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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第3話 白銀の宮殿 第3章

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01 〈巡る者〉

 ゆっくりと目を開けると、まだ視界がぼんやりとしていた。

 これまたゆっくりと身を起こそうとすると、予想通りにくらりときた。目を固く閉じ、その目眩(めまい)と戦って少しずつ少しずつ起き上がる。

 ここの空気はよく知っているような気がした。

 だが、ここはどこだ?

「ああ、今度こそ目覚めたね。おはよう」

「……誰だ」

「酷いな」

 現れた若者は傷ついたような顔をした。

「昨夜、話してあげたじゃないか。聞いてなかったの?」

「昨夜……?」

「仕方ないなあ、忘れちゃったのか。ここはミロンの集落。で、僕はクラーナ。思い出した?」

 言われて、シーヴは頭を振った。と、目眩が帰ってくる。

 目眩に堪えるうちに、記憶がぼんやりと蘇ってきた。〈塔〉に、これまで彼がかけらも体験したことのない力をかぶせられて、目を回したのだ。

 だがこの男のことは覚えていなかった。

「まあ、それも無理はないかな。かなりぼうっとしていたもの」

 自分を見ながら首をひねるシーヴに、クラーナと名乗った若者は笑った。

「もうすぐに元通りになるよ。はい」

 差し出された陶土の器を反射的に受け取り、だがシーヴは胡乱そうにクラーナを見た。

「何。僕が信じられないのかい? 別にそれは仕方ないし、かまわないけど、その器に入ってるのはミロンの薬湯だよ。君には覚えがある香りなんじゃないかな。僕はあまり、得意じゃないけどね」

 言われて器の中身を覗き込めば、世辞にもいい香りとは言えぬものを放ちながら、強くとろみのついた茶色い液体がゆらめいている。成程、砂漠の民が虫や〈地這い〉を潰したり煎じたりして作る、体力増強の薬湯だと判った。

 子供の頃、ウーレの集落で熱を出したときにこれに近い物を飲まされたことがあるし、砂漠の民といればそれらの原料を食物とすることも普通だ。好みだとは言わないが、抵抗はない。シーヴは一気にそれを飲み干すと、砂の神に感謝の祈りの仕草をする。

「お見事」

 クラーナはおどけたように言う。

「それじゃ、長に会いに行くかい、シーヴ?」

「……俺はお前に、名乗ったか?」

「何言ってるのさ」

 クラーナは肩をすくめる。

「僕が君の名を知らなくたって、ここに三(トーア)もいれば聞かされる。〈砂漠の子〉シーヴが砂漠の神の御手によってミロンのもとへ帰ってきたってね」

「神にしちゃ、ずいぶんお喋りだったけどな」

 ふと、〈塔〉をそんなふうに評した。クラーナはその呟きをどう思ったか、それには触れずに続けた。

「〈テアル〉の導きだなんて言うものもいるようだよ。困ったね。そりゃあそうなるといいなとは思ったけれど、僕にはそんな力はないのに」

 クラーナの言った意味がシーヴの頭にたどり着くまで、少々の時間を要した。

「何だと?」

「ん?」

「お前が、〈巡るテアル〉? 俺の道標だと言った……吟遊詩人(フィエテ)なのか?」

「違うよ」

 クラーナは肩をすくめる。

「僕は、君の道標だなんて言わなかったよ。ただ、翡翠(ヴィエル)への道標だと言」

 吟遊詩人はそこで言葉をとめる。横になっていたはずの〈砂漠の子〉が獲物に飛び掛る猫のように一(リア)で飛び起き、クラーナの胸元を掴んだからだ。

「お前は何者だ」

「クラーナ。テアル。どちらでもいいよ。名前ならほかにもあるし、どれもみんな僕自身のことだからね」

 この狼藉に顔をしかめながら、クラーナ、それともテアルは言った。

「お前は」

 シーヴははっと思い出したが、その腕を放そうとしないままで言った。

「人ではない、のか」

 言うとクラーナはふっと笑った。

「長が言ったの? 僕が魔物だとでも? まあ、完全に否定はできないけど……それにしても勇敢だね、君って人は。化け物と言われてる相手にそんな態度を取って、僕を掴んでいる腕がしなびて腐り落ちていくというような心配はしないの?」

 まるで脅し文句か、或いは呪い文句のようなその言葉にシーヴは思わずびくりとしたが、そのままきっと吟遊詩人――の姿をした存在――を睨み据える。

「やれるもんならやってみろ」

「挑戦的だね。そういう態度は嫌いじゃないけど、でも褒められないな。それどころか、もっと気をつけてほしいと思うよ。君が、どこかの魔術師(リート)にでも喧嘩を売って、それであっさり殺されるのなんか、見たくないんだから」

