中編
村から領域境界へ向かう街道の途中、森の方から微かな鳴き声を聞き振り返る。森から多くの鳥が一斉に飛び立つ。
「ヒュージモンスターか」
右手に持つハルバードと腰に差した片手剣、背中に担いだ背嚢と盾の重みを全く物ともしない様子でデュロイは森の方へと駆け出す。
木立の密度が増す中、森の奥の茂みから飛び出す白いモフパカを発見し、指笛をならしてモフパカを止め、手綱を掴む。
「お前は、あの行商の」
モフパカは手綱を持つデュロイの手に頬擦りし、森の奥へ向き直ってデュロイの持つ手綱を引っ張る。
「ああ、案内しろ」
森の奥を目指す中、向かう先から突如爆発音が響き渡る。
「良かったな。お前の主は無事のようだ」
デュロイは先を行くモフパカに声をかけ、手綱を引いて下がらせる。
「おおおおっ!」
デュロイは天を仰ぎ雄叫びを上げ、ハルバードを大きく振り回して藪を薙ぎ払いながら爆発音のした方向へ走る。ミーナに詰め寄る猟狼は近づいてくる強い気配と雄叫びに感づき、デュロイへとターゲットを変えて駆け出した。
程なくしてハルバードを構えて走るデュロイが猟狼の群れと会敵する。
デュロイは速度を落とすことなく群れに突っ込み、ハルバードを振り下ろして先頭の一匹の頭部を真二つにすると、そのまま後方に続く二匹目を鼻先から串刺しにして上方に跳ね飛ばす。反転させたハルバードの石突きで三匹目の頭部を貫くと足を止め、構えを直して周囲の群れを牽制し、一際明るく木漏れ日の射す方向へと走った。
木立の間から抜け出したデュロイは力無く座り込むミーナを見つけ、踵を返して群れと向き合う。
追いかけてきた猟狼数匹が勢いを落とさず跳びかかる。喉元に食らいつこうとする獣の牙に左腕を差し出し噛みつかせると、力ずくで振り払い後続の猟狼にぶつける。
猟狼の群れが怯んだ瞬間、ハルバードが鋭い唸りを上げ、研ぎ澄まされた切っ先が宙に真一文字を描く。一匹は顎から上が飛び、一匹は両前足ごと喉を裂かれ、一匹は背骨を寸断され、三匹が瞬く間に蒸発する。
その後もハルバードが唸りを上げながら幾重にも弧を描き、群れる獣が次々と屠られていった。
ミーナはポーションを飲みながら最後の一匹が倒されるのを見届け、座ったまま姿勢を正してデュロイに声を掛けた。
「ありがと、助かったわ」
「無事か?」
「お陰さまで。あなたの雄叫びが聞こえたときはもっとヤバイ奴が来たかと思ったわよ。デュロイ、だったわね。どうしてここに?」
「あれに案内された」
デュロイが視線を送る先の茂みから白いモフパカが現れる。
「もふみちゃん! 無事だったのね」
モフパカは軽快な足取りでミーナに駆け寄り頬摺りをすると、ミーナもその顔をぎゅっと抱き締めた。
「よしよし、良い子。ありがとね。ん~、相変わらず良いもふもふ」
ひとしきり可愛がると、片膝を付き手綱を引いて立ち上がろうとするが、膝が震え再びその場に座り込んでしまう。
「立てないのか?」
「ええ、大丈夫。薬の影響よ。暫くすれば立てるようになるから」
「薬?」
「ルナ・エーテルって奴。自分の力の限界を引き出して敵を殲滅するまで戦い続ける狂気の薬よ。理性が飛んじゃうし、反動もキツいからちょっとしか飲んでないんだけどね」
「そうか、じっとしてろ」
デュロイは少女の脇の下に手を入れ、子供を抱き上げるように抱えてそのままモフパカの背にのせる。
「んにゅ、ありがと」
ミーナは少し頬を赤らめて礼を言うと、モフパカの被毛に顔を埋めた。
「近くに泉があるからそこで休みましょ 捨ててきた荷物の回収もしたいし」
「ああ、そうだな」
◇◇◇◇◇◇
モフパカの背に乗ったミーナは、デュロイを先導して再び森の中の泉に戻る。
「魔物の気配はないわ。デュロイがあらかた倒しちゃったもんね」
「ヒュージモンスターが居る」
「あの叫び声は魔獣型の巨大種、ライカンギガント。馬鹿でかい狼男よ。出現はしたけど動いてる気配もないし、日の出てるうちは寝てるんじゃない? あんなのが歩き回ってたらこんなに静かじゃないわ」
