジナの男と思われることもあるだろうが、どう思われたところで別に彼はかまわなかった。

 ミエットからは南西へと下っていった。まっすぐ南下してシャムレイを通ることを避けたのは、見つかれば面倒だからということのほかに「帰りたくなるから」という理由があった。

 父王が聞けば目を丸くでもするだろうか。だが本当だ。彼はシャムレイを嫌ったことはない。街を離れて旅をするのは予言の娘を探すためで、シャムレイから逃げるためではなかったのだから。

 彼は砂漠を離れても、いつでもその風を求め、愛していたのだから。

 採った道は経路としては決して回り道でもなければ、危険な道でもなかった。彼らは主に隊商(トラティア)に便乗し――シーヴひとりよりも、吟遊詩人がいるというだけで、隊商主(トラティアル)の機嫌がよくなることが多かったのは事実だ――南へと下っていた。

「冷えてきたね」

「雪になるな」

 フラスの街からはちょうどよい隊商に行き合えず、彼らはふたりだけで馬を駆りながら街道を南へたどっていた。雪天の予測は半ば口から出任せだったが、クラーナが何も言わないところを見ると大幅に間違ってはいないのだろう、などとシーヴは皮肉混じりに思う。

「砂漠の王子様は、雪なんて珍しいんじゃないの」

「そりゃあシャムレイにゃ降らんがな、旅の間に何度か経験はした」

 王子はやめろ、と言ってからシーヴは思い出してにやりとした。

「正直なところ、最初はかなりびびったがな、南へ行けばそう言うものだと知ってはいた。取り乱したのは連れの連中さ」

 砂漠の民が「寒さ」というものに驚き、空からひらひら舞い降りる冷たいものに触れたときの驚愕と言ったらなかった。だがそこはシーヴのような男をミ=サスとしてついてきた者たちであったから、怖れをなしたり神に加護を祈ったりするようなこともなく、すぐに慣れてはしゃぎまわったものだが。

 しかしシーヴ自身、寒いところは苦手であったので、実を言えば南方へ行ったのは一度きりだ。そのときに彼が見つけた「翡翠の女神」は、朝日を受けて神秘的な緑色に輝く凍れる泉だった。

「そんなにビナレスを巡ったのに、どうしてこの〈変異〉の年の半ば近くまで、君は〈翡翠の娘〉に出会えなかったのだと思う?」

「そういう運命だったから、だろうよ」

 少し投げやりな調子でシーヴは言った。

「これも、話しておいた方がいいね」

 どこか遠くを見るような目つきをしながら、クラーナは言った。シーヴは興味をそそられる。

 この吟遊詩人に感じた不審は旅を続けるうちに減っていたが、クラーナがろくに「いろいろ知っていること」を話さないことは変わりなかった。シーヴが問い質してようやく少し曖昧に語ることはあっても、自ら話し出すことなどなかったのだ。

「歯車が狂っている、という言葉を君は何度か聞いたと思う」

「――さすが、いろいろ知ってるな」

 初めの頃には痛烈な皮肉を伴って発されたこの言い方だが、いまでは使い古された冗談のようになっていた。

「六十年前の〈変異〉の年。その年になるまでにはもうリ・ガンと〈鍵〉は出会っていて、きたるべき〈時〉に向けて準備は着々と進んでいた」

「ほう?」

 話そのものにも興味が湧いたが、本当に話す気でいるのか、という驚きもあった。

「ところが、リ・ガンが……しくじったんだ。翡翠を呼び起こす前に、〈鍵〉は死んでしまった」

「何が、あったと?」

「ちょっとした……事故だと思ってくれればいい」

 てっきり、リ・ガンを狙う者がどうの、という話になると思ったシーヴは少し拍子抜けしたが、黙って聞くことにした。

「だから『歯車が狂った』んだ。翡翠は目覚めるべきときに目覚めず、〈鍵〉を失ったリ・ガンはリ・ガンではなくなった。六十年で払われるべき穢れは百二十年の長きをたゆたい、邪なものを惹き付ける結果となる」

