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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第3話 白銀の宮殿 第3章

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02 砂風はあなたとともに

 少し広めの天幕は、シーヴにとっては数日前、実際には七日だか八日だか前と、もちろん何も変わるところはなかった。照りつける太陽(リィキア)のもとであるのに、ここに漂うのは何とも穏やかな空気。獣の皮で作った敷布の上に座るミロンの長が話し始めるのをシーヴはじっと待っていた。

「……〈巡る者〉が戻り、そして砂漠の子も戻ってきた」

 長はそんなふうに口火を切った。

「シーヴよ。あなたはわずか天月が半分欠けるだけの間に、ずいぶん遠くまで行き、帰ってきたのだな」

 それがシーヴの移動した距離そのものを表すのか、ほかの抽象的なものを表すのかは判らない。だがそれがどちらであってもその通りだ。シーヴはうなずいた。

「思いもしない場所にたどりつきましたが、そこで求めるものに出会いました」

「だが」

 長は何を見るのか、淡々と言った。

「すぐに失った」

「ええ」

 シーヴはそっと両の拳を握る。〈翡翠の娘〉。彼の前から、消えた。彼を怖れて。

「俺は、追います。俺の運命を」

「ならばあなたは追いつくだろう。ミロンはその旅路を祝福する」

「有難う――ございます」

 長の言葉に安心感を覚えた。〈砂漠の民〉の間で育った身には、長の祝福ほど力を与えてくれるものもない。

 だがそれだけではなかった。たとえ何の根拠もない励ましだとしても、自分のしていること、進む道に間違いはないと言ってもらえることは、有難い。

 シーヴは自らの道を進むことを躊躇いなどしなかったが、その道が曖昧模糊としていることは事実だ。

「道標を信じよ、シーヴ」

 そう言われた彼ははっとなって長と――黙って話を聞いていた隣の詩人を見た。

「長は彼を人外と言われた」

「いかにも」

「それでも、信じるべしと?」

 彼らはまるで、そこに〈テアル〉がいないかのように話した。

「魔物は人を惑わす。しかし、惑わすことが目的でない場合もある」

「彼の、目的は?」

「彼に訊け」

 シーヴはクラーナを見た。詩人は肩をすくめる。

「僕は導くだけだよ。君の求めるものは向こうだと指す。それを信じるも信じないも君次第」

「〈テアル〉」

 長が呼びかけると、クラーナは礼をした。

「あなたは何のために彼を導くのか」

「彼自身のため。そして、私自身のため」

「それだけか」

「こう申し上げては失礼ですが、長」

 クラーナは言った。

「〈翡翠〉のため、過ぎ去りし日々のため、などと言ってもあなたにはただの戯言でしょう」

 だから言わぬのです、と詩人。

「あなたが僕を魔物だと表すのはもっともだ。確かに僕は人の理から外れて生きている。いや、正確に言えば生きて(・・・)などいないかもしれない。けれど信じてください。僕は彼ら(・・)を闇に導くつもりはありませんよ」

「そのように、あるとよい」

 長はうなずいた。

あなた(・・・)にも、導きがあるように。クラーナ」

 虚をつかれたように、クラーナは黙った。

「砂漠の神は偉大ですね。そんなことまで見えるんだ」

 少しの沈黙の後に、そう声を出す。

「僕に彼を害する気などないと判ってもらえれば充分だったけれど、望んだ以上のことを見てもらったみたいだ。礼を言います、長」

 シーヴはじっとそのやりとりを聞いていた。

 何の話をしているのかは判らない。彼に直接は、関わりのないことだ。だが、彼に関わる者たちが関係することであるという気持ちが浮かび、彼らの言葉に注意を向けさせていた。

「行く先は決まっているのか」

 今度の言葉はシーヴにかけられていた。青年はうなずく。

「俺は砂漠を出ます、長」

 そうとだけ、言った。

「砂漠の子よ」

 長は言う。

「それでも、砂風はあなたとともにあるだろう」


 ざわついた空気に、少しだけ目がくらむようだった。

 ミエットの町はいつもと変わらぬ日常を送っており、それは彼にも親しいもののはずだ。これまでは、ウーレの集落からシャムレイへ戻っても、砂漠と街の差が彼を動じさせることなどなかった。

 だが、この日はどうやら、違ったようだ。

「気にすることないよ」

 そんな言葉を投げかけられて後ろを振り返った。ミロンの集落を離れ、砂漠の民との交易を求める商人(トラオン)の舟に便乗して大河の西へと戻ってきた彼の傍らで、吟遊詩人クラーナはまるで連れのような顔をしていた。

「運命の転換点を迎えてきたんだもの。これまで見ていた世界が違うように見えたって不思議じゃない」

「ずいぶん、ご存じなんだな」

 じろり、とシーヴはクラーナを見る。吟遊詩人はうなずいた。

「そうだよ、いろいろ知ってるって言ったろう」

「だが俺には話せない、制約がある、と。ご立派だな」

 青年はそう言うと周囲を見回し、覚えのある大通りを見つける。この先に、彼の(ケルク)を預けた宿屋があったはずだ。シーヴが帰ってきたことを宿の主は残念がるだろうか。

「それじゃここでお別れだ、吟遊詩人殿(セル・フィエテ)。お前さんはまたどっかで道標でも名乗るといい。俺はもう、曖昧な言葉には飽き飽きなんでね」

「ちょっと待ってくれよ、つれないな」

 クラーナは少し慌てたように言った。

「せっかちだなあ、僕と一緒に行こうって気持ちはないの?」

「ないね」

 きっぱりあっさりと、シーヴ。

「道標なんてもんはもう要らないんだ。俺には行く先が判る」

 そう言う彼を図るかのようにクラーナはじっと見た。はったりだと思っているのだろうか?

 判らない。彼自身、それが口から出任せでないと言えるだろうか。彼は自分が見ているもの、感じているものが何なのか、本当を言えば掴みかねているのだ。

「どこに行くって言うのさ」

「言わなくたって知ってるんだろう」

 いろいろご存じなんだからな、とつけ加える。

 こんなにはっきり断られたことにクラーナは少しまごついたようだが、そうでも言わないとのらりくらりとついてくるような気がしたのだ。

 この男の正体、何を知っているのか、そうしたことは気になる。だが隣に張り付かれたまま、何か起きたときに、「ほらやっぱり、思った通りだ」などと言われると思えば(しゃく)である。


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