後編
もふみの手綱を引いて先行するミーナが足を止め、小さな声で後続のデュロイに話しかける。
「この辺りよ。探してくるわ。ここで待ってて」
手綱をデュロイに渡して荷物を地面に置き、辺りを探りながら森のさらに奥へと歩を進める。
日は傾き、静寂に包まれた森はさらに薄暗さを増す。
「居たわ。この先の開けた場所に潜んでる」
木陰から現れたミーナが後方を指差して言う。
「恐ろしく禍々しい気配だわね。寝ているようだけど、警戒は解いてない。近づいただけで気づかれると思うわ」
「ああ」
「もう一度言うわよ。今回は諦めて引き返しなさい」
「倒してくる。待っていろ」
冷たい口調で言うミーナに気を留めること無く、デュロイは装備を再確認し、ミーナの指差した方を見つめる。
「はぁ、もういいわ。いってらっしゃい。無理しちゃダメよ」
諦めたように言うと、両手でデュロイの右手を包み込むように手綱を受け取り、瞳を見つめる。
「生きて帰って来なさい」
ミーナの言葉に、デュロイは無言のまま振り返ること無く森の奥へと進んでいった。
◇◇◇◇◇◇
デュロイは深呼吸を済ませ精神を統一すると、森ノ木の影から真っ黒い塊に向かい、一直線に駆け、腰に差した片手剣を抜く。鋭い刃が閃き風切り音を上げる。
「ぐおおぉぉぉおお!」
瞬間、長身のデュロイの倍近い体躯、ナイフのような爪を持つ強靭な両腕、筋肉の鎧と漆黒の分厚い毛皮に覆われた巨大な人狼、ライカンギガントの黄金の瞳が輝き、空気を震わせる咆哮を上げてデュロイに突進する。
人狼が右腕を振りかざし、それを見切ったデュロイが身体を翻す。
振り下ろされた腕が空を切り、鈍い音と共に鋭い爪が地面に叩きつけられる。
それに合わせて鋭く振り下ろされる剣が人狼の爪を叩き折り、切り返す刃が毛皮を裂く。
遅れて繰り出される左腕を盾で受け止め、その反動を使い後方へ跳び、間髪いれず再度剣を振り上げ、付き出された左腕を切り払う。
「ぎいぃい!」
二本の指を切り飛ばされた人狼が低い唸り声を上げた。
人狼の金色の眼がデュロイの姿を写し、頬まで裂けた大きな口から鋭い牙を覗かせながら威嚇し、じりじりと後退って間合いをとる。
対峙するデュロイが盾を構え、身を屈めて人狼の懐に突入する。
振りかざされた右腕を盾で制しながら全身のバネを使い左腕へ向けて剣を振り上げ、その脇の下まで刃を走らせる。グラディウスの切先が肉を切り、血管を裂き、筋を断った。
「ぎぃゃあああぁぁあ!」
人狼は苦痛に絶叫し、大量の血が噴き出す左腕をだらりと垂らした。
木の陰から覗くミーナの視線の先にはデュロイとライカンギガント、茜に染まる斜陽の空に満月が青白く浮かび上がる。
「へー、彼、やっぱ強いわね。でも、あのバケモノも魔獣の癖にお利口さんじゃないの。このままじゃ間に合わないか。 ……色々想定外だわね」
注意深く隙を窺いながら鋭い連激を浴びせかけるデュロイに対し、人狼は打ち込まる剣を右腕の折れた爪で打ち払いながら後退して間合いを取る。
膠着状態が続くなか、陽が沈み始め黄金の月が輝きを増す。詰め寄るデュロイの剣からは徐々に鋭さが失われ、少しずつ連激の速度が落ちて行く。
「タイムアウト、かしら」
ミーナは地面に突き立てたハルバードを見つめて呟き、道具袋の中を探る。
連激を受け続ける人狼の瞳が満月を映し、黄金の光を灯し始める。
デュロイは人狼の右腕を強く打ち払って後方に跳び、片膝に屈み込むと、剣を強く握り直して肩に担ぎ、盾を構える。
一呼吸。
両足を踏み切り、跳び出す勢いを剣に乗せ、放たれた矢のような早さで人狼に一撃を放つ。夕陽を反射する刃が宙に弧を描き、するりと人狼の右肩をすり抜けた。
「ぐぉおおぉぉお!」
人狼の絶叫が森に木霊し、どすりと丸太のような右腕が地面に転がる。
刹那、デュロイが息を整え剣を構え直す僅かな隙を付き動きを止めたはずの人狼の左腕が振り上げらる。
デュロイは一瞬の判断で盾を構え、人狼の渾身の一撃を受け止める。
満月が輝きを増す中、先ほど切り飛ばされた人狼の指と爪はすでに再生し、盾にその鋭い爪が深々と食い込む。
人狼の巨体の重みと膂力で抑え込まれる圧力に耐えながら、デュロイは人狼の喉元に狙いを定め、剣を突き出す。
ギィン、と鋭い金属音。人狼は急所を狙う刃に怯むことなく刀身に食らいつき、大きく首を左右に振ってデュロイの手から片手剣を奪い取る。
「くっ!」
デュロイは咄嗟に武器を失った右手で楯の留め帯を外し、盾を捨てて後転し、間合いを取る。
主を失った盾が地面に叩きつけられ真っ二つに裂けた。
丸腰になったデュロイは人狼を睨みつけ、さらに後方に退がり、周囲に注意を巡らせる。
片手剣は人狼の足元に転がり、背後の木立に退避するには距離が離れすぎている。
捨て身の覚悟で息を飲み、人狼の左腕に注視し、剣を取り戻す手立てを思案する。
――パリーン!