「邪なものときたか」

 シーヴは口をひん曲げた。

「それは、レンのことか?」

「それを含む、と言うところかな」

「嬉しかないね」

 シーヴは言った。彼の――彼らの「敵」とやらはいろいろいるかもしれない、と言われたも同然だ。

「お前は、翡翠が穢れを払うなんて言うが、曖昧だな。それは……お前が言うのは、魔術なのか?」

「判らないことは何でも魔術かい? 君は賢いし、教育も受けているのに、そんなところで迷信に」

 クラーナは笑いながら言った。

「いや、迷信に捕らわれている……と言うより、ものぐさなのかな? 判らないことを考えて解き明かす知力を持っているのに、面倒がって魔法のせいにしてしまう」

「褒めてるのか、けなしてるのかどっちだ」

 シーヴは唸って言った。気軽な会話は交わすようになったものの、それは必ずしも親しくなったとか、信頼するようになったと言うこととは一致しない。クラーナとは五つも違わないだろうに、まるで彼の第一侍従が説教しそうなことを言われれば、あまり嬉しくなかった。

「穢れを払うというのは、領域としては魔術に近いかもしれない。でも誰にでも関わることだよ。そうだね……〈移し替えても酒の量は変わらぬ〉と言うだろう?」

「それが、何だ?」

 突然飛んだ――ように聞こえる――言葉にシーヴは面食らう。

 右の器になみなみと入っていたライファム酒を左の器に半分移しても、酒の総量は変わらない。富めるものが財を失っても、貧しいものが成功しても、金は右から左へと行くだけで総量は同じ、つまり、物事は流転しているようでも大局から見れば何も変わらないのだ、と言うような意味合いで使われる言葉だ。

幸運(・・)の総量について、同じように考えてみたことはない? 膨れた財布を拾えば、誰だって運がいいと思うだろう? でも落とした人間にしてみれば大きな不運だ。そんなふうに、幸運の影には必ずそれで泣く者がいる。逆もまた然り」

「それが?」

「穢れが均等に振りまかれれば、それは『みんなが少しだけ不幸になる』くらいで済む。落とし物の話にするなら、ひとりが大量のルイエ金貨を落とすんじゃなくて、みんながスー銭貨を落とすことになる」

「それで?」

 話は判るが、ぴんとこない。

「穢れを操るということは、好きに不幸を操れるということに似ているんだ。まあ、呪術に近いのかもしれないけれど、呪いが本人に還る危険性をはらむのとは違って、そうしたことは起きないだろうね」

「少し判った」

 呪術についても知っている訳ではないが、話としては判りやすい。

「何も、誰かを恨んで不幸な目に遭わせるために穢れを操ろうとする者がいるとは言ってない。ただ、何と言うのかな、穢れは強い魔力にも似ていて……利用方法はいろいろあるのかもね」

「また判らなくなったが」

 「魔力の利用方法」など、非魔術師には見当もつかない。

「平たく言えば、『悪い魔法使い』に利用されると危ない」

「そりゃ平たい」

 判りやすくて助かるよ、とシーヴは言った。

「六十年――百二十年と言うべきかな。この間に目立った影がないのは、翡翠が『いくら何でもこの眠りは長すぎる』と思ったからさ。まあ、『思った』って言うのは擬人化しすぎだけどね。ぐっすり眠っているはずの翡翠は時折目覚め、言うなれば寝ぼけながら穢を解放していた。おかげで穢れは溜まりすぎることはなかったけれど、それは正しい目覚め方ではないし、歯車はますます狂っていくだけ」

 だから、リ・ガンの目覚めが遅いのかもしれない、とクラーナは言った。

「リ・ガンは、穢れを覚えて目覚めるのかもしれない……というのは僕の推測だけれど。これが合っていれば、今期のリ・ガンがなかなか翡翠を呼び起こしにいかないことも判るんだ。穢れが溜まらなければ翡翠から払う必要はないし、そうなると翡翠を起こすリ・ガンも必要ない。でもこれは悪循環だよ。汚れと同じさ。きれいにしてしまわなければ、どんどんこびりついていく」

「……ふん」

 シーヴは、魔術に縁のない頭でクラーナの言葉を考え、何となく判るような気はした。

「それで、狂い続けていく、か」

そう(アレイス)


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