「よく知っているな」
「言ったでしょ 弱者には弱者なりの戦い方があるのよ。でも、今回は運が悪かったわ。あの男を馬鹿にしてる場合じゃなかったわね。 ……もふみちゃん、おすわり」
ミーナがモフパカを止めて伏せさせるのに合わせて、デュロイも装備と荷物を地面に置き、その場へどかっと腰を下ろした。
「よっと、ん、大丈夫ね」
ゆっくりと足元を確かめるようにモフパカから降りたミーナは、少しよろめきながら置き去りにした荷物の元へ歩み寄る。
「やった、荷物も無事だわ~」
荷物を確認して機嫌良く呟くと器を取り出して泉の水を汲み、荷物を引きずりながらデュロイの隣に座る。
「腕、出して。噛まれたでしょ」
「噛ませたんだ」
「おんなじじゃないの。魔獣の噛み傷はちゃんと処置しないと危険なのよ」
ミーナはデュロイの左腕を伸ばさせ、くっきりと歯形が残る血のにじんだ革製のアームガードを外し、傷口を確認する。
「ごっつい腕ね。うん、傷は浅いわ。それにしても、もうちょっとクレバーな戦い方する人だと思ってたんだけど、無茶したわね」
「君の無事を確認するために迅速に殲滅する必要があった」
「ありがとう、と言いたいところだけど、他人のために自分を危険にさらすのは良くないわ。ちょっと痛いけど我慢してね」
ダガーの切っ先を炎の魔法で炙り、しばらく冷まして噛み傷をきれいに切り開き、傷口の汚れとにじみ出る血を泉の水で丁寧に洗い流すと、毒消しの薬草を刷り込み、ポーションを掛けて治癒魔法を施す。
「これで良し」
ミーナの手際よい処置によってデュロイの傷は跡形もなく治癒している。
「良い腕だ。助かった」
「でしょ。聖職者並みの治癒術が使えれば楽なんだけど、残念ながら初歩魔法しか使えない調合師なのよね。できないことは頭と腕で何とかしなきゃ」
「強いな」
「デュロイほどじゃないわ」
話をしている間にモフパカが二人のそばに寄り、デュロイの顔に鼻先を近づけ臭いを嗅ぎ、頬をベロベロ舐め回す。
「紹介するわ。モフパカのもふみちゃんよ。私の相棒」
「むう」
「あはは、気に入られたみたいね。かわいいでしょ。毛皮がもふもふすると気持ちいいわよ」
「もふ、もふ……」
「良いでしょ、もふもふ」
「あ、ああ、もふもふだ」
「もふみちゃん、お座り」
もふみの頭をぎこちなく撫でるデュロイを愉快そうに眺めながら、ミーナは慣れた手つきで背中を撫でて座らせる。
「さっきの戦闘で服も身体もドロドロね。水浴びするついでに洗濯してくるわ。デュロイも脱いで」
「私は必要ない」
「そう。それじゃあ鎧だけでもきれいにしてくるからはずして頂戴」
「……ああ、わかった」
「助けてもらったお礼に、ちょっとくらいなら覗いても良いわよ。減るもんじゃないしね。こんな貧相な身体でよければ、だけど」
「薪を集めてくる」
デュロイはミーナに一瞥もせず背中を向けて森の中へ入っていく。
「う~ん、真面目なのはわかるけど、一考の価値はあると思うんだけどなぁ」
ミーナはシャツの袷を引っ張って発育途中の胸を確認しながら呟いた。
◇◇◇◇◇◇
森の中の泉のほとり、大きな布を素肌に巻いてモフパカの腹を枕にして寝そべるミーナと地面にどっしりと胡座をかいて座り込むデュロイが焚火の火を見つめながら穏やかな時間を過ごしている。
「デュロイには、ここで生きる目的はなにかあるの?」
「神との契約の履行だ」
「そういえば、宿でも言ってたわねぇ 領域の奪還、魔物を倒して闇に飲まれた領域を取り戻す。今はもうやってる人もほとんどいないけど」
「ああ、ずいぶん減った。辺境へ行くほど魔物は強力になり、補給は厳しくなる。ある程度領域が広がった今となっては上級の異訪者でも境界を越えて活動することは難しい」
「ま、ギルドの依頼こなしてた方が楽だわね。割りに合わないことをする理由はあるの?」
「異訪者の使命だ」