「……何を言っている」

「だから」

 クラーナは言うと、ようやくゆっくりとシーヴの手を押しのけようとした。シーヴは少し躊躇ったのち、手の力を緩める。

「そうだね。聞いておこうかな。君が僕に関して持っている情報は? 翡翠への道標。人ではない。それから?」

「スラッセンへ行ったと」

「ああ、そうだ、忘れてた」

 吟遊詩人は両手をぽんと合わせる。

「君のご友人は元気だよ。安心するよう、伝え」

 シーヴは放したばかりの手を再び伸ばし、吟遊詩人の胸ぐらを掴むことになった。

「お前は俺をからかってるのか?」

「放してくれってば。からかうつもりなんかないよ。僕がいろいろ知っていることをどうして責められなきゃならない?――東国の王子殿下」

「……こいつ」

 リャカラーダであることを秘密にするつもりは毛頭もないが、知っているのだぞとばかりに言われれば腹も立つ。こちらは相手の事を何も知らないのだ。

「からかってるんでなければ、馬鹿にしてるか喧嘩を売ってるか、それとも俺に痛い目に遭わされたいのか、どれかだな」

 シーヴは一度だけ詩人の衿もとをぎゅっときつく締め、すぐに放した。

「どれも違うよ。どうやらすっかり元気になったみたいだね。長に挨拶に行くかい、それともこうして僕を睨みつけてる?」

 乱された服を直しながらクラーナは言い、シーヴは口を歪めた。本当を言えば急に動いたこともあって足元はふらつくが、この正体不明の男の前でそれを見せる気はない。

「お前に聞きたいことは山ほどあるようだ」

「そう焦らないで。言えることは順番に言うから。言えないことも、いろいろあるけれど」

「ふざけるなよ」

「僕は至極、真面目だとも。勿体(もったい)をつけてるんでもない。僕が人ではないと聞いたんだろう。人間にはない力を持つ代わりに、制約もたくさんあるんだ」

「制約か、そいつは便利だな。都合が悪くなれば『それは言えない』とそうくる訳だ」

「そう。それだけのことだよ。告げなければならないことを告げられない苦しみなんて、君には判らないだろうね」

 そんなことを言うとクラーナはまっすぐにシーヴを見た。

「たとえば、予見の力でも持つ者がいたとして、彼の大切な人が死ぬのを知っているのに――そうだね、たとえばその路地を曲がればその人の懐を狙う盗賊(ガーラ)に刺されて命を失うと判っているのに、何も告げることができないとしたら? それはとてつもない苦痛だと思わない? いったい神はどんな罪への罰として、そんな残酷な力と禁止を彼に与えたのか?」

「それはたとえ話か?」

 シーヴは言った。

「それとも、お前自身のことか」

「さあ」

 クラーナは肩をすくめた。

「想像に任せるよ」

「大した制約だな」

「思ったより皮肉屋だね、シーヴ殿(セル・シーヴ)

 その言葉はまるでこの吟遊詩人がシーヴに会うまで彼のことをいろいろ想像していたと言うようにも採れたが、シーヴはそれは問わなかった。ミロンに聞いたんだ、とでも答えられれば不自然な回答でもない。

 吟遊詩人の想像の翼ほど早く遠くへ広がるものもないのだ。一晩あれば、いくらでも彼に対して「想像」できることだろう。

「僕はいろいろ知っているけれど全てを知ってる訳じゃないし、君に敢えて言わないこともあれば、言いたくても言えないこともある。たぶん君は、こんな僕を信用なんてしてくれないだろう。でもひとつだけ」

 クラーナはその緑がかった瞳でしっかりと青年の視線を捕まえた。

「僕は決して、君に嘘は言わないよ」

 自分は嘘つきだと言う人間もそういないだろう。シーヴはじっくりとその視線に真っ向から立ち向かった。

「お前はいったい」

「シーヴ。目を覚ましたか」

 ぱっと陽光が入ってきた。ふたりは眩しそうにそちらに目をやる。

「ソーレイン」

 数日振り――たかだか、数日なのだ!――の友に挨拶の仕草をし、シーヴはクラーナの傍を一歩離れた。

「おかしな魔法にかけられて、もう目覚めないのではないかと心配をした」

「俺は、どうしていた?」

「覚えていないのか?」

 ミロンの民は眉をひそめた。

「まだ明るい時刻だと言うのに、東から星が流れるような光が飛んできた。不吉だと言う者もいたが、テアルが見にいくべきだと言った。そして、私とテアルでお前を見つけた」

「……そうか。礼を言う、ソーレイン」

 シーヴが頭を下げると、ミロンの若者は首を横に振った。

「お前は砂漠の子だからミロンがお前を救うのは当たり前だ」

「それではお前に礼を言っておかなくちゃならんな、〈テアル〉」

「クラーナでいいよ」

 シーヴの気遣いだか皮肉だかをしかし吟遊詩人は一蹴する。

「ミロンたちはその名を気に入ってそう呼んでくれる。僕も気に入ったから受け入れる。でも君にはクラーナの名で呼んでほしい。それに、僕も礼は要らない。言ったろう、僕は道標だ。見てくれる人がいなかったら、存在意義がないのさ」

 クラーナはそう言い、シーヴはふと疑問を覚えた。

 確か、旅の吟遊詩人は名乗らなかったとミロンは言ったのだ。だから、彼に名を付けたと。そして名乗らなかった理由は――。

(ここに名を残せば狂いが生じるから)

 だがクラーナはいまではそう名乗る。あのときといまと、何が違っている?

「もうそうして起き上がれるなら、シーヴ、長のところへ行け。私たちがお前を連れてきた日から、ずっと待っている」

 ソーレインの言葉がシーヴの思考を引き戻した。

「ああ、そうしよう」

 うなずいて足を出しかけ、ソーレインの言葉に違和感を覚えた。

「……俺が連れてこられたのは昨晩じゃないのか?」

「それなら、私もそう心配はしない」

 砂漠の民は言った。

「お前は三日と一夜、目を覚まさなかったのだ、友よ」

 それなら、足に力が入らないのは何も〈塔〉の魔法に参ったせいだけじゃないな、などと青年は考えた。


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