突然の硝子の砕ける音が対峙する両者の注意をそらし、不意に小さな影がデュロイの脇をすり抜ける。
どすリ。
「ぐぅぅ……」
鈍い音と小さなうめき声がデュロイの注意を人狼に引き戻した。
ハルバードが人狼の腹に深々と突き刺さり、人影が人狼の頭上に跳び上がる。
デュロイの目に映るのは黄金に輝く満月と人狼の瞳、白銀に輝くダガーの刃、深紅の火を灯すミーナの瞳。
ミーナは身体を捻って人狼の頭上に着地すると体毛を鷲掴みにして体を支え、ダガーを大きく振りかざし、躊躇いなく人狼の右目に深々と突き立てる。
「ぎぃゃあああぁぁぁぁ!」
再びの絶叫。
人狼は激しく首を振り、頭にしがみ付くミーナの小さな体を鷲掴みにしようと左腕を伸ばす。
「させぬ!」
デュロイが人狼の腹に刺さったハルバードを乱暴に引き抜き、上半身を捻って最大限に振り被り、そして、ハルバードを薙ぎ払う遠心力に渾身の力を乗せる。
月光に煌めく刃が円を描き、人狼の胴を横一文字に振り抜く。
人狼の巨躯が胸の辺りで横にずれ、血が噴き出す。肺と心臓と脊椎を胸郭ごと両断された人狼は断末魔も無く絶命した。
ミーナは人狼の頭から飛び降りてデュロイに抱き着き、その勢いのまま押し倒す。
深紅に輝く瞳が組み敷かれたデュロイを映し、その背後でライカンギガントが光となって蒸発した。
◇◇◇◇◇◇
辺境の村の小さな宿、壁に手を着きミーナがよろよろと階段を降りてくる。
「気分はどうだ?」
「うぅ、死にそう……」
「しっかりしろ」
デュロイがよろめくミーナに手を貸して食堂の椅子に座らせると、ぐったりとテーブルに突っ伏す。
「はぁ、きつ…… 頭はガンガンするし、全身筋肉痛だし、最悪だわ」
「例の薬か」
「ええ、ルナ・エーテルの一気飲みなんてするもんじゃないわね。デュロイが信頼できる人だからできたんだけど。 ……助けてくれてありがとね」
だらりとテーブルに身を預けたまま頭だけ起こし、デュロイの顔を見て笑顔を見せる。
「助けられたのは私だ。礼を言う」
「あれから記憶が飛んじゃってるのよね」
「ライカンギガントを倒した後、気を失った君をモフパカに乗せてここまで運んできた」
「意識がない私に変な事してないでしょうねぇ」
暫しの沈黙。
「……私からは何もしていない」
「何よ、その間は。言い回しもなんか引っかかるし」
「気のせいだ。それよりも……」
傍らに置いた背嚢から袋を取り出し、テーブルに伏せるミーナの目の前に広げる。
「奴の牙と爪、それに魔晶。戦利品だ」
「あは。良い感じね」
金属のように鈍い光沢を放つ親指程の大きさの牙、血の沁み込んだような緋色の爪、怪しげな輝きを放つ結晶の欠片を前に、ミーナの目に生気が戻ってくる。
「現金な奴だな」
「当然じゃないの。爪も牙も希少素材だし、魔晶もこれだけの大きさと密度なら結構な額になるわ。取り分は、そうね。三対一で良いかしら?」
「全て君の取り分で良い」
「え、ほんとに良いの!? それじゃ ありがたく…… と言いたいところだけれど、あたしはそういうの、好きじゃないのよね」
「そうか。それでは、これから君と行動を共にしよう。それなら良いだろう」
「は? 何を言って……」
青灰の瞳で、ミーナの薔薇色の瞳を見つめる。
「どういった風の吹き回しかしら? そんな人じゃないと思っていたけど」
「私にもこの世界で生きる意味ができたようだ。それに、君に果たすべき責任もある」
「あはは、なにそれ、意味わかんない。けど、悪くないかも。一人で冒険するにも限界を感じていたところだし、あなたの強さも魅力的だしね」
真剣なデュロイの表情にミーナは笑顔で応え、右手を差し出す。
「この先命に代えても君を護ろう」
「もう、そう言うのは良いって。これからは一緒に楽しく冒険しましょ」
「ああ、そうだな」
デュロイは少し表情を和らげ、握手を返した。
――バタン。
「ふーっ! やっと戻ってこれたぜ……」
宿の扉が開かれ、満身創痍の男が玄関に倒れ込む。
「ちょっと、オットー、だっけ? 大丈夫?」
「あ、あんたか、丁度良かった……」
「何よ? そんなボロボロになって。あたしは素寒貧に用事なんて無いわよ」
「うぅ、礼を、言いたくてな…… おまけの、一本で、死なずに済んだ…… ありがとう、よ……」
オットーは息も絶え絶えにやっとのことで体を起こしてミーナに手を伸ばす。
「あはは、それは良かったわ。依頼は達成できた?」
「何とか、な……」
「それじゃ、はい。お祝いのポーションよ」
ミーナは笑いながらオットーの手をぱしっとはたき、腰の道具袋から出したポーションを握らせる。
「助かったぜ…… 何から何まで、済まねぇな……」
オットーはぐびぐびとポーションを飲み干し、大の字に寝転ぶ。
「あー、くっそ苦ぇ……」
「もぅ こんなところで寝られたら邪魔よ。私たちはもう出るんだから。 デュロイ、部屋まで運んであげて」
「ああ、仕方のない奴だ」
◇◇◇◇◇◇
陽が高くなり辺境の村から伸びる街道、デュロイはミーナが乗るもふみの手綱を牽き、村を後にして聖都へと向かって行った。