「真面目か」
暫しの沈黙。パチパチと焚火の音が響く。
「君は?」
「あたしは、そうね。自分にできることをしながら色んな所へ行って色んな人に会って気楽に暮らせれば良いかな」
「自由だな」
「まぁ、ね。私の力は戦闘には向いていないけど、自由に生きるにはありがたいものだわ。 ……ねぇ、デュロイ。あなたは元の世界に帰りたいと思う?」
焚火を見つめながら、少し声を落として問いかける。
「希望ではなく、帰らなければならない」
「それは、今この世界で手に入れたものを全部捨てることになっても?」
「ああ、もちろんだ」
ミーナは寝転んだまま顔を上げ、デュロイの瞳を見つめる。
「あたしは嫌ね。今の生活は幸せだし、大切なものがたくさんあるわ。覚えてもいない過去にこだわって今の自分を手放したくないの」
「そうか。それは良いことだと思う。私には無いものだ」
「契約の他に、ここに居る理由が欲しい?」
「わからない」
「そっか。ま、この世界に私たち異訪者が現れるようになって三年、今まで記憶を取り戻した人の話は聞いたことないし、戻る方法があるのかもわからないんだから、気楽にこの世界での生活を楽しめば良いと思うわ」
「ああ、そうかも知れんな」
「さてっと、そろそろ服も乾いたかしら? うん、ちょっと湿ってるけどそのうち乾くわね」
ミーナは起き上がり、近くの木の枝に干していた服を下ろした。
「着替えるからあっち向いてて。って言わなくても大丈夫か」
先ほどまで焚き火を見ていていたデュロイは音もなくミーナに背中を向けている。
「この後どうするの? 一緒に戻る?」
「ヒュージモンスターを倒す」
「はぁ? 一人で? 本気?」
「本気だ」
「はぁ、やめといた方が良いわ。ライカンギガントは討伐実績で言うと中級異訪者のフルパーティーで丁度釣り合うくらいの相手よ」
事も無げに言うデュロイに、ミーナは驚きと呆れの混じった表情で溜め息をつく。
「目の前に現れたヒュージモンスターを見逃すことはできない」
「真面目なのか馬鹿なのか、紙一重ね。止めても無駄かしら?」
「ああ、倒しに行く」
「そう。あなたの強さなら無理とは言わないけれど、無茶ではあるわね。なにより時間が悪いわ、日の入りまで後一刻半ってところかしら。日が沈んだら倒せなくなるわよ ……良い? ライカンギガントは人の倍近い大きさの人狼で、前足のリーチがハルバードと同じくらい。爪は鋼鉄並みで一発でも貰うと致命傷になる。だから隙が大きくて両手が塞がるハルバードでは戦えないわ。使うとすればそっちね」
デュロイの傍らにハルバードと共に置いてある片手剣と盾に目をやる。
「盾で身を守りながら剣で四肢にダメージを与えて、抵抗できなくしてから止めを刺すのが妥当かしらね」
「ああ、その通りだな」
「あと、あたしも一緒に行くわ」「ダメだ」
デュロイは間髪入れずに言い放ち、立ち上がる。
「あたしの忠告は聞かないくせに、全く身勝手だこと。どれだけ断られても着いていくわよ。倒すのを諦めるか、二人で行くか、どちらか選んで」
「一人で行く。足手まといだ」
無視するように装備を整えるデュロイの背中を見て、ミーナはぷぅと頬を膨らませる。
「……あたしの見立てだと、デュロイは人を守って戦う方が実力を発揮するタイプだわね。戦闘には参加できないけど荷物持ちやバックアップくらいはできるし、本気で奴を倒す気なら絶対あたしと行った方が良いわ」
「……勝手にしろ。時間が惜しい」
「よろしく、デュロイ。 ……おいで、もふみちゃん。ちょっと重いけど我慢してね」
ミーナはデュロイの荷物をもふみに背負わせ、ハルバードを担ぐ。
「おも。よくこんなもん振り回せるわね」
デュロイはミーナの言葉を気にすることなく鎧を身に付け左腕に盾を装着し、鞘に収まった片手剣を腰に差す。
「行くぞ」
「うん、案内するわ」
ミーナは器の水を焚火にかけ、残り火を踏み消し、森の奥に目を向けた